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 その時、恐怖が老夫婦の二人に伝達していったのを、神部かんべ千鶴ちづるは理解した。千鶴たちの他には誰もいない家の中で、パキ、ピキと音がいきなり鳴り響いたのだ。


 まるで生まれたての赤子が自分の存在を周りに知らしめるかのように、その音は大きく、不気味に耳に残る。気のせいだと誤魔化すには、あまりに無茶な存在感であった。


 時間は夜半のこく。人は、とうに寝静まっている。それにわざわざ盗人が来るような品物は、この小さな家には置いてあるようにも思えない。


 揺らめく炭櫃すびつの炎に照らされた老夫婦は、その顔に映った不安の色を隠すことなく、千鶴へと視線を送る。その意味に気がついた彼女はハァ、とほんの少しだけ溜息を吐くと、彼らに代わって周りを見渡してみることにした。


 天井は低く、はりも大の男が手を伸ばせば届きそうな所にある。そこは暗くはあるが、炎によってぼんやりと映しだされているため、誰かが隠れるのはやはり無理なようだ。


 今度は四方を取り囲む、くすんだ色の壁に目を向けてみる。壁といっても、そこは単に板を立てただけのもの。おまけに作りは粗雑さで、板と板の隙間からは風がひっきりなしに吹いてくる。


 千鶴は、幼さの残る顔を緊張によって引き締めると、炭櫃のそばから立ち上がり、風で揺れ動く板を手で押さえてみみた。だけど、それによって止まった音と振動とは裏腹に、依然と怪しいさざめきが家の中で鳴り響いている。どうやら壁が家鳴りを発しているというわけではないらしい。


 ピキ、パキ、と千鶴の思考を遮るように、再び音が聞こえてきた。断続的に続く、その家鳴りは夜毎に訪れるという。


 恐怖と不安でいっぱいになった家の主である老夫婦は、とうとう千鶴に「助けて下さい」と泣きついてきた。その体裁を省みぬ二人の姿は、どこか滑稽であったが、千鶴は笑うでもなく「大丈夫です」と明るく、そして優しく答えた。


 白を基調とした水干すいかんに、緋色の袖くくりの緒と緋袴ひばかまの巫女装束に身を包んだ神戸千鶴は陰陽生おんみょうしょう、つまり陰陽師の卵である。


 いまだ、彼女は陰陽師の位に至るものでないが、その実力は齢十五にして、確かなものと自他共に認めるところ。事実、彼女の顔は家鳴りという怪異を前にして、何らかげるところはない。


 鈴を張ったかのような目は毅然と前を見据え、濡れたように艶のある唇も震えることなくキリッと結ばれている。そして千鶴は自らの長く、豊かな黒い髪を、両手でかきあげ、それを緋色の元結もとゆいで後ろにきつく纏め上げると、小さく「よし」と声を上げた。


 炭櫃の火を一つ貰い、蝋燭ろうそくに移すと、千鶴はそれを片手に真っ直ぐと台所へ歩みを進めていった。その足取りに迷いはない。


 どうやら彼女は最初から家鳴りの原因に当たりをつけていたと見える。そしてそれを示すかのように、千鶴が蝋燭の明かりをぼんやりと台所に照らすと、途端に家に響いていた音が消えてなくなった。


「千鶴様、もう怪異は収まったんで?」


 千鶴の後をおそるおそる付いてきた老夫が声を強張らせながらたずねた。千鶴は気を緩めてはならない、とすぐに首を振って答える。


「いいえ、まだです」


 彼女がそう答えると同時に、家全体が小刻みに揺れだした。千鶴が一歩、また一歩足を進めると、それに呼応するかのように揺れは次第に、次第に強くなっていく。


 歩みの先にあるものは、これ以上千鶴を近づけさせまいと威嚇を行っているのだろう。家の暗がりから発せられる明確な悪意は、確かな圧力で以って、家の中にいた人間たちの肩に降りかかる。


 その威圧に、千鶴の背中を見守っていた老夫婦は、最早声を上げることすらできずに、たちまちひれ伏すようにその場に座り込んでしまった。


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