班長会議
-次の日
「お兄ちゃん。お兄ちゃん」
微かに聞こえる。
「お兄ちゃん。お兄ちゃん」
俺の腹あたりで何かがうごめく。
微かに人の温もりを感じられる。
「お兄ちゃん。お兄ちゃん」
俺のを呼ぶ声が耳元で聞こえる。
「お兄ちゃん。お兄ちゃん。朝だよ。起きて」
目を覚ますとパジャマの前をはだけさせている妹がいた。
見えそうで見えない乳首。何とも言えないエロスだ。
これが妹でなければ襲っていただろう。だが、妹だと興奮すらしない。
それどころか、俺は朝から何て醜いものを見せられているのだろうか、と気分を害してしまう。
「ったく、お前は何してんだ」
「こんな格好して起こしたら、お兄ちゃんなら興奮しちゃうかなって」
『それどころか。...お兄ちゃんは悲しいよ!こんな変態な妹に育ってしまって』
など言うとまた拗らせてしまう危険性があるので心の中にしまっておく。
何があろうと自分の妹に興奮することなんて絶対にない。
実際に妹がいる人には分かるだろう。
妹に性的興奮を抱くことは決してあり得ない。アニメや小説の世界とは大違いだ。
あれは二次元だから許されるのである。
「んなわけあるか。妹に興奮する兄なんてどう考えてもやばいだろ」
そう言うと頬を膨らませる。
「もう、お兄ちゃんの馬鹿!」
これが妹じゃなかったら恋に落ちているんだけどな。残念だ。
「はいはい」
と軽くあしらう。
そんな俺を見て潮時だと感じたのか急に素に戻る。
「ご飯できてるよ。お兄ちゃん」
と笑顔で言う。
こいつの切り替えの速さにはいつも驚かさせられる。
「わかったよ」
そう返事すると妹は部屋から出ていこうとする。
扉を開けて出ようとしたとき、振り返る。
「あ、言い忘れてた。おはよう、お兄ちゃん」
と微笑んだ。
真面目なんだが不真面目なのか分からない奴だな。あいつは変なところはしっかりとしているよな。
それから俺は着替え、朝食を済まして学校へ向かった。
家を出る際に妹の叫び声が聞こえた気がしたが聞こえなかったふりをする。
-いつものように時間が過ぎ、放課後を迎えた
そして、いつもはすぐ家に帰るのだが今日からは違う。なぜなら班長会議があるからだ。
色々と事情があり、自ら進んで絶対にやることはないであろう班長という役職持ちになってしまった。
例えるなら・・・そう社会人みたいなものだ。
社会人になると、おそらく誰もが出世を夢見るはずだ。いつか役職持ちになると・・・だが、俺はそうは思わない。
なぜなら、役職持ちになると必然的に責任という名の爆弾を背負わされ、あろうことか部下たちの爆弾さえも背負わされてしまう。そんな厄を誰が好んで引き受けるというのだろうか。
・・・死と隣り合わせになるくらいなら、俺は一生平でいい。
でも、なってしまった以上、全力で義務を果たすとしよう。
-指定された教室へ向かう
予定時間よりも早く来たつもりだったが既にたくさんの班長が集まっていた。
『みんな凄く張り切っているな...次からはもっと早めに来よう』
適当に窓側の端の空いている席に腰を下ろした。
それから十分くらい待っただろうか。
あと一分くらいで会議が始まるという時間にガラガラと扉が開き、一人の生徒が慌てた様子で入ってきた。
その人は山吹だった。そして、不覚にも目が合ってしまった。
『頼むから、来ないでくれ』
そんな俺の願いは天に届けられず・・・彼女は俺の横の席にやってきた。他の人の視線が痛い。
彼女は腰を下ろすなり、大きなため息をついた。その様子を横目で見る。
-なぜか彼女は汗だくで息が上がっていた
このときの俺は急いでいたのだろうと深く考えることはなかった。
会議の内容は実にシンプルなものだった。宿泊研修の大まかな説明と、今後の班長の動きについてだった。その上、進行らしき人が全て進めてくれたため、ほとんど何もすることなく班長会議は幕を閉じた。
『こんな感じに残りも終わってくれれば良いんだが...そうはいかないんだろうな』
残って何やら話し合う者、そそくさ教室をあとにする者が忙しなく動きだす。
この流れに乗って帰ろうとしたとき誰かに呼び止められた。
この中で俺のことを呼び止める者は恐らく一人しかいない・・・
「あ、あの!」
返事はせずに振り返る。
スカートの端を強く握りしめている女子が立っていた。
「私のこと覚えていますか?」
忘れるわけないだろう入学式当日に友達になってくださいってお願いしてくる奴を。
あれは、人生で初めての経験だったから鮮明に記憶に起こっている。
「うん」
「よかったです!あなたも班長だったんですね」
先程まで恥じらっていた表情から一気に笑顔に変わった。
「うん」
「ですよね!」
『え、なに、おちょくってんの?』
もしかして、こいつ俺と同じでコミュニケーション能力がないのか・・・
「わたし、嬉しいです!」
気まずい空気になることを悟ったのか、間髪入れずに言う。
『ふーん、そうなんだ』
そんな風に言われると悪い気はしない。例え、お世辞だと分かっていても・・・
「さっき教室に入ったとき知らない人しかいなくて...
でも、あなたがいて...知っている人がいて、助かりました」
山吹は胸あたりに手を置いて言う。本音なのかお世辞なのか読み辛い人である。
「そうなんだ」
「あ、あの、もし良かったら一緒に帰りませんか?」
「え、あ...」
『え、なに、このラノベ的展開は!?』
あまりにも唐突すぎる展開で俺は困惑していた。
「ダメですかね...?」
別に断る理由もない。それに帰り道がY字交差点まで一緒だ。
「べ、別にいいよ」
俺は彼女の提案を承諾した。
そして俺たちは一緒に学校を後にした。グラウンドから元気の良い声が聞こえてくる横を過ぎていく。
そのグラウンドの様子と俺たちの様子は対象的なものだった。
俺は時々後ろを振り返り、ちゃんとついて来ているか確認する。
『気まずい』
一緒に帰ることになったのは良いのだが、お互いに黙り込んでいる上に何故か俺の後ろを付いて歩いてくるだけだった。これでは一緒に帰っていると言えるのだろうか。
取り敢えず、この空気をどうにかしようと何か共通の話題を探してみるが、俺はこいつのことをあまりにも知らなすぎるため、思い浮かばない。
聞こえてくるのは、彼女の足音、カラスの泣き声、自動車の騒音に少女の罵声だけだった。
結局、お互いに何も話さないままY字交差点まで来たときだった。
急に彼女の足音が止まった。俺は振り返る。
彼女はスカートの端を強く握りしめていた。
「あ、あの、今日は、そ、その、ありがとうございましたっ!」
そう言うと彼女は走って俺と逆の道を行ってしまった。
「じゃあな」
遠ざかっていく彼女の後姿を眺めながら小さく呟いた。
-家に帰ってきた
玄関のドアを開けるなり妹が仁王立ちしていた。
「お兄ちゃん?」
まるで怒っているような口調だ。
「なしたの?」
「怒っているの」
妹が怒っている理由がさっぱり分からない。
俺が何をしたと言うのだろうか。理由もなくイライラしている・・・はっ!
女の子が理由もなく苛ついている原因は一つしかない。
「生理?」
どうやら俺はデリカシーがなかったらしい。
たった二文字の一言で妹を多少傷つけてしまったらしい。
「違うからっ!?...お、お兄ちゃんの馬鹿っ!!」
そう言うと走って二階へ消えてしまった。
『今日はやけに女の子に逃げられる日だな』
それにしても妹が怒っている原因がさっぱりと分からなかった。
「生理じゃなかったら、何だっていうんだよ」
事情を知っていそうな母親に聞いてみることにした。
リビングへ向かうと鼻歌まじりで夕食の準備をしている母の姿があった。
「あら、帰ってきてたのね。おかえり」
俺の姿を見るなり声を掛けてくる。
「知ってたくせ。ただいま」
「優菜ちゃんが怒っているのは原因はね...二人ともにあるのよ」
料理をしながら言う。
よく親は子供の思っている以上に子供のことを理解していると言うが、この母親は怖いくらい全てが思い通しである。でも、そのお陰で何度か助けられたこともあった。
「ありがとう」
俺の母親は解決するためのヒントを与えてくれるが、答えは与えてくれない。
今回も「原因は二人」というヒントを与え、二人で話し合って解決させる魂胆だろう。
ヒントを得られた俺は着替え等を済ませた後、向かいにある妹の部屋へ向かった。
二、三度ノックをする。
「なに?」
『こりゃ相当、ご立腹ですな』
「話があるんだけど」
「私もある」
「え、あ、そうだよな」
ってきり「私はない」なんて言われるものだと思っていたため面を喰らった。
そのため、少し拍子抜けな返答をしてしまった。
「お前の怒っている理由を聞かせてくれないか?」
少しの沈黙があったあと何やらかすれた声が聞こえてきた。
「...したじゃん。約束したのに」
「...約束?」
妹と何か約束した覚えがない。
こう見えて俺は約束だけは忘れないタイプだ。だから、忘れたってことはないはずだ。
だとしたら妹の勘違いなのではないだろうか。
「俺はした覚えないぞ?」
「したの」
どうやら自分の勘違いであることは考慮していないようだ。
あくまでも俺が約束を破ったの一点張りといったところだろう。
「いつ?」
「...今日の朝」
これで確信した。俺は妹と約束などしていない。
今日の朝は・・・今日の朝の出来事を思い返してみる。
まず、朝目を覚ますと妹が服の前をはだけさせていて・・・・
部屋の前で少し可愛い仕草にドキッとして・・・着替えて、朝食をとって・・・
何やら妹の叫び声が聞こえた気がして・・・でも、聞かなかったふりをして・・・家を出た。
『ん?...妹の叫び声?』
何か思い当たる節があった。
それは今朝、聞かぬふりをした妹の叫び声だ。
『まさか...あれが約束だったのか...』
「今朝の叫び声か?」
確認するまでもないが念のため確認してみる。
「...そう」
ビンゴ。
どうやら、あの叫び声が妹にとって約束をしたことになっていたらしい。
『それは約束って言わねぇ!!』
なんて妹に言ったところで、「約束したもん」の一点張りになることが目に見えているので黙っておく。
『約束とは当事者の間で取り決めることなんだけどな』
きっとそんな屁理屈も妹には通用しないだろう。
どうせ、「聞こえてたんでしょ!? なら、それは約束したってことだよっ!!」なんて言い始めるのだから。
こいつは一度言ったことは、間違っていても決して曲げようとはしない頑固者だ。
だから、ここは兄貴らしく大人の対応をみせよう。
「わかった。俺が忘れていた。すまない」
「許さない」
『可笑しいだろっ!そこは「うんん、私も言いすぎちゃった。ごめんね。お兄ちゃん」くらいのことを言う場面だろ??』
落ち着かせるために深呼吸をする。
「じゃ、せめてその約束の内容を教えてくれないか?」
「勉強」
「勉強...?」
「教えてくれるって」
『言ってないけどな』
なんかとんでもない内容かと思っていたら兄妹にありきたりな内容だった。
そんなことなら約束なんてしなくても、いつでも教えてあげるのに。
本当に妹の不器用さは同情する。兄妹揃って不器用だ。
やっぱり兄妹というのは似るんだなと改めて思うと自然と笑えてきた。
「なに笑ってるの?」
なぜか、冷たい目で言っている妹の姿が脳裏に浮かぶ。
「いや、俺たち本当に兄妹なんだって思ったら...な?」
妹にも同意を求めるように疑問形で返す。
それが癇に障ったのか妹の機嫌をさらに悪くしてしまったのは言うまでもないだろう。
-静まった部屋に切ない表情をした少女が取り残された
「はぁ...私たち本当の兄妹じゃないよって言えたら、どれだけ楽なんだろう。
......好きって、言えたら、どんなに...」
机の上に大事に大事に置かれた写真を見て言う。
その写真に写る少年と少女は目も眩むくらいに眩しい笑顔だった。
「...また笑顔のお兄ちゃんが見たいな」