徹夜明けに見る太陽はまぶしい
鏑木音也、28歳。大学卒業後コピー機など事務機器販売会社に勤めるが、販売成績に波が大きく、好調時の成績で先輩社員には生意気だと嫌われ、上司には不調時の成績で能無しだと面罵され退職し、自宅へ戻る。地元の工場で金属加工工場でアルバイトをしながら趣味のミステリ小説を書く生活。これに没頭し、倒れる。病院で目覚めたときに人の運命樹を見ることができるようになっていた。
窓から朝が入ってくる。一晩中モニターに向かっていた目が乾きを訴えている。鏑木は目をすがめ、目をとじる。緊張を解いた頭が睡眠を欲しているが、同時に原稿を完成させた興奮が残っている。
「糖分が必要だな」
昨夜はあふれる言葉を残すことに興奮し、食事をとる余裕はなかった。こんなに高揚して原稿に向かったことなど10年、いやそれ以上か、高校の修学旅行前以来じゃないだろうか。あのときの気持ちは紗矢への思いが後押ししていたのはわかっている。彼女に読ませるべく書き上げたミステリーのタイトルはなんだったか。どことも知れない田舎町への旅情を入れたなんとか殺人紀行とか、そんなような話だった。
完成したら読ませる約束をしていたが、さすがに修学旅行前に渡すことはできなかった。戻ってからわたすつもりだったのだが、旅行中にせがまれ内容のかなりの部分を話してしまった。紗矢は「読むのが楽しみだ」と言ってくれたが鏑木の方が醒めてしまった。本当に面白いだろうか?もっと面白くならないだろうか?そう考えると出来上がったときの興奮は小説の出来ではなく、完成の興奮だけで実際にはとんでもない駄作に思えてしまった。なので、結局は渡していない。いや、渡したのだったか、記憶が定かではない。感想は修学旅行中に聞いたのだったかもしれない。
「とにかく、クールダウンだ」
両親はまだ寝ている。いくら農家が朝早い生活をしているとは言っても夏至の夜と朝が交代するような時間には起きだしてはいない。彼らを起こさないようにそっと外に出る。
自転車に乗り、東へと漕ぎ出す。10分も走れば作並さんの店に着く。10年ほど前にコンビニに衣替えしたが、もともとは酒屋で子供のころからなじみの店だ。なので今でも家族の間では作並さんで通っている。
「い。いらっしゃいませえ」
こいつか。鏑木はこの店員が嫌いだ。せっかく暇な時間に仕事をしているのだからもっとゆったりとしていればいいものをいつもあせっているような声を出す。そして店内を見ているとちょこまかと視界に入ってくる。かと思えばレジわきのスペースに入り込んで呼んでも出てこない。要領が悪いのか、こちらが万引きでもするかと見張っているのかなんとも不愉快な雰囲気を醸し出している。
東京で働いていたときはそんな風には考えなかった。自動販売機よりはまし。そういう接客をしてもらえれば満足していた。やはり、自分の境遇が変わったせいだろう。毎度そのように反省するのだが、どうしてもこの店員には冷たい視線を向けてしまう。相手もその視線を感じていやな客だと思っているだろう。
オレンジジュースと調理パン、赤のサインペンを買って店を出た。USBメモリは低用量のものしかなかったし、割高なようだ。ボタン電池は欲しい品番のものがなかった。
店を出てサインペンの封を開ける。いつも使っているメーカーの製品ではないのでちょっと試してみたい。レシートの裏に〇×△を書いてみる。書き味は悪くない。色もまあ、想定の範囲内。
サインペンをシャツの胸ポケットに挿し、自転車で帰る。コンビニにいる間にしっかりと夏の日差しに変わっている。走行風と放射熱の競争である。
たった10分の帰路で身体が少々火照ったように感じる。オレンジジュースがうまいだろう。
「音也?」
自転車置き場は台所、勝手口に近い。母の呼ぶ声がした。
「おはよう」
「どこか行ってたの?」
「作並さんとこ、ジュース買ってきた」
「だったら、電池を頼むんだったわね。居間の時計が遅れるのよ」
「単一かな?また行ってくる。何本?」
「さあ?」
「それじゃ、どうしようもない」
確認するのが先だ。
「あ」
足から力が抜けた。倒れる。
「音也?」
意識が遠のく。