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 翌日、陰陽寮での授業は滞りなく行われたが、明石礼はやって来ることはなかった。その翌日も彼女は欠席。そしてその次の日も礼が陰陽寮に来る気配がなかった。


 あれから連絡の一つもない状況では、さすがに千鶴も不安になってくる。商売が上手くいっているのだろうか、それとも竜宮童子の件で、何か困った状況に陥っているのだろうか。


 千鶴が当て所なく礼の去就について考えていると、陰陽博士が朝の挨拶の前に、こんなことを言ってきた。


「明石礼についてですが、彼女は今週で陰陽寮を辞めるそうです」


「何故ですか!?」


 千鶴は文机(ふづくえ)を掌で叩いて、大声を上げた。お上に弓を引くとも取れる無礼な態度だが、千鶴はそれにも気づかず、陰陽博士を鋭く見据える。果たして、それが功を奏したのかは知らないが、ややあって、陰陽博士は溜息と共に答えを述べた。


「ご両親が病気で倒れられたそうです。それで親の介護と生計を立てるために陰陽寮には、もう来れないとのこと」


 それを聞き終えるや否や、千鶴は「私、お腹が痛いので、今日は早退します!!」と捨て台詞を残し、脱兎の如く、その場から駆け出していった。


 時刻はの二つ時を過ぎた頃だろうか、四条の祇園社に息も切れ切れになって、千鶴はようやく辿り着いた。途中に、礼の家を訪れたこともあってか、随分と時間は経ってしまった。日が空へ昇ってきたこの時間帯は、暖かくなり、人も賑わってくる。


 さて、探し人はいるだろうか、と千鶴が参拝客に混じって石畳の参道をゆっくりと歩いていると、案の定、明石礼がいた。彼女の格好はいつもの丁子色の小袖に戻っていたけれど、その顔には毎日見られた太陽のような明るい笑みが飾られていない。彼女は一人寂しく、寒空の中で身体を震わせながら煎餅を揚げたり、店の客引きをやっているだけだ。


 だが、結果はかんばしくなく、煎餅を買う人もいなければ、彼女に目を向ける人もいない。とても大きな店を持てるような繁盛振りとは言えない。


 千鶴は取り敢えず、礼が無事でいたことに安堵すると、彼女とは正反対の方向にある松の木の下に向かい、そこいたあどけない童の頭をいきなり大幣で叩いた。


「いった! ちょっと、おねえちゃん、いきなり何をするの!?」


 童は突然のことに驚き、怒り、千鶴に抗議した。千鶴のしたことなど、理不尽の極まりである。


 幾ら童とはいえ、彼が腹を立てるのは正当なことだ。だけど、千鶴はそんな事実に直面しても怯むことなく、勇壮に、自信を持って宣言した。


「貴方が竜宮童子でしょう?」


 その脈絡のない質問に、童は怒るのも忘れて、怪訝そうな表情を作る。


「は? なに、おねえちゃん? いきなり何を言っているの? 人違いじゃないの?」


「とぼけるようだったら、今度は本気で叩くわよ」


 童の反応を見ても、千鶴は自分の考えを改めようとはしない。それどころか、童が抱いた以上の怒りを募らせて、脅迫文句を言う。


 言葉を間違えてはいけない。千鶴の態度から、童もそう思ったのであろう。彼は観念したかのように大きく息を吐き出したかと思うと、しれっと笑みを浮かべてきた


「ふふ、正解。でも、一つ質問。どうして、僕が竜宮童子って分かったの? 僕の見た目は、前とかなり変わっていると思うんだけど?」


 確かに彼の姿は今までのものとは違っていた。いっそ汚物といってもいいくらいの醜悪な姿は消えて無くなっており、そこにあるのは利発そうな眼差しを携えた少年だ。


 肌も綺麗で、悪臭も無く、おまけに顔も人形のように目鼻立ちが整っている。これでは以前、陰陽寮で見た竜宮童子と同一視するのは、とても不可能なことであろう。だけど、千鶴は問題はそこではない、と冷めた声で言う。


「他の人たちが礼をあんなにも避けているのに、貴方がただ一人、礼を見て笑っているんだもの。そりゃあ、気がつくでしょうよ」


「あ~~、なるほどね~~。……いや、それだけ? 僕が竜宮童子じゃなかったら、どうするつもりだったの?」


「その時は、その時よ。それに友達とそこら辺の童のどちらかが大切かじゃ、わざわざ比べる必要もないでしょう?」


「結構ひどいね、おねえちゃん」


「うるさい。それと私から一つ質問。礼はどうしてあんなにまで人から避けられているの?」


「ん? あ~、あれね。あれは、あのおねえちゃんちの煎餅を食べたら、お腹を壊しちゃった人がたくさん出たんだって。今じゃ、町中の噂だよ」


「は~~?」と、千鶴は顔中に疑問符を貼り付けて言葉を返す。「煎餅よ、煎餅。それも油で揚げたやつ。生ものでもあるまいし、何でお腹を壊す人が出てくるのよ」


「まぁ、実際には、そんな人はいないね」


 ケラケラと童子は人を馬鹿にしたように笑ってくる。人間を侮蔑し、心底見下しているような感情が露骨に伝わってくる不愉快な笑顔だ。


 大幣を握る千鶴の手には、反意を示すかのように思わず力が入った。だけど、それに気がついた童子は反省することもなく、面白いものを見つけたと逆に笑みを深めて、まるで千鶴を試すような物言いでからかってきた。


「おっと、陰陽師の見習いのおねえちゃん、僕を退治する気? それってひどくない? 僕は何も悪いことはしてないよ。煎餅のおねえちゃんは僕の能力を知っていたんだよ。その上で、僕に願い事を言ってきたんだ。お金を頂戴、家を建てて、お店を繁盛させてって。勿論、僕はその全てを叶えた。そしてその代償が何かは、おねえちゃんたちは知っていたよね。知った上で、あの女は僕を拒絶したんだよ。これって僕に非があること? 事前に了承済みの約束の通りに僕は行動して、そこからは僕は決して外れることはなかった。彼女の両親が倒れたのだって、単にお金が無くなったことに驚いて、自失状態になったってだけだ。どう考えても、悪いのはあの女だよね? 僕は間違ったことを言っている? ねえ、答えてよ、おねえちゃん」


 竜宮童子は千鶴の顔を間近で覗き込みながら、嫌らしく口角を吊り上げた。何とも腹の立つ仕草ではあるが、童子の言うことは理にかなっている。


 彼の言い分に否定できる要素はない。明石礼の現状は、まさしく自業自得なのだ。だけど、童子を責める理由がないからといって、礼をそのままにしとけるわけでもない。千鶴は毅然と童子を見据えて答える。


「確かに濡れ手で粟というわけにはいかないし、人生のどこかでそういった教訓は必要になるんでしょうけれど、貴方のしたことは幾ら何でもやりすぎよ。礼はあんなにまで追い詰められるほど、悪いことはしていない」


「へ~~、それじゃあ最初の質問に戻るけどさ、一体僕をどうするの? 退治しちゃうの? ハハハ、馬鹿みたい。今更、僕をどうこうしたところで、お金なんか戻ってこないよ。残念ながら、煎餅のおねえちゃんは、あのまま。それが彼女の支払うツケってやつだよ、おねえちゃん」


「はぁ」と、千鶴は呆れたと言わんばかりに大きな溜息を吐く。「賢いと思って、そんな口ぶりをしているんでしょうけれど、さっきから貴方は随分と勘違いしているわよ。私は最初から貴方をどうこうするつもりなんてない。私はただ貴方がここにいるって気がついたから、声をかけただけ」


「ふぅん、でもそれじゃあ、煎餅のおねえちゃんはどうするの? このまま放って置くの? 本当にひどいね、おねえちゃんは。友達なんでしょ? 何だったら、僕が彼女を助けてあげようか?」


「何もできないんじゃなかったの?」


「僕一人では何もできないよ。だけど、おねえちゃんが僕に願ってくれれば、話は別。それが竜宮童子である僕の能力さ。さあ、願い事を言ってごらんよ、おねえちゃん。そうすれば、僕はたちどころにあの女を助けてあげられるよ」


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