長野看護師の異動
入院生活が一週間を越えた。すでに集中治療室から一般病棟に移っている。酸素マスクも強制呼吸用から自発呼吸用に変わったが、まだ安静は必要なのだろう。病棟担当佐賀医師から説明は受けたが、鏑木は病名を聞いていない。プロが必要だと判断した処置が受けられればそれでいいと思っている。実際のところはそこまで頭が回っていないということだろう。
頭がすっきりと回っていないながらも、鏑木はこの状況を楽しんでいた。
「あなたのお名前は、季節に関係ありませんか?」
看護師が交替するたびに質問してみる。名札には苗字しかないのでこう言ってみた。
「そうですけど、どうしてわかりましたか?」
「名は体を表すと言いますけど、お顔を見てその逆を考えてみたんですよ」
夕方交替した夜勤の看護師には、
「昨日、お休みでしたか?なにかいいことがあったような感じですね」
「わかります?」
「なんというか、表情がやわらかくなったように見えました。いえ、前がかたかったということじゃなくて、よりやわらかく見えたというか」
言い方は難しいな。営業の時に買った言い換え辞典が手元にあればいいのに、と思う。
プライベートを探るような質問にはならないように気をつけながら表には出ていない情報を並べてみる。と、鏑木は考えているが、それがプライバシーだということに気がついていない。
「あれ?長野さん、ですよね」
集中治療室でみた顔だ。
「はい、おひさしぶりです。今月からこちらに異動になりました。よろしくおねがいします」
あのときに見えた、よくないこと、未来の影はこの異動だったのだろうか?看護師の仕事と言っても手術室、集中治療室、入院病棟、また診療科によっても違うだろうし、適性や希望もあるだろう。適性を見て異動させるのだろうけど、環境の変化はそれだけでストレスになる。それを越えて病院内で様々な部署を異動させてなんでもできるジェネラル人材を育てる方針なのかもしれない。
看護師という仕事は医療が主であるが、接客スキルは高い。プライバシーを話すようなことはしない。そして患者がする好きな話を肯定するのが基本だ。体調を崩している患者のご機嫌がよくなれば快復も、多少は早まる。そこを鏑木はわかっていない。だから一歩踏み間違えてしまった。
「サラダはお好きですか?」
「はい、ふつうに好きです」
「本町駅前にあるサラダレストラン、ジニーっていうお店で医療関係者感謝割引っていうのをやっているらしいですよ」
「そうなんですか」
「専門店だけあって評判はいいみたいです。お時間あったら、いらしてみてください」
「調べたんですか?」
「入院してると、基本暇なのと、食事も制限があるので、一日中、退院したらなにしようとかあれ食べたいってスマホをいじって見つけたんです」
「ありがとうございます。行ってみますね」
本町駅は長野が住んでいるアパートの最寄りとなっている。せっかくだからと行ってみるつもりになってきた。
「無理はしなくてもいいですよ。よかったら、ということで」
「はい。次はまた採血です。指先をだしてもらえますか」
血圧を測り終えた長野看護師は出された右手を見た。
「では、人差し指で」
長野看護師はアルコールをしみ込ませたガーゼを出し、指先を消毒した。針で小さな傷をつくり、検査機に伝える。止血のためのガーゼを鏑木に渡す。いつもの手順である。
「入院中って運動しないんですけど、筋力ってかなり落ちるんでしょうか?」
鏑木が気になっていたことを尋ねる。
「人による、というか、元の筋肉量にもよるんでしょうけど、使ってないと落ちるとおっしゃる患者さんもいらっしゃいますね。気になりますか?」
「薬を服むときに袋を指で、こう、切るでしょう?うまく力が入れられないこともあって」
「それは、今、身体が弱っているからかもしれませんね。体力は病気を治すために使ってしまっていますから」
「筋肉までにエネルギーが行ってない、と」
長野看護師はまた鏑木の右手を見た。
「腕と違って指は筋肉がどれくらいあるかわかりづらいですよね」
「そうですね」と、鏑木は腕を持ち上げ、手の甲を見る。
「裏返してもらえますか?」との言葉に従い、手のひら側を上にする。
「ここ、脈をとるときはここを触るんです。健康管理のため、ご自分でもわかるようにしておいた方がいいですよ」と、手首の少し下を指さし、親指をあてる。
「軽くあてるようにして、、あ」
手が熱くなった。そして。
二人でその手を見ていた時、鏑木が唐突に言った。
「次のお休みですけど、遠出せず、ぜひ、サラダを食べてみて下さい。ちょっとお出かけするぐらいがいいって見えます」
「それ、占いですか?」
「そんなようなものです」
本日2話目です。
まだ入院中です。
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