イトウカナエの過去
「いやー、すまないな。みんなで同人誌を読んでたら酔ってしまってよ」
「なかなか良かっただろ!?」
須郷先生の指示で部屋で待機しているように言われ、部屋で待機している最中である。
そして今、俺たちの部屋では同人誌について熱く語られている。
関がバス酔いをした原因は鏡屋たちが話している同人誌だった。
あまりにも理由が恥ずかしくて、担任にどう伝えようか絶賛考え中である。
『...ん?』
変な違和感を感じた俺は鏡屋たちの話に耳を傾けていた。
すると、聞きなれない声が聞こえてくるではないか。まさか・・・と思い俺は視線を奴らに向けた。
「なんだ?」
「こっち見んな」
「...」
どうやら部外者である俺には見られたくないようだ。
『...俺の気のせいか』
これからのスケジュールを確認しようと立ち上がったときだった。
「おええええええええ」
トイレから断末魔が混じった声が聞こえてきた。
『...先が思いやられるな』
関がトイレから出てきたと同時に担任がやって来た。
「えーと、君たちは...」
成すがままに担任に着いていく。
本来ならば自然観察をしているはずなのだが、関のせいで俺たちの班は、他の班とは別行動を強いられていた。
気が付くと、そんな俺たちの班は調理室にいた。
「おい、こっちの台、人参が一本足りないぞ!」
「わかった」
「おい、てめえボケっとすんな!働け!」
「...」
「病人だから仕方ないだろ」
「................おえ」
俺たちの班に与えられた仕事は夕食の素材を準備することだった。
準備をすると言っても、採ってきたり買ってくるわけではない。
ただ、ダンボール箱の中から取り出して各調理台に持ってくだけである。
本来ならば宿舎に残った先生方がやる仕事らしいが、どうも人手が足りないらしく俺たちの班に白羽の矢が立ったというわけだ。
作業内容自体はシンプルなので自然観察よりは楽だと思っていたが、なんせ全クラスの分を準備しなければならないため、結果的には重労働だった。
それでも俺たち5人・・・いや、4人はお互いに協力?をし、約一時間かけて無事に作業を終えた。
与えられた仕事を無事に終えた俺たちの班は、他の班は絶賛自然観察中のため自由行動となった。
鏡屋と菅、関は部屋に戻ると言ってそそくさと行ってしまった。一方、俺は気になっていた場所へ足を運んだ。
-宿舎のロビー
ロビーには幾つかのソファが置かれており、天井は吹き抜けとなっている。
また、窓はガラス一面になっているため、目の前に広がる大きな湖を一望することができる。
「まさか、湖があったなんてな...」
それだけではなく、外にはラウンジのようなものがあり、大きな湖を間近で見ることができる。
ここまで開放感のあるロビーは初めてだ。
恐らく、夜になるとここは沢山の人で溢れかえるだろう。
だから、騒がしくなる前にこの場所へ足を運ぶことが出来て良かったと思う。
今は、この開放感のある素晴らしい場所を一人いじめすることが出来るのだから。
大きな湖を間近で一目見ようと、俺はラウンジへ続く入り口を開け、外へ出た。
-ラウンジに人影があった。
ラウンジに出ると一人の人影があった。その人影に近づいてみると、伊藤だった。
「伊東も来ていたんだな」
そう言いながら俺は彼の横に座った。
「楓馬くんも」
「...?」
雷に打たれたような衝撃が俺を襲う。その驚きのあまり、俺は硬直してしまった。
『え、ええええっ!!』
彼は、そんな俺を見て少し笑みを浮かべる。
「...驚いた?」
俺は何度も首を縦に振る。
普段から話さない、いや、話していても聞こえないことから無口キャラとして定着していた彼が、いま、こうして俺の前で普通に話している。あろうことか、イケボである。
「実は僕っておしゃべりなんだよ?」
俺に追ううちをかけるように、彼はカミングアウトをする。
イケボな上に、おしゃべりなキャラと予想だにしていない設定が突如として俺の前に現れて・・・
ただ、ただ、唖然としていた。
「びっくりした」
「あははは、そうだよね。その、驚かせてごめんね?」
彼は、なんて爽やかな笑顔で謝る。
『こんなキャラだったっけ?』
最初見たときから整っていて綺麗な顔をしているなと思っていたが、ここまでイケメンだったとは・・・
しかも、顔だけじゃなくて仕草とかの雰囲気が、その、イケメン独特の雰囲気だ。
それにしても普段とのギャップがありすぎて辛い・・・もう惚れてしまいそうだ。
『...俺、ギャップに弱いんだよな』
「...どうして、無口なキャラを演じているんだ?」
彼なら陽キャどころか、クラスの人気者になれる。
きっと、彼なら校内の人気ランキング上位にランクインすることだって出来る。男女からモテモテで困り果てるだろう。それなのに、どうしてあのようなモテない地味なグループに身を置いているのだろうか。
「それはね...」
彼の反応からして少し踏み入った質問をしてしまったと後悔をした。彼に謝罪を入れようとした時だった。
「...余計なことを言わないため、なんだ」
彼は答えてくれた。
「余計なことを言わない...?」
「うん。これは僕が悪い話なんだけど...」
-そう切り出すと彼は、自身の昔話を始めた。
僕が産まれた時、母はまだ学生だった・・・
僕は、僕の母が高校生のときに出来た子供で、相手は母の通っていた塾の先生だった。
妊娠が発覚した母は、学校を中退し、塾の先生とできちゃった婚をした。
それは、二人が望むような形ではなかったが、それでも両親は幸せだった。
・・・だけど、そんな幸せな日々は徐々に終わりを迎えていく
僕が小学生になった頃のことだった。
母が家に帰ってこない日があった。最初は、仕事か何かで何処かに出張をしているものだと思っていた。
実際、父もそう言っていた。
だけど、母が戻ってこない日が度々増えるようになった。それと同時に母と父が言い争うことが増えた。
遂には父は母に手を出すようになった。その度に母は頬を押さえ、泣いていた。
最初の頃は母が可哀想だと父に食いついていた僕だったが、それは間違いだと後になって気が付いた。
そして、遂に母と父の関係が壊れる事件が起こった。
-それは僕が児童館のイベントで帰りが遅くなった日のこと
帰りが遅くなってしまった僕は近道をしようと学校の駐車場を横切ろうとしていたときだった。
学校の駐車場に母らしき人と僕の担任らしき人が密着している様子が、僕の視界に入った。
見間違えかと思ったが、母らしき人の声が聞こえたため、僕は何かお話でもしているのかと思い、近づいた。
すると、お尻を突き出した母に覆いかぶさる担任の姿が目の前に広がった。
「あ、あ...か、かなえっ!?」
「は、はぁ...かなえくん!?」
「お母さん...?先生...?」
思い詰めた二人の顔を見た僕は、何か見てはいけないものを見た気持ちになり、全力でその場から逃げ出した。後ろから母の叫び声と先生の怒号が聞こえたが無視した。
家に着くと、息が上がった僕を見て父が不思議そうな顔をしていた。
僕は、父に見た光景を全て正直に話した。すると、父は凄い剣幕で家を飛び出した。
その日、二人とも家には戻ってこなかった。
-僕は親族に引き取られることになった
両親のもとから離れる僕に母と父は揃ってこう告げた。
「余計なことを話して...」
「お前は喋りすぎだ」
僕は親族のもとから中学校に通うことになった。
中学一年の時、僕の一言でクラスの仲が裂かれる事件が起こった。
その時もクラスメイトに両親と同じようなことを言われた。
両親のことや学校に居場所がなくなったため、僕は引き籠るようになった。
「そして、ネットに居場所を見出した僕は、とあるゲームでコトっち、ダイっち、リュっちに出逢った」
最初はゲーム内の関係だけだった。
でも、ある日、リュっちがいきなり、「俺、来年、高校受験するんだぜ」なんてカミングアウトした。
それに便乗した皆が、同じくカミングアウトしたんだ。
僕は嬉しかった。ゲーム内だけだった存在が本物になったような気がしたから。
それから、ラインを交換してゲーム内ではなくラインで直接やり取りを交わすようになった。
「でも、どうして同じ高校を受けることになったんだ?」
「コトっちが言い出したんだ。...みんなと青春したいって」
彼のことは全くって言って良いほど知らないが意外だった。
そんなことを言わそうな奴なのに・・・
「意外でしょ?...コトっちはああ見えて強くないからね。僕たちの中で一番、小心者だよ」
『これも人は見かけによらずってやつか』
「そうだったのか」
「うん、そうだよ」
そう言うと伊藤は立ち上がった。
「じゃ、そろそろ僕は戻るとするかな」
「...あ」
「どうかした?」
「...どうして俺に話したんだ?」
彼が話した過去話は、俺にとっては出来れば人に知られたくない内容だった。
でも、彼は何か隠すような素振りなく話してくれた。それはなぜか・・・?
まともに話したこともない俺に教えてくれた理由は・・・?俺はそれが知りたかった。
「...きっと、楓馬くんは僕たちと合うと思ったから、かな?」
「どうして、そう思うんだ...?」
「楓馬くんは優しくて友達想いな人だと思ったから、だよ」
彼は微笑んだ。・・・それは、嘘偽りのない笑顔だった。
「...そっか、ありがとう」
『...俺は、伊藤が思っているような人間じゃない。
親友を殺めてしまうほど、どうしようもなく醜くてっ!...汚い...最低な人間だ』
うん、と頷くと彼は踵を返す。
中へ戻るドアのドアノブを掴んだ時だった。突然、彼が振り返った。
「あ、言い忘れていたけど、僕たちにとって二次元は特別な存在なんだ。
二次元は、僕たちが初めて出会った場所。それに僕たちが集めるきっかけをくれた。
きっと、同じ受験生という繋がりじゃここまで来ることが出来なかった。
アニメやゲームといった共通の趣味があったからこそ、ここまで来ることが出来たんだと思う。
アニメやゲームというものは世間に白い目で見られがちなのは理解している...
だから、楓馬くんに否定されるのが怖くて、コトっちたちは強く当たってしまうんだ。
否定されるくらいなら自分たちの領域に踏み入れさせまい、と...
その...楓馬くんがアニメなどの二次元についてどう思っているのかはわからないけど...
どうか、彼らの前だけでは否定しないでほしいっ!!」
「...ああ、わかった」
そう答えると、彼は満面の笑みを浮かべた。
「ありがとう」
その笑顔は俺には眩しすぎた。
友達のために頭を下げ、友達のために心の底から感謝できる...彼にはそんな【本物】がいるのだ。
きっと、他の人達も伊東のために頭を下げ、伊東のために心の底から感謝するのだろう。
それは俺にとって心の奥底から欲しがった【本物】だった。
『白い目で見るものか...それどころか、眩しすぎて目を伏せたくなるくらいだ』
中学時代のときに彼らのような人と出会っていたら・・・
俺は・・・
賢治は・・・
・・・少しは違う運命を辿っていたのかもしれない・・・