第51話 別れの朝
「雫……ちゃん」
彰は詰まりそうな喉から名前を呼ぶ。
間違いない、雫ちゃんだ。目の前にいるのは初恋の相手で間違いない。だが、その体はどこか透けているようにも見える。
その体に触れるため一歩近づく。
「こないで!」
雫は彰を拒絶し声を上げる。
「お願い……だから……」
涙ぐむ声を震わせながら後ずさむ。
雫にとって彰との再会はずっと考えてきた恐怖であった。今まで遠ざけてきた事に面と向かうことになった雫は電話で聞いた時の声とは違い、弱々しくなっていた。
「どうして……会いに来たの、来てほしくなかったのに!」
「…………」
「大好きな彰くんにこんな……こと……」
「ごめん」
泣きそうになっている雫ちゃんに近づき、ぎゅっ。と強く抱きしめる。半透明に透けているからだから伝わる熱は冷たく、既にこの世のものではない事実を突きつける。
「オレ、雫ちゃんの事がずっと好きだったんだ。本当、もっと早くに会いに来ればよかった。ごめんね」
今ある気持ちを必死に伝える。言い切ると同時に我慢できずに涙が溢れてくる。
「わ、わた、しも、あいたかった」
伝わる熱はだんだんと熱くなり、詰まり詰まりの泣き声が聞こえる。
「少し……話をしよう」
「…………うん、たくさん話そ」
雫が泣き止むまでの間、彰は優しく抱きしめていた。少し経ち、雫が泣き止むと奥の部屋へと移動し、ベットの上に2人座り込んでいた。
宵闇の中、月明りが差し込む部屋で静寂が流れる。
(な、何を話せばいいかわかんねえ……)
話をしようと言ったはいいものの、なにを話すかは考えてはいなかった。
電話越しではない、面と向かっての体面にどこか気まずさを感じながらも、改めて雫ちゃんを見る。
昔から思っていたが美人だ。幼いころ、と言っても俺の中では今もだが、皆から人気なのにも納得がいくほどの美貌だ。
「あのね、彰くん」
「は、はい……」
「私、彰くんと会うの怖かったんだ」
ぽつりぽつりと今の心の内を話す。
「もし、私がもういないことを知って拒絶されたらどうしよう……って」
「…………」
「だから本当は来てほしくなかったんだ」
彰が恐れていたように雫もまた恐れていた。もし、この関係が崩れるようなことがあるとしたらそれは彰がこの事実を拒絶することだ。
その可能性を考えていたからこそ来てほしくなかった。
「ごめんね。いきなりこんな暗い話して、本当はもっと楽しい話したかったんだけど、私ここから出られなくて……」
笑顔で返しているがその目じりには微かに涙が浮かんでいた。
この町を出てからすぐに入院した雫の中では時間はあの時から進んでいない。病気や両親を失った苦しい思いをして来た少女にとって彰との電話がどれほど支えになってきたか、彰自身わかってはいなかった。
それでも彼女の表情から滲み出る悲しみだけは理解できていた。そんな彰にできることは数少ない。
「……オレも、本当はすごく怖かった。それでも雫ちゃんに会いたかったんだ」
「…………うん」
「例えもう生きていなくても、今の今まで会話してきたことに嘘偽りはないからこそ、会って直接話したかったんだ」
町を離れてからの十年間、今まで話してきた時間に嘘はなかった。
例え、雫がもうこの世にいなくとも彰と共に過ごした電話越しの時間はとても楽しかった。本心から語るその言葉は彰の予想以上に雫の心にはその言葉が響いていた。
「そっか……私も彰くんと過ごしたあの時間はとても楽しかったよ。だから聞かせて、彰くんの事」
「うん」
その日、彰は誤魔化すことなく今までの事を語った。士官学校から特務機関と言う組織に配属され、殺し屋や化け物と戦ってきた事、任務でこの町に戻って来たついでに驚かせようと会いに来た事。引っ越してからの幼馴染やサムライの相棒ができたこと、同期に名門貴族がいたこと等、この1か月で体験したたくさんの事を話した。
雫ちゃんは楽しそうに聞いていたがどこか寂しそうな顔もしていた。
「上司に東雲さんって人がいるんだけど、その人が見た目とは裏腹に頼りになるんだよ」
「見た目とは裏腹ってことは、普段は頼りなさそうなの?」
「いや、普段からのんびりしてるから頼りなさそうって意味で、いざと言う時は……」
カーテンの隙間から見える空に朝日が昇る。差し込んだ光が彼女を照らす、その姿に彰の言葉は詰まってしまった。何故なら雫の体が明らかに透けてきているからだ。
それでも頑張って言葉をつなぐ。
「頼りになるんだ、それで…………それで……な……」
無理だ。頑張っても言葉が詰まってしまう。楽しいこの一時の終わりに視界が霞む。
ああ、本当に終わってしまうんだ。そう思いながらも最後に、最後にどうにかしてこの胸の内を伝えたい。
「もうそろそろお別れの時間だね」
悲しそうに雫が呟く。それを聞いた表情が見えない様に彰は片手で顔を隠す。
「どうしたの?」
「……こんな顔、好きな子に見せられない」
強がりだ。本当は悲しい顔も何もかもを受け入れてくれる雫ちゃんの優しさに包まれたいのに、強がってしまう。
「私は泣いている彰くんの顔も好きだよ」
本心からくる優しさに体を寄せる。それでも顔は見せない、少し残った男のプライドが泣き顔を見せようとはしない。
「私ね、彰くんが抱きしめてくれた時、安心したんだ」
肩に頭を乗せ穏やかに言う。
「怖がられたらどうしようって思ってたのに、優しく抱きしめてくれて本当に嬉しかったんだ」
だんだん薄くなる体に反して雫の声は喜びに満ち溢れていく。
「それに彰くんが好きって言ってくれて、私も……」
雫ちゃんが立ち上がり笑顔を向ける。それはまるで長年の思いが晴れた様に喜びに満ち溢れていた。
「バイバイ、彰くん。私も彰くんのことがずーっと好きだよ」
「オレも…………大好きだよ」
胸の奥に秘めていた思いを伝える。雫ちゃんの顔が見えない。
雫は満足したように彰を抱きしめる。
朝日が差し込む病室、そこにはただ一人涙で顔をぐちゃぐちゃにした男が声を押し殺して泣いている。




