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「……それで、其方は我にどうしろと言うのだ?」


 実資は眉をひそめて訊ねた。その正体が何であれ、鬼火が出ていることに変わりはない。実資にとっては、鬼火は人に仇名す怪異である。故に、わざわざ場を清めることを拒否する理由が思いつかない。


「祓えと言われたなら、祓います」千鶴は弱気な口調で、小さく呟いた。


「なら、さっさと祓ってしまえ」


 実資は言下に命ずる。しかし、千鶴は言われた通りに動くわけでもなく、再び実資に向かって口を開いた。


「中納言様、その前に師輔様を許しては頂けないでしょうか?」


「何? 何故だ?」


 千鶴は返答に窮した。千鶴が何故あんなことを聞いたかといえば、現世に取り残され、彷徨う念を単にかわいそうと思ったからに過ぎない。


 第三者から見れば、そういった感想が出るのも頷けるが、呪われたとされる当人に同情を求めるのは酷な話であろう。それに気がついた千鶴は、結局ろくに返事もできぬまま、ただその場にて徒に時間を過ごす。


 その姿をしばらく見つめていた実資は、やおら大きく溜息を吐いた。


「かつて大叔父殿は我の祖父の実頼に子孫断絶の祈願をしたという。して、その呪いは我にかけられているのか、陰陽生よ?」


「いえ、そのような様子は全く見受けられません」今度の千鶴はきっぱりと言い切ってみせた。


「そうか。ならば、我のすることは、決まっていよう」


 実資は階を下りていき、鬼火の前に立った。その瞬間、鬼火は逃げるように揺らめき、そして泣き出すかのように明滅を繰り返した。実資はその急な変化に多少怯んだりしたが、足を後ろに戻すこともなく、鬼火を真っ直ぐに見据えた。


「大叔父殿か? 莫迦なことをしものよな。……だが、許そう。元々、我は気にしていなかったのだ。それに、これからはおん身の孫である左大臣道長殿とも仲良く切磋琢磨していき、お上の為、そしてお互いの一族の繁栄の為に精進していく。だから、安心めされよ、大叔父殿。我は怒っても、恨んでもいないのだから」


 ゆっくりと、丁寧に紡がれていく実資の言葉。それを聞いた鬼火は人の姿をかたどったかと思うと、嗚咽のような声を漏らし、天に昇っていくかのように消えていった。


 その後には、もう何も残らない。それは僅か一瞬の間の出来事であった。


「ど、どうなったのだ? もう終わったのか?」


 理解が追いつかない実資は千鶴に確認を取った。千鶴は実資の行動を讃えるように快活に答える。


「はい、無事に終わりました。もう鬼火は出ません。さすがは中納言様です」


 そこで実資は両手を挙げて喜ぶでもなく、いきなり腕を組み、首を傾げた。その様子は何かを言いあぐねているようでもある。何か事の運びに瑕疵かしでもあったのだろうか。千鶴は心配顔で慌てて実資に訊ねた。


「あの、どうかされましたか、中納言様?」


「う、うむ。あの時はああして格好つけてみたわけだが、我に呪いは本当にかかっておらんのだな?」


「そう見受けますが、何か心当たりでも?」


「それは……」


 と、実資が答え始めた所で、いきなり篝火かがりびが点けられた。見てみると、西宮時が甲斐甲斐しく、火を点けて回っている。そして寝殿前に明かりが広がり、皆の顔が識別できるほど光が行き渡ると、時は恭しく答えを述べ始めた。


「子宝に恵まれないのは、中納言様が他の女にうつつを抜かし、ご内儀にご心配をおかけになっているからではないでしょうか?」


 名刀の如く、バッサリと実資を斬り捨てた。鬼火は祓われ、平和を迎えた筈だというのに、何とも気味の悪い空気が、そこに醸し出されてきた。実資は咳払いを何度かすると、時から逃げるように千鶴へ勢いよく声をかけた。


「そ、そういえば大叔父殿が身罷みまかれてから随分と経つ!! それが何故今頃になって現れたのだ、陰陽生よ!?」


「それは」と、千鶴に代わって、またもや時が答え始めた。「誰の、とは言いませんが、お子ができないという苛立ちや不安が、この場にて募ってしまったからでしょう。それが先程、千鶴が言っていた陰の気です。そしてその気が師輔様の後悔の念に取り憑いてしてまったのが、此度の始まりかと思います」


「そ、そうか」


 実資が目を泳がせながら、相槌を打った。そして時はそんな実資を何らはばかることなくジッと見つめている。二人の間に、どんな謂れがあるのかは分からないが、一緒にいる千鶴は堪ったものではない。


 というか、ひょっとして藤原実資の女癖の悪さを第三者に見せつけるために、時は自分で鬼火を祓わなかったのではないだろうか。そんな考えが、千鶴の頭に過ぎった。


 だとしたら、尚更千鶴は堪ったものではない。千鶴は中納言に苦言を呈することのできる立場にはないのだから。


「あ、あの、中納言様!!」千鶴は何とかこの重い空気を変えようと、元気よく声を発した。「ご心配なようでしたら、形代かたしろをお作り致しますが!?」


「そ、そうしてくれると、助かる!!」


 渡りに船とばかりに、実資は千鶴の方に身体ごと向きを変えて、矢継ぎ早に答えた。これにて一見落着。


 実資は、そういった柔和な雰囲気を殊更作り出し、鷹揚に笑い出す。そして最後の締めに、と実資は一人頷きながら、しみじみと呟いた。


「しかし、大叔父殿も莫迦なお人よ。死して尚、後悔するようなら、最初からあのような祈願などせねばいいだろうに。やはり人間、自らを恥じ入ることのない篤実な生き方が肝要か」


 それは実資の単なる独り言だ。だけど、それを耳にした千鶴は目が開かれたかのような思いであった。


 今までの事の成り行きで、明石礼を助けたことに何となく後悔を覚えていた千鶴だが、もし彼女を助けていなかったとしたら、どうなっていたであろう。


 きっと礼はいまだ不幸から抜け出せずにいたに違いない。そして千鶴はというと、礼を前にして藤原師輔以上の後悔を抱えていたことだろう。


 死んでも悔やみ切れない後悔など、最早死以上の苦しみだ。だけど、礼を助けた今現在にある感情は、死して尚残るほど強烈な後悔ではない。きっと明日になれば、忘れてしまうような瑣末なことだ。


 それにどんな不便を被ったにしろ、明石礼を助けたことは誇りなのだ。そしてそれこそが、実資の言う何ら恥じることのない人間としての生き方なのだ。


 だから、胸を張って歩こう。千鶴は、ようやく小野宮第に連れてこられた不平不満から抜け出すことができた。


「おお!! そういば、陰陽生よ、まだ褒美を出していなかったな」


 実資はポンと拳で掌を打ち、まるで千鶴の変化を祝福するかのように陽気に声を発した。公卿たる中納言が出す褒美である。まず期待して間違いないだろう。


 明石礼を助けたことに始まり、それから回りまわって辿り着いた、ようやくの終着点。やはり彼女を助けたことは正しかったのだ。千鶴は、実資が出す褒美に胸を弾ませた。


「実はな、其方が時の部屋にいる時に、晴明からの使いの者が来て、其方の好物を教えてくれたのだ。何でも、其方はそれが三度の飯よりも好きというではないか!」


 心なしか、実資の言葉から不穏な響きが発せられてきた。千鶴の頭にも、まさか、という不吉な予感が嵐のような凄絶な勢いで告げられてくる。そして実資は両手を叩くと、どこからともなく山ほどの褒美を抱えた女中がやって来た。


「明石屋の煎餅だ!! さあ、遠慮などせずに、たんと食え!!」


 千鶴の前に積み上げられた煎餅を、実資は邪気のない笑顔で嬉しそうに勧めてくる。それを見た千鶴は「ああ、やっぱり礼を助けるんじゃなかったな~」と心の底から思うのであった。

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