二人だけの泡沫の旅
「んー、これもテンプレート……なんちゃって?」
弱々しく微笑む彼女は窓の外を向きながら、そんな呟きを漏らす。
「王道も悪いもんじゃないよね」
僕はそんな風にその呟きに言葉を乗せる。
一切風が吹かない筈の病室にふわっと、風が吹き抜けたような感覚を覚える。
◇
僕と彼女が出会ったのは偶然も偶然、一期一会という言葉がこれ以上当てはまる秋から冬への移り変わる……そんな日のことだった。
徐々に短くなる朝に哀愁を感じ、涼しくなり始めたその冷風に年の瀬の片鱗を感じる。
僕は病院へと向かいながらそんなことを思う。
そんな時だった。
足元に僅かな痛みが走る。
「おっと、ごめんごめん。大丈夫?」
そんな軽快な口調が僕の耳に入り、現実へと思考が引き戻される。
ふと見やれば、目と鼻の先には車椅子に乗った少女がいた。
そしてその車椅子の右前輪が僕の足に乗り上げていた。
──だから、痛かったのか。
生まれつき痛みを余り感じない……そんな病気を患っている僕だから、少し痛いだけで済んだのかもしれない。
普段は良い感情を持てない自分の病気に対して、そんなことを思いながら、続く言葉を思索する。
「そっちこそ、大丈夫?」
口を突いて出てきた言葉は、受け取りかたによっては侮辱にも取れる、そんな言葉だった。
僕自身としては、そんなつもりで言ったわけではない。
本かニュースか……最早覚えていないけれど、車椅子に小石が詰まって壊れてしまうという話をしっている。
彼女がのっている車椅子はぱっと見ただけで電動である……つまり、高額であるとわかるもので、そんな高いものを弁償させられたらたまったものじゃない。
「煽り……じゃないわね。本当に大丈夫?」
先ほどの軽快な口調とは違い、今度は純粋に心配のみが込められた言葉がその唇から放たれる。
「少し痛かっだけ……あー、別にあなたが重かったわけじゃないから」
思ってもないことを冗談として言い、場の雰囲気を和ませようとする。
やっぱり、足が少しだけ痛むけれど、それもそれで悪くない……とは言わないけれど、問題がそこまであるわけではない。
「本当に大丈夫そうね……」
若干の呆れを声に乗せながら、はぁ、とため息をつく。
どうしたの?という視線を向ければ、手を頭に付け、首を振る……が、数秒後にはすぐに復活し、続きの言葉を発する。
「あなたも病院に向かうの?」
その言葉は、彼女もこれから病院に向かう、ということを端的に示してくれる言葉であり……僕と彼女の目的地と一致していることを示す言葉でもあった。
言葉を出すのが寒さ故に億劫になって、首肯でその意思を示す。
すると、どうして?という疑問の視線を僕に投げ掛ける。
「僕は病気持ちだから……この通り、ね?」
そう言いながら、一歩下がり、車椅子に踏まれたほうの靴を指差す。
白を基調とした、長年の使い込みにより薄汚れた靴はその一点を赤く染めていた。
──前と違う。
僕はその染みを見てそう思った。
前、この位の痛みだった時は靴下で止まっていたから、今回も靴を脱ぐことになると思ってたのに。
……やっぱり悪化していたのか。
そんなことを思いながら、諦め故の微笑を彼女に見えないように浮かべる。
「えっ!?本当に大丈夫っ」
焦りにより、唾が器官に入ったのだろうか。
咳込む彼女に声をかけるためにその微笑を消し、普段通りを心がけながら口を動かす。
「そういう病気持ちだから」
その一言が彼女には刺さったようで、下を向いて黙り込む彼女。
それから秋の肌寒いであろう風が流れること数秒。
「あなただけ教えるのはフェアじゃないよね!」
フェアは大事よ!と言いながら、自分の腹部を指差して彼女はその病気を告げる。
「私、臓器が悪くてねー」
やんなっちゃうわよねー、と肩をすぼめながら言う彼女。
そして、言葉を途切れさせることなく、次の言葉を唄う。
「それで、余命が余りないのよ」
余命だけにね、そんな風におどける彼女を前に、今度は僕のほうが黙り込む番だった。
余命……残りの命。
僕も病気を持っている……更に言えば、こうしている現在も徐々に悪くなっているけれど、医者から余命を宣告されたことはない。
もしかしたら、今日の病院で宣告されるのかもしれないけれど……そんな危惧も今初めて抱くものだった。
──唯、感覚が無くなっていくだけ。
それだけだと思っていた「病気」が、彼女の垂らした一筋の黒で恐ろしく見える。
それでも、彼女のほうが怖いはずだ。
そう思い、何事もなかったかのように彼女の顔を見る。
「折角だし、一緒に行こっか」
◇
それから歩くこと十数分。
特に話すこともなく、ゆっくりと雰囲気を楽しんでいると目的地へと到着する。
「改めてごめんね、それじゃあ」
彼女はそう言い、エレベーターのほうへと向かう。
「ん」
僕はそう発音して、僅かに痛む足を見る。
──少しは体が強くなるものを食べようかな。
そんなことを考えながら、医師の待つ部屋へと向かう。
幸いにも医者から余命を宣告されることもなく……念を入れて聞いてみても、命には関わらないですよ。
という丁寧な返答が帰ってきた。
そして帰り道である今。
彼女はどうしたんだろう、と思い、視線を彷徨わせる。
車椅子は目立つはずだからなー、なんていう思考を雑念として挟みながら、彼女を探すけれど、一向に見つからない。
彼女と会う約束をしていたわけじゃないから、仕方ない。
そう思い直し、帰路に向かおうとしたその時。
「もしかして、私を探してた?」
彼女が僕の後ろからひょこりと現れる。
思わず驚嘆の声をあげると、彼女は悪戯が成功した、とも言いたげに笑う。
「あっ、もしかして違った?待って、めっちゃ恥ずかしいんだけど……」
声をすぼめながら、顔を赤くする彼女に違う、と告げる。
「はぁー、よかったよかった。それで、何で私を?」
そう言われて、はっとする。
別に帰り道が一緒とも限らない、それどころか余命が……と言っていた彼女のことだ。入院という可能性も大いにある。
なら、僕はなにをしようとしていたのだろうか。
「まさか……ううん、何でもない」
彼女が何かを言いかけるが……すぐに口をつぐんでしまう。
僕はとりあえずの言い訳をしようと口を開き、誤魔化そうとする。
「んー、少し渡したいものがあって」
そう言いながら、僕は何か渡せるものを探す。
……渡すと言ってしまった以上、何か形あるもののほうがいいだろう。
ここで「感謝の言葉」とかそんな感じのものをあげたら「えー」みたいな表情をされることは目に見えている。
「はいこれ」
そう言って渡すのは、ハンカチ……どこにでもあるハンカチ。
「あ、はい。ありがたいけど……なんで?」
すごくもっともな質問をされてしまう。
「さっき見た感じ、寂しそうだったから」
その返答は適当に答えたものだったのだろうか。
それとも彼女を見て自然に思ったことだろうか。
……少なくとも言えることは、その時は「それしか」言えることはなかった、ということ。
「……本当にありがとね」
そう言う彼女は心底感謝を伝えたい、ということを伝えるために上半身を倒し、お礼をしようとする。
すると、車椅子の重心がずれ、倒れかけ──
「大丈夫?」
すんでのところで、何とか止める。
「ごめん……」
迷惑ばかりかけて申し訳ない、という感じに謝る。
今度は首だけ下げる謝罪だ。
「……202」
──え?
何の脈絡もなく告げられた数字は僕を混迷の渦に突き落とすのに充分であり、その困惑の間に彼女は再度エレベーターのほうへと向かう。
その道すがら、ぽつりと一言だけ声を空気に乗せる。
「ハンカチ、返させてね?」
◇
それが、病室に来て、という意味だと気付き、202がその部屋番号だと気づいたのはそれから数分後だった。
幸いにも、今日はもう何も予定が入っていないので、指定された202号室へと向かう。
2階行き、面会許可を貰い、その部屋へと入る。
「あぁ、遅かったじゃないか」
そう芝居がかった口調で言う彼女はベッドの上に横たわり、先程までとは違い、弱々しく見える。
「気になる?」
気になる、とも言えずにしどろもどろしていると、彼女は僕の意思を聞く前にその答えを言う。
「さっきまでは割と無理していてね」
──もう、力もほとんど入らないのよ。
そう言う彼女の手は確かに痙攣し、その役目を十全に果たしているとは言えなかった。
よく見ればその双瞳も閉じかけている。
「じゃあ、なんで──」
僕をここによんだのか。
そう聞こうとするが、その前に小さい……けれども強い意思をのせた固い言葉が空気という膜を通して紡がれる。
「私、生まれつきこんな感じでね?幼少期は単に病弱ってだけだったんだけど……」
曰く、小学校になろうとする時にはその「病弱」が強くなり、保健室登校のようなものになったらしい。
曰く、中学の時には学校に行けず、基本的に常に病院で勉強や生活をしていたらしい。
曰く、両親は彼女の医療費を稼ぐためにいろんなところに飛び回って仕事をしているらしい。
曰く、それ故に常に孤独だったから本を沢山読んでいたらしい。
「恋愛の本に、病弱のヒロインって出てくることあるでしょ?」
僕は余りそういう本を読まないからよくはわからないが、言いたいこともわからなくもない。
見も蓋もないことをいってしまえば、病弱である様が庇護欲を掻き立てるからだろう。
「ああいうのって……まあ、そういうこと」
顔を赤くしながら、彼女はそういうが、生憎何が言いたいかよくわからない。
「ところで、どうしてそんな顔が赤いの?」
話題を逸らすためだろうか。
でも、その言葉で初めて自分の顔が赤くなっていることに気付く。
そして、それと同時に自分が泣いていることにも気付く。
「なんで、だろう?」
何とか言葉を紡いで彼女と……そして他でもない自分自身を誤魔化そうとするが、既にわかっていた。
誤魔化そうとする時点で、その感情には気づいている。
いつからだろうか。どのタイミングだろうか。
思い当たる節が短い中に、沢山あり……そして、その真実に至る。
──これが一目惚れ、というもの。
だから、そんな彼女と話している、という事実で顔が赤くなり、その彼女の過去を聞いて……そして余命のことを思いだし、泣いたのであろう。
そこまで考え、顔を上げると、体を起こしてこちらを心配そうに覗き込む彼女の姿が網膜を通じて脳に伝わる。
「無理しないで」
そう言って、彼女の下に歩みより、手でその行動を静止し……その際に彼女の体に触れる。
「「あっ……」」
お互いがそんな声をあげ、気まずい沈黙が流れる……そんな夕暮れ。
気まずい沈黙を破ったのは、またしても彼女だった。
「実は、両親には余命のこと伝えてないの」
ほら、変に迷惑をかけたくないじゃん?と笑う彼女。
それが良いことなのか、それともダメなことなのかは、僕には判断ができなかったけれど……彼女は彼女の意思でそれを決めたんだな、と感じられた。
「後、一つだけいい?」
そう言う彼女はこの上なく緊張している様子で、そして病気とは違う理由で痙攣……というか震えているようだった。
「私……あなたに一目惚れしちゃったみたいなの」
その言葉は間違いなく僕の想定外であり、そして他でもない僕の台詞だ、と思った。
僕自身の中で色々な想いが交錯する。
そんな様々な想いを全て無視するかのように、彼女は更に音を発する。
「別に、それに答えて……応えて欲しいわけじゃないの……でも、最初で最後の恋だから、想いだけは伝えたいな、って」
……。
「迷惑だよね。何とも思ってない人から向けられる好意が迷惑だっていうのは私もわかってる」
「でも、こんな女の子がいたんだよ、って。あなたのことを想っていた女の子がいたんだよ、って覚えてくれたら……」
──その言葉に、その告白に、心を動かされないほど、心が動かないほど、僕の病気は悪化していない。
「それは、僕の台詞だよ。僕も君に一目惚れしたみたい」
一瞬の静寂が辺りに流れ、お互いがお互いを見つめ合い──
せーの、と彼女が言う。
その合図に合わせて、僕はゆっくりと口を動かす。
「私と」
「僕と」
「「付き合って下さい」」
どこからともなく、ふふっ、という笑いが聞こえて。
それがこの場にいる二人、そのどちらからも出されたものであると気づくのは、数秒後のことだった。
「おかしいよ……おかしいよね……」
笑いながら……そして、泣きながら、そう言う彼女を見る僕の顔にも水が流れ落ちる感覚がする。
「ほんと、おかしいよ……夢みたい」
◇
それからは他愛のない話をしたり、お互いの病気についての話なんかもした。
僕は彼女とは違い、学校に行けるので学校の日常……彼女にとっての非日常を話したりもした。
逆に、彼女の病院での日常は、僕にとって紛れもなく非日常であり、驚くことも多々あった。
……その度に驚かせられた!みたいな表情をするどや顔の彼女を見ると、心が和み、十数年の生活でたまっていた何かがほどけていくような感覚を覚える。
──だけど。
そんな夢物語のような時間は無限には続かない。
それを告げるのはいつも通り、彼女であり、彼女の言葉でもあった。
「そういえば、その余命ってね。今日なんだよ」
どきり、と心臓が跳ねる。
彼女の様子や、会話途中にふと見せる安心するような表情。
それは「よかった。まだ生きている」という安心感を覚えているように思えて仕方なかった。
そんな自分の感覚を騙しながら、ここまで話してきたけれど、他でもない彼女の口から否定されてしまう。
「驚いた?なら、よかった…、」
貯めた甲斐があるよね、とおどけて言う彼女の表情からは恐怖の感情が感じられない。
でも、その言葉の節々から死への恐怖を感じる。
だから───
「うわっ、どうしたの?」
彼女に近づき、その華奢なからだに負担をかけないように抱きつく。
「……ありがとね」
そして、彼女が何かを感じるように窓の外を見る。
それにつられて僕も外を見る。
その窓からは、病院の中庭に生える大きな木が見える。
時期が時期ということもあり、ほとんど葉っぱのない木がゆさゆさと風に揺られている。
一つ、二つ、また一つ、と木の葉が落ちていき……
「あっ……」
──残り1枚となる。
お互いがお互いの感覚を確かめあいながら、そんな木の様子を見つめる。
風が止まり、「凪ぎ」が作り出され、その木の葉は一時の命を得る。
「そういえば、あなたの名前は何?」
「それを言ったら君の名前は?」
そうねー、と一瞬だけ考え込む仕草をしてから名案を思い付いたような声で言う。
「同時に言おうよ!」
うん、わかった。
僕はそんな提案に賛成をして、彼女に併せて口を開く。
「「────」」
音が二重に混ざり、他の人が聞いたらなにを言っていたのか全くわからないであろう音が病室に流れる。
でも……僕と彼女だけがわかれば、それでいい。
「良い名前じゃん」
そちらこそ、と言えばお互いが微笑む。
こんな時間が永遠に続けばいいのに。
すっかり太陽は落ち、優しく光る月が夜空に浮かんでいる。
雲はない、満天の夜空。
ふぅ……と息を吐き出し、彼女は言う。
「んー、これもテンプレート……なんちゃって?」
弱々しく微笑む彼女は窓の外を向きながら、そんな呟きを漏らす。
「王道も悪いもんじゃないよね」
僕はそんな風にその呟きに言葉を乗せる。
一切風が吹かない筈の病室にふわっと、風が吹き抜けたような感覚を覚える。