幸せの調整説
-いつものように学校が終わる
班長会議もいよいよ今日と明日で終わりを迎える。
明日は宿泊研修の最終確認のため、実質的に班長会議らしいことをするのは今日で最後である。
いつもの教室へ向かう。相変わらず、過半数の班長が集まっていた。
何やら数人が進行役の人の人達と話をしていた。時折、こちらを見ていた。
俺は、そんな奴らを横目に自分の定位置に腰を下ろした。
『わかりやすい奴らだ』
奴らの話している内容は大方の予想が付く。どうせ山吹のことだろう。
彼女にも彼女なりの事情がある。それを考慮できないなら進行役失格である。
昨日の彼の行動から、周りが良く見えた奴だなと感じていたが、それは勘違いだったようだ。
結局、山吹がギリギリでやって来て、会議が早めに始められないという表面的なことしか見えていない奴だった。
そんなことを気にしても意味がないと思った俺はスマホを取り出した。昨日と同じように山吹からメッセージが届いていた。
《今日も掃除でギリギリになりそうです》
わかった、とだけ返事を入れる。
特にすることもないのでニュース記事を確認する。今日も日本各地では様々な事が起こっていた。
『政治家の闇金問題ね...』
気が付くと開始十分前だった。
準備をしようと鞄から筆記用具を取り出そうとしたときだった。
『ない』
鞄のどこを探しても見当たらない。今日は移動教室がない日なので、あるとしたら教室の中だ。
すぐさまに教室をあとにした。
放課後の廊下は人通りが少ない。これなら誰かにぶつかってしまう危険性もない。
-全力疾走で廊下を通り抜けていく
会議に遅れることはできない。ただでさえ、一緒にいる山吹が白い目で見られているのに。
それに・・・山吹の味方がいなくなってしまう。
無事に教室の前まで来ることが出来た。久しぶりの全力疾走で息が上がっていた。
呼吸を整え、閉まられたドアを開けようとしたときだった。何やら教室の中から物事がしていることに気がついた。
『誰か残っているのか...だとしたら嫌だな...でも、会議が...』
そんなことを言っていられない俺は、思い切ってドアを開いた。
開けた瞬間、目の前に広がっている光景に俺は啞然とした。そして、無意識のうちに声出ていた。
「お、おまえ何してんだっ?」
驚きを隠せない俺に対し、彼女は平然と答える。
「あ!...掃除をしているんです!」
その瞬間、彼女が掃除ごときで遅れる理由が分かった。
最初は、班員がさぼっている、掃除する場所が思った以上に大変だった、掃除を丁寧にしている。
後者になればなるほど可能性が薄れていく。
俺が導き出した考えはこうだった・・・班員がさぼり、残った一部の者だけで掃除をしている。
それなら、教室掃除であれば多少時間が掛かってしまっても可笑しくはない。
-そんなのは甘い考えだった
現実はこうだった・・・山吹がたった一人で掃除をしている。
思わず何かの罰ゲームなのかと思ってしまったが、それは違った。
「ほ、他の班員は?」
彼女は手を止めずに答える。
「帰りましたよ??」
「も、もしかして毎日こうして一人で...掃除を?」
「はい、そうです!」
毎日、毎日、こうしてたった一人で掃除をしていたのか。
「どうして、お前は...?」
「友達、に頼まれたからですよ??」
友達に頼まれたから...
「嫌じゃないのか...?」
「はい、別に嫌だとは思いません...だって、頼られているんですから」
『なぜ...?』
俺は疑問を抱いていた。
それは、彼女の理由に対してではなく、彼女自身に対してだ。
例えば、自分以外の班員に何かの用事があって、掃除を一人でやってくれと頼まれたら、普通は文句を言いながらするだろう。例えそれが一日だけだとしてもだ。お人好しの人でさえ、良い気にはならないだろう。
だが、彼女の場合は暴言や悪口を一切言わない上に、毎日・・・続けていた。
あろうことか、頼られているんです、と少し嬉しそうな表情まで見せていた。
『わからない...』
周りから見れば、こんな状況は異常だ。
こんなのは友達なんて呼べない・・・ただのパシリではないか・・・
彼女は、そのことに気が付いていないのかも知れない。
めんどくさいことを押し付けられているのにも関わらず、彼女はそれを頼られていると勘違いしているのに違いないと俺は考えた。
『それ以外...あり得ない』
まるで、自分に言い聞かせるように心の中で呟いた。
-それからのことは良く覚えていない
ただ、これだけは言える・・・俺は彼女を避けるようになった。
-土曜日の早朝
「お兄ちゃん!お兄ちゃん!」
顔を何か生暖かいもので覆われている感じがする。
少し湿っているような、いないような・・・取り敢えず、鼻呼吸が上手く出来ず、苦しい。
「っぶっはっ!!」
肺に溜まっていた二酸化炭素を一気に放出する。
「うっわ!」
妹が声を上げたと同時にドンと何かを打ち付けた音がした。セーラー服を着た妹が頭を押さえ、悶絶していた。
「なにしてるんだ、お前?」
「えへへへ、お兄ちゃんを起こそうとしてた」
妹とは絶賛喧嘩中だったが・・・こいつにはそんなこと関係ない。
こんな風に毎朝、俺の部屋へわざわざやって来て俺を困らせる・・・じゃなくて、起こしてくれる。
俺が高校生になってから一度も欠かしたことがなかった。
「それで、さっきの感触はなんだ?」
あの生暖かい感触・・・忘れようにも忘れられない。
俺は妹の目を見て尋ねる。
「わ、た、し、の、パンツ」
と少しばかり目を逸らした。これは嘘だと分かった。
妹が微妙に目を逸らすときは嘘をついている証拠だ。
「...」
俺が何も答えずに無言でいるとどうしようもなくなったのか、自ら白状した。
「今日からお兄ちゃんは丸一日、私と会えなくなるから、私に会えなくて寂しくなるだろうと思ったのでマーキングしていました」
『マーキングの意味が少し違うような...』
「それと、セーラー服を着た女の子に顔面を踏みつけられるっていう特典付きだよっ!」
スカートの端をもってヒラヒラさせている。
「匂いなんて風呂に入れば消えるし、俺はそんな性癖は持ち合わせていない」
「ふーん、私に会えなくて寂しいってところは否定しないんだ~」
「ん?そんなことを言っていたっけ?...お前」
これは演技ではなく素で忘れていた。
マーキングというパワーワードに気をとられていたせいだろう。
「お兄ちゃんのばか!!」
そう言うと全速力で部屋から出ていった。
「騒がしい奴だ...」
制服に着替えようと寝巻きを脱ぎ、パンツ一丁の姿になった瞬間だった。
ドタバタと全速力で階段を駆け上がってくる足音が聞こえた。
その足音は勢いを弱めることを知らずに俺の部屋までやってくる。
ドン、と勢いよくドアが開けられた。
「お...」
「...お?」
妹は俺の姿を見て硬直してしまった。
「お兄ちゃんのばか!!おはよう!!」
そう言うと行きと同じような勢いで一階へと消えていった。どうやら、朝の挨拶をしに来たようだった。
「...おはよう」
走り去っていく妹の背を見つめて言った。
そんな騒がしくてうっとしいくも愛おしい妹に別れを告げ、俺は家を出た。
こんな早くに家を出たのは初めてだった。
いつもすれ違う学生や犬の散歩をしているお爺さん、朝から洗濯物を干しているお婆さんの姿がなかった。
時間が違うだけでこんなにも景色は変わるのだと少しばかり感動していた。
そして、あのY字交差点が近づいてくる。
『頼むから...鉢合わせないでいてくれ...』
俺の祈りが通じたのか彼女と鉢合わせになることはなかった。
学校に着くと既に沢山の一年生が集まっていた。あちこちから話し声や笑い声が聞こえてくる。
みんな、これから始まる宿泊研修に心を躍らせているのだろうか。
-予定の時間になる
バラバラに散らばっていた生徒達がクラス毎に集まり、各クラスの担任による点呼が始まった。
「以上40名。えーと、みんな来ていますね...では、えーと、バスに乗ってください」
須郷先生による点呼が終わり、それぞれがバスに乗車していく。
楽しみだなー、酔いそうー、などとはしゃぎながら、クラスメイトが次々に乗車していく。
隣に座る友達もいない俺はみんなが乗り終わるまで外で待機していた。
こうすれば自然と空いている席に座ることになるので無理に誘うこともしなくてもいい。
それに、前の方は人気がないため一人で二席を使うことができる可能性が高い。
「あ、えーと、言い忘れていましたが一人一席でお願いしますね」
俺のたくらみは一瞬で打ち砕かれた。
『そういう大事なことはもっと早くに言ってくれよ』
俺の隣に誰か座ることが確定した。
女子だけは勘弁して頂きたい。変な気を遣ってしまう。この際、女子以外なら誰でも良い。
運転手側の前から二列目の窓側の座席に腰を下ろした。窓から外の様子を見ていた時のことだった。
「隣、良いかしら?」
後ろを振り向くとハーフの美少女が立っていた。
『よりによってこいつかよ...』
俺が最も嫌っている女子グループの一員であった。
そして、山吹のことをパシリのような扱いをしている一人でもある。
「...ああ、どうぞ」
俺の横がよりによって嫌っているグループの一員で不愛想な反応をしてしまった。
その上、彼女が一人でいることに驚き、少しばかり反応が遅れてしまった。
そのせいか彼女は少し眉をひそめた。どうやら、俺の態度がお気に召さなかったらしい。
「それじゃ、失礼するわ」
そう言うと俺の横に腰を下ろした。金色の髪の毛が視線に入り、気になって仕方ない。
彼女を横目に見ると、何やら小説を読んでいた。ちなみに俺は乗り物酔いしてしまうので本とか読むことはできない。それに他の人が呼んでいるのを横で見るのも耐え難い。
だから、俺は窓の外を強制的に見させられる。
『...最悪だ』
隣に嫌いなグループのメンバーが座るだけではなく、俺の苦手なことを平気にしてくる。
ここまで来ると、【幸せの調整説】を疑わずにはいられない。
【幸せの調整説】とは俺が勝手に考え、作り出した諸説のことで、幸運なことや願いが叶ったあとは、それに相応しい不幸なことが起きたりするというものだ。
今朝の俺は幸運に恵まれ、山吹に出逢うことなく学校へ来ることが出来た。
しかし、今の俺は不幸なことに嫌いなメンバーに嫌がらせを受けている。
ほら、納得しただろう?・・・きっと、このような体験をしたことがある人は少なくともいると思う。
気が付くとバスは周りに畑しかないような道を走っていた。変わらない景色に眠気が襲ってきた。
「...着いたわ。...はぁ、起きなさい」
「...ん、んん?」
目を開けると目の前に金色の髪に青い瞳をした美少女が俺のことを覗き込んでいた。
どうやら、あまりにも退屈だった俺は寝てしまっていたらしい。
そして、目的地に着いても起きないため、隣の美少女に起こされてしまったのだろう。
「...起こしてくれて、ありがと...」
上半身を起こそうとしたときだった。ドサッと床に何かが落ちる音がした。
「あ、悪い」
落ちたものを拾おうとすると・・・
「ひ、拾わなくていいっ!」
そう言って、彼女が俺の腕を掴む。
彼女がすごい剣幕で食って掛かってきたため、俺は素直に腕を引っ込めた。
『...なんだ?』
気になった俺は彼女が拾う瞬間を横目で見ていた。
『...まじか』
-全員がバスから降りると担任による点呼が始まる
みんな、これから始まる宿泊研修に胸を躍らせる。
担任が点呼を取っているというのに、小学生のように騒いでいる。
「えーと、関?」
名前を呼ばれても反応がない。少し遅れて菅が叫んだ。
「先生~!リュウは酔ってトイレに行きましたっ!!」
「わかりました」
『...あいつって酔うのか』
「えーと、荷物を置いた班から、ここに集まってください。えーと、楓馬くんの班だけ部屋で待機していてください」
-という感じで一泊二日の宿泊研修が始まった。