探偵と探偵助手
僕の最高な時間に水を差すように来訪は突然だった。彼女がマグロ運送によって運ばれてきた時以来のチャイムが鳴らされていた。
彼女との生活を始めてから、僕は誰も家に呼んでおらず、呼ぶこともない。配達員の可能性は残っているが、あれ以降、何かを頼んだ記憶はない。
誰かが何かを送ってきたか、もしくは全く違う別件か。誰がチャイムを鳴らしたのか不思議に思う気持ちと、貴重な時間を邪魔されたことに対する怒りの気持ちを覚えながら、僕は玄関のドアを開ける。
そこには見たこともない女性が二人立っていた。どこかで逢っていたら失礼だが、僕の知人ではないと思われる二人だ。
「こんな時間にすみません」
前後に並んだ二人の女性の中でも、奥に立っている女性の方が申し訳なさそうに頭を下げていた。既に七時を回ろうとしている時間帯で、他の家は夕飯の最中かもしれないくらいだ。
僕もそうだったかもしれないと思い、その女性は頭を下げたようだったが、不思議なことにそれは奥の女性だけで、手前の女性は微動だにしていなかった。それどころか、一ミリも動かすことなく、僕を見つめてきている。その視線の鋭さが気持ちのいいものではない。
「実は私達、こういうものなんです」
奥の女性が言ったその言葉が合図だったように、手前の女性もようやく動き出して、二人で荷物を探っていた。何をしているのかと僕が不思議に思っている間に、二人は目的の物を見つけたようで、同時に二人の手が伸びてくる。
二人が手に持っていたのは名刺だった。あまりに揃った動きに僕が驚きながら受け取ってみると、それぞれの名前が書かれていることを確認する。
僕から見て手前に立つ女性の名前は八雲京花というらしい。さっきから僕のことを見つめてきている人物で、見た目から察するに、年齢は三十代後半から四十代にかけて、というところだろう。名前の横には『アリス探偵社 探偵』と書かれている。
もう一人の奥にいる女性の名前は小林ささら。手前に立つ八雲という人の代わりに、僕と話をしている人で、年齢は僕と同じくらい、二十代半ばから後半くらいに見えた。名刺には名前の他に八雲という人と一緒で、『アリス探偵社 探偵助手』とも書かれている。
手前の人物が八雲さんで、奥の人物が小林さん。そのことが分かったのは良かったが、気になるのは名前よりもその隣に書いてあった『アリス探偵社』の文字だった。
そのことを不思議に思ったまま、僕は二人の顔に目を向ける。
「探偵?」
「ええ、そうです」
僕が疑問の声を漏らすと、ついに手前に立っていた八雲さんが口を開いた。そのことに驚いていると、グイッと顔を近づけてきて、僕の顔を覗き込むように見てくる。
「一つお聞きしたいことがあるのですが」
そう呟く声と視線の圧力に僕は耐えかねて、一歩だけ後ろに下がる。
「どうされましたか?」
「いえ、あまりに顔が近かったので」
僕は当たり前のことだと思ったが、八雲さんはそうだと思っていないのか不思議そうに僕のことを見てきていた。そのことにどう言ったらいいのか分からず、僕が困った顔をしていると、小林さんが何かに気づき、八雲さんに耳打ちしている声が微かに聞こえてくる。
「あれですよ。きっとドーテーって奴ですよ」
「ああ、そうなのですか」
その一言に僕は反応に困り、ただただ赤面していた。童貞であることは否定しないが、この状況で二人の女性から童貞であることを指摘されるとなると、新手の拷問を受けている気分になる。
それに経験的には童貞であることに変わりはないが、既に僕には最愛の彼女がいる。気持ちまで童貞と一緒であると思われることは心外だ。
そう思っている間に二人の会話は終わっていたようで、八雲さんは僕から距離を取ったまま、話を再開していた。
「それではこの距離で。お聞きしたいことがあるのですが、よろしいですか?」
僕がうなずいたことで、八雲さんがその質問を口に出そうとしていたのだが、その前に再び小林さんが耳打ちをしていた。
「あれですよ。きっと正直に聞いても、はぐらかされて終わりですからね」
「ああ、確かにそうね。ちょっと聞き方を変えようかしら?」
僕に聞かれているとは思っていない様子の二人は真面目に少し考えているようだった。直接聞かれると僕がはぐらかしてしまうことなど、さっき言っていた童貞かどうかの質問と同じではないかと思っていたら、八雲さんが質問を思いついたようで聞いてくる。
「ドライアイスとか買うことありますか?」
その質問に僕は動揺を出さないように必死だった。直接聞いてもはぐらかされるだけと言っていたが、はぐらかす質問は確かに他にあった。今の質問はその質問に近いところを完全に撫でている。
「いえ、特には。使うことがないので」
そう答えながら、僕はあり得ないと心の中でかぶりを振っていた。確かに探偵が訪ねてきたことは怪しいが、それだけで疑うのはただ意識し過ぎているだけだ。
そう思っていたのだが、その思いも次の質問で崩れることになる。
「マグロの保存とかに使いませんか?」
その瞬間、僕は確信した。
この二人は知っている。マグロ運送の存在も、僕が彼女を頼んだことも、全て知っている上で、その場所に立っている。
通報。警察。僕と彼女を引き裂く存在が頭の中を過る。
「いえ、マグロはあまり好きではないので」
八雲さんの後ろで、八雲さんの質問に納得している様子の小林さんに目を向ける。質問の内容が直接的にも程があったのだが、二人はそのことに気づいていない様子だ。この鈍感さでどうして僕がマグロ運送を利用したことを知っているのかと不思議に思いながら、僕は誤魔化すことに努めた。
そのこともあってか、最終的に二人は追及を諦めてくれたようだった。
「そうですか。急な訪問、失礼しました」
そう言って僕の家の前から離れていく二人の姿を見てから、僕は部屋の中に隠れていた彼女のところへ駆け寄る。
彼女との最高の時間も、もしかしたら、終わりが近いのかもしれないと、僕は悟っていた。