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 竜宮童子は千鶴を嘲るようにニタニタと気持ち悪く笑った。千鶴がどんな愚かな願いを言ってくれるのか、楽しみで仕方がないといった様子だ。


 こんなヘラヘラした奴相手に膝を折るのは如何にも屈辱だ。しかしそれでも、明石礼が助かるというのなら千鶴が言うべきことは決まっている。


「別にあんたに願い事を言うつもりなんか全然ないわよ」


「はい?」


 予想外の台詞だったのだろう。童子の間の抜けた顔から、間の抜けた声が漏れ出た。その締まりのない様子に一つ溜飲を下ろした千鶴は、そこで童子に追い討ちをかけるように遠慮なく(きびす)を返した。


「え、ど、どこに行くの、おねえちゃん? え、友達を本当に見捨ちゃうの? え、え?」


 自分に背中を見せて去って行く千鶴に驚いた童子は、慌てて声をかけた。それを耳にした千鶴は、トンと地面に蹴り、踊るように身を浮かして、音楽を奏でるように軽快に音を鳴らす。


「礼のところよ」


「行ってどうするの?」


「ご馳走してもらった唐菓子の分くらいは働いてやらないとね」


 千鶴は見返ると、玉のように透き通った笑顔を自信満々に童子へと送った。


「そこのかわいい煎餅屋のおねえさん、煎餅を一枚下さいな」


 こっそりと礼の背後から忍び寄った千鶴は、そこにいる寂しげな売り子に向かって陽気に注文を頼んだ。声に気づいた礼が後ろを振り返り、千鶴の姿を確認すると、彼女はキョトンと目を丸くした。


 だけど驚くのはそこまでで、次の瞬間、今まで抑えていた感情が一気に溢れでるように、礼の目からは次から次へと涙が零れ落ちていった。


「ちづ、私はそんなつもりじゃなかったの!!」と、いきなり訳の分からないことを叫びながら、礼は千鶴の下へ走り寄ってきた。「竜宮童子の顔の膿はちゃんと拭き取るつもりだったの。ただその時は他にやることがあったから、後でいいやって思って……。

 でも、そしたら竜宮童子が突然いなくなっちゃったの!! ちづ、私は本当に後で拭き取るつもりだったんだよ!! 私は嘘は吐かないもん!! ちづも、そのことは知っているよね!? 

 それなのに、気がついたら、お金も、新しい家もお店も全部消えてなくなっちゃた。そのことを知ったお父さんもお母さんも倒れちゃうし、うちの煎餅を食べた人にお腹を壊しちゃった人がいっぱい出たっていうし、それに祇園社の人がうちの評判が悪くなるから、明日からはもうここで商売はするなって……。

 ねえ、ちづ、私どうしたらいい!? これから私は一体どうしたらいいの!? ねえ、教えてよ、ちづ!! 私、もう分かんないよ」


 悲愴な様子で礼はつらつらと言葉を並べ立てる。涙を誘う痛ましい姿ではあったけれど、千鶴はそれを慰めてやるわけでもなく、笑顔で礼の額を人差し指で突っついた。


「煎餅屋さん、煎餅を一枚下さいな」


「……ちづ?」


 千鶴の真意が分からず、礼は混乱する。ひょっとして自分の莫迦さ加減に千鶴は怒ってしまったのだろうか、それとも呆れてしまったのだろうか。


 そんな考えが、不安な気持ちに拍車をかけ、礼の赤くなった目には、また涙が溢れてきた。と、そこに「えい!」と千鶴が再び人差し指で礼の額を突っついてくる。


「煎餅を一枚ね」


 頭をどう捻っても千鶴の行動の意図が読めない。それにずっと悩んでいたり、泣いていたせいか、礼は疲れてしまった。何だか考えるのも億劫おっくうだ。思考を放棄した礼は、ただ言われたとおりに千鶴に煎餅を一枚渡した。


「ありがと」


 礼は煎餅を受け取ると、その小さな口で煎餅を一口齧って、丁寧に咀嚼してから飲み込む。そうしてから彼女は大きく息を吸い込み、祇園社の境内にいる人間全てに聞こえるように大声で叫びだした。


「おいっっしいいいい!!!! なに、これ!!!! さすがは安倍晴明様が好きというだけのことはあるわね!!!! おねえさん!! もう一枚!!!! ううん、もう十枚、煎餅を頂戴!!!! これは家族の分も買ってやらないと末代まで祟られるわ!!!!」


 千鶴の突拍子のない行動に、礼が面食らって右往左往していると、参道を歩いていた一人の男性が声をかけてきた。


「へー、あんの噂に名高い安倍晴明様の好物ってえの本当け?」


 男性の癖のある話し方から、遠方からやってきたのが分かる。そのことに千鶴はニヤリと嫌らしく笑みを浮かべると、いまだ当惑したままの礼に代わって元気よく答えた。


「本当よ!! 安倍晴明様の一番弟子である、この私が言うんだから間違いわ!!」


「そんじゃあ、おらも一枚、試しに買ってみるかねえ」


 その言葉を待ってましたとばかりに、千鶴は素早く煎餅を男性に手渡した。そうしてからウキウキと千鶴は両肩を弾ませて男性の答えを待つ。千鶴の期待に満ちた何とも子供っぽい仕草に絆されたのだろうか、煎餅を食べ終えた男性は思わず相好を崩して、こんなことを言ってきた。


「おう、確かにうんめえ。この塩気が丁度いい塩梅だ。んだどもよ、こりゃあ日持ちはするもんなのかい?」


「当たり前でしょ!!」と、千鶴は胸を張り、声をも張り上げる。「これは生ものじゃないのよ!! これを食べてお腹を壊す人がいるっていうんなら、そいつは騙りか何かよ!!」


「そんじゃあ、かかあの土産に、おらももう何枚か貰おうかね」


 その言葉を皮切りに、周りにいた人たちが次々と煎餅を求めにやってきた。

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