壱
「朝、何をしているの?」
千鶴は呆れ顔で訊ねた。往来を歩いていたら、朝が童たちと相撲を取っていたのである。
「何って、相撲だよ、相撲。ちづも知っているでしょう? 私といったら相撲、相撲といったら私って」
朝は馬の尾のような後ろ髪をフリフリと揺らせながら、爽やかな笑顔で答えてくれた。千鶴は思わず白目で見てしまう。
「いや、まあ、それは分かるんだけどさ、童に朝の相手は務まらないでしょう?」
「あはは、まあね。でも、将来は分からないよ」
朝はそう言って「ね~?」と童たちを見渡す。負けん気の強い元気な童は、それにこぞって返事をして、にぎやかな様子を見せていた。
「で、ちづは何してんの? 暇なの? 私と相撲する?」朝は童たちから離れると、千鶴に顔を向けた。
「私はそんな自殺志願者じゃないわよ」
「自殺って、大げさな。ちづは、私に勝ったことあるじゃん」
「あれは、私が朝のぶちかましを避けて、朝が勝手に土俵の外に出たってだけだからね。あれ、本当に恐かったのよ。朝のあの突進、本当に死ぬかと思ったんだから」
「あはは、相変わらず、ちづは冗談はうまいな~」
「……童にあれはしないでよね。私、朝が殺人の罪で検非違使に捕まるところ、見たくないからね」
「分かっているって。それで最初の話に戻るけど、ちづは何しているの?」
「あ~、う~ん」
「どうしたの?」
「朝は暇? 暇だよね? 暇って言って」
「まあ、暇っちゃ暇だね」
「よかった。それじゃあ、私に付き合ってよ」
「いいけど、何?」
「晴明様に呼び出されているんだ」
そこで突如として朝は千鶴に背を向けて、童たちに声をかけた。
「よ~し! それじゃあ、相撲でも取るよ~! 今度は皆いっせいにかかってきていいからね~」
がばっと千鶴は朝の背中に組みついた。そして朝が逃げないように力一杯彼女を抱きしめて、涙声で訴える。
「ちょっと! 暇って言ったじゃん! 私に付き合うって言ったじゃん!」
「言ってない! 言ってない!」
「言ったわよ! 絶対に言った! ねえ、私たちって友達でしょう?」
「だって、どうせ怒られるんでしょう? 何でそんなのに私が付き合わなきゃいけないのよ!」
その言葉に千鶴はぐうの音も出なかった。昔は憧れの陰陽師に呼ばれることに心を踊らせていた千鶴だが、今は残念ながら違う。晴明が千鶴を呼び出す時は、決まって彼女を叱るためなのだ。
というか、陰陽寮のお偉方に怒られる以外の理由で呼び出されるなど、千鶴にとっては稀なことになってしまった。「千鶴の将来が楽しみだ」と皆が口々に褒めそやしていた頃が懐かしい。千鶴はそんな昔を思いを馳せ、はらりと涙を落とした。
「よく来たね、千鶴。それに朝」
畳の上に座る晴明は薄く笑いながら、千鶴と朝を迎えた。結局、朝は千鶴の涙に勝てずに、晴明の前まで来てしまったのだ。
晴明にとって、朝は予定外の来客であるはずだが、彼は嫌な顔を一つ見せない。それどころか、朝が来るのを見越していたかのように、白湯と菓子の載った膳が二つ用意されていた。
不思議である。相変わらず、彼の行動、そして容貌には人を引きつけてやまない魅力がある。
だけど晴明の切れ長の目からは、それに身を任すことを許さない峻烈な視線が発せられていた。口元は緩んでいるのに、その眼光は鋭い。
やっぱり怒られてしまうのだろうか。そんなことを思った千鶴は、とりあえず自らの額を床に勢いよく打ちつけた。
「すんませんでしたーーーー!!!!」
「ほう、何がだ?」晴明は心なしか口角を吊り上げて、千鶴に問うた。
「えーと、その、陰陽師を名乗って民衆相手に勝手に占いをして、小遣い稼ぎをしていることです」
「……千鶴、そんなことをしてたのか」
「しまったーー!!」と千鶴は心の中で叫び声を上げた。安倍晴明が知らなかった自分の失態を告げてしまったのである。これでは恥の上塗りだ。
「それで、私が何故ここに千鶴を呼んだ理由が分かるか?」
千鶴が頭を抱えながらあたふたしているところに、晴明は追い討ちをかけるかのように冷酷に訊ねた。とはいえ、千鶴の百面相を前にしては、さすがの晴明も笑みをこらえることができなかったらしく、手に持っていた檜扇で口元を隠す。
その晴明の仕草に気がつくことができれば、千鶴も幾分か気を和らげることができたのであろうが、生憎と彼女にそんな余裕はなかった。千鶴は、またもや自分の恥部を盛大にさらけ出してしまった。
「えーと、あれですか? 大蜘蛛退治で民家を燃やした件ですか? すみませんでしたーー!! もうあのようなことは決して、二度と起こしませんので、どうか平に、平にご容赦のほどをッッ!!」
「千鶴は本当に私を飽きさせないよ」
「え? あの、それはどういう意味でしょうか?」
千鶴は哀れな涙声で訊ねてきた。今にも捨てられそうな子犬のような顔を前に、晴明は思わず檜扇で自分の顔全体を隠してしまう。途端に、晴明のところから「クッ」と笑い声を押し殺しているような音が聞こえてきた。
「あ、あの、晴明様?」
「す、すまない。どうも、最近風邪気味でね」
「は、はぁ」
千鶴の声に戸惑いが混じってきた。これでは威厳というものを失いかねない。それを悟った晴明は何度か咳払いして、自らの表情に緊張を取り戻すことに成功すると、改めて千鶴の顔をきつく見据えた。
「千鶴のをここに呼び出したのは、そういった話ではない。いや、厳密に言えば関わってくるのだが、今は置いておこう。さて、千鶴、最近巷で鬼が出たという話を聞いたことはないかな?」
「えっと、小耳に挟んだくらいですが」
「その鬼だが、盗みに暴力沙汰と町の中で大層暴れまわったとのこと。相手が鬼であるならば、普通は陰陽寮にそういった仕事が回ってくるのだが、今回は検非違使庁が頑張ったらしい」
「それをわざわざここでお話しになるということは、めでたしめでたしでは終わらないんですね?」
「察しの通りだ。検非違使の間に何人もの負傷者が出た。それでも、さすがは京の平和の番人。一応は京から鬼を追い出すことに成功はした。しかし……」
「しかし?」
「しかし、いまだ京の東にある山、如意ヶ嶽に潜伏中とのことだ」
「え、まさか?」
「そのまさかだ。千鶴と朝に鬼退治を命ずる」
「し、信頼してくれるのは大変嬉しく思いますが、わ、私どもは陰陽生です。そういったことは晴明様のような陰陽師のお仕事ではないでしょうか?」
「そういえば、最近とみに千鶴の名前を聞くようになったな。千鶴も、そのことはよく知っているだろう?」
「あの、いい噂もあるはずなんですが……」
「だとしても、だ。千鶴が陰陽寮の名を著しく汚していることは理解しているのだろう?」
そこまで言われて、やっと千鶴は理解できた。要は千鶴に汚名を雪ぐ機会を与えているのだろう。検非違使が取り逃がした鬼を退治したとなれば、それはまさしく悪名を吹き飛ばすほどの勇名となる。ここは陰陽師になるためにも、逃す手はない。
「謹んで、その命を引き受けます」
鬼という大敵を前に多少の逡巡はあったが、このままでは退寮の憂き目にあうかもしれない。千鶴は粛々と晴明の前に跪いた。




