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五 再生

挿絵(By みてみん)

**********



五 再生



 真っ赤に染まった水面、それがどこまでも続いている。

 まるで夕日に照らされた水辺かとも考えたが、この状況はそんな情緒あるものではないと冷たくざらついた空気が皮膚を通して伝えてくる。


 彼はそこに、恐る恐る近付く。ゆっくりと顔を出し、ゆらゆらと揺らぐ深紅のそれを覗き見ると、反射した自分の顔が赤く映りこんでいる。

 血だ……驚いた彼は水面を見た。幾重にも生まれる赤い波の輪が弧を描いて魁地の元へと打ち寄せている。彼はその波を溯るように目で辿る。そして輪の中心を捉えたとき、そこに何かを見つけた。

 何だろう? と、彼は目を凝らす。額に貼り付いた髪、その隙間から見えるカッターの切れ目のような、一文字に閉じた目と口。覚えがある。それは、まさしく頭だけを水面に出した血だらけの"自分"。たとえ見慣れたその顔も、まるで悪魔の類にも見紛う。


 そして、その"自分"は徐々に水面に上がり、岸辺に近付いてくる。

 彼は一歩踏み出すたび波の輪を次々と生んで幾重にも交差させていく。不快感、違和感、悪寒、恐怖に近い信号が彼の脳を揺さぶり、心臓を強く叩く。彼は強がって心を押し殺そうとするが、どうしてもその鼓動を抑えられない。やがて、"自分"は彼の前に立った。

 それは、ゆっくりと目を開く。その瞳孔はまるで鏡のように恐怖で歪む彼の顔を映し出す。"自分"は口元に垂れ落ちる粘液のような血を舌で舐め取ると、彼に向かってニヤリと笑った。



◆◇◆◇◆◇


 ――ソラシマ実験区 結浜研究所付属病院 特別病棟――


「どわぁーーーー!!!」


 ぐほぉっ、げほっ、げほぉっ……はぁ、はぁ、はぁ。

 ――あれっ? なんだ、なんなんだ今のは。夢、だったのか?

 形のない、漠然とした恐怖だけがうつろな意識の中を充満している。思い出せない。俺は、一体どんな夢を見ていたのだろう。


 額からは汗が垂れ落ちている。相当うなされていたようだ。


「あ、あれ? ここは、どこだ?」


 魁地は目覚めた。

 白を基調とした室内、心電図などの機器、点滴。周囲を見渡すと、そこが病室のベッドの上だと容易に理解できた。


 飛び起きた反動で彼の体を覆っていたシーツがずれ落ちている。周囲には装置から這い出た様々なケーブルやチューブが何本も垂れ下がり、辿る先に自らの体がある。自分で見ても痛々しい光景だ。


 ――どうして、こうなったんだっけ?


 記憶を辿る。曖昧な像を引き寄せ、切れた糸を繋ぎなおしていく。清掃車、銃声、衝撃……真理望。あぁ、そうか。

 魁地は思い出した。車体に弾かれ、タイヤに巻き込まれたときに自分の体が分離して砕けていった、あのときの様子を。それはあまりに鮮明に脳に焼き付いており、今の現実よりもリアリティーを帯びている。だが、今彼の目には失われたはずの手足が映っている。


「お、俺の腕……足も……ある」


 魁地はチューブだらけのその腕でずれたシーツを掴み取ろうとするが、うまく動かない。だが、その肌には微弱ながら感覚がある。それはただの飾り物ではなく、まさしく彼の体の一部だと訴えている。


「これは、夢なのか? いやいや……あれが、夢だったのか?」


 シュインッ、と空気を切るような軽快な機械音。

 突然、病室の自動扉が開いた。


「やぁ、多綱君。気分はどうだい?」


 誰だ? こいつは。

 魁地は笑顔で話し掛けるその男を見て、また現実が分からなくなった。男は、まるで戦場から帰ってきたかのような顔付きで、全く似合わない白衣を纏っている。

 ゲームかアニメのコスプレだろうか? ……それにしても、迫力が段違いだ。窪んだ眼窩が彼の鋭い目つきをより強調して、その笑みを台無しにしている。何より、肩まで伸びた髪を掻き分けて覗くその頬に大きな裂傷の痕があり、穏やかならぬキャラ作りに多大なる貢献をしている。あたかも戦場の修羅場を掻い潜ってきた兵士のような佇まいが、純白で清らかな白衣を冗談のように見せる。


 魁地は軽く喉を鳴らして声が出ることを確認すると、その男に尋ねた。

「……あんた何モンだよ? それに、ここはどこだ? なんか病院みたいだけどよ」


「開口一番それか、なかなかふてぶてしい男だ。ネットばかりやっているとコミュニケーション力が欠如するというが……まぁいい。確かに、ここは病院だ。ソラシマの実験区内にある結浜研究所付属病院だ。三高から程近いから知ってはいるだろう。しかし……私が何モンって、この状況で白衣を着ていれば医者だということくらい想像がつかないもんかねぇ」


 魁地は驚いた。その選択肢は最初に切っていたからだ。


「えっ、あっ……お医者さんっすか。なんか、すんません。ヤクザの類かと思って」

「本当に失礼な男だな。そう言えば昨日、織里さんも君と同じような眼をして困惑していたな。まったく……私はここの院長の結浜博人ゆいはまひろとだ。よろしく」

「院長かよ。俺に何の用か知んねぇけど、院長直々にご挨拶とは大層なもんだな。っていうか、織里って、真理望がここにいるのか? アイツ、無事なのか?」

「ああ、無事だよ。至って元気だ。彼女は大したケガではないから一般病棟で少し休んでいる。精神的なショックもあるだろうから、とりあえず検査入院ということで少しの間様子を見ていた。明日にでも退院できるだろう」


 魁地はほっとした。とりあえず、自分の目的は達成されたようだ。しかし、その上で自分の命は失うはずだった。だから、今こうして目覚めている現実には違和感がある。彼にはまだ、そこが理解できない。


「あのさ、正直、俺に何が起きてるのかさっぱり分からないんだけど。俺、車に撥ねられて死んだと思った。けど、まだ生きている。これは本当に現実なのか?」


 結浜は頬の傷跡を歪ませて、ニヤリと笑った。

「多綱君、確かに君の体はほとんどバラバラになっていた。手足は千切れて吹き飛んでいたし、胴体も裂けて内臓がはみ出していて、一部は銃弾が貫通して損傷していた。頭部も一部が欠損して脳が露出し、右目は完全に潰れていた」

「おい、あんた医者だろ。当人の前ではっきり言い過ぎだろうよ。ネットで多少のグロ耐性ある俺でも、さすがにへこむわ」


 結浜は大きな口を開けて笑った。

「はっはっは、これは失礼。ちょっとデリカシーがなかったかな。だがな、君の体を元に戻したのは私だ。いわば命の恩人だぞ。少しは感謝してくれたまえ」


 魁地は試しに左目を瞑ってみた。開いている右目ははっきりと光を受け取り、目の前の怪しげな男を鮮明に捉えている。色もしっかり認識できる。だが白い壁を見ると、以前は視界の右下に浮かんでいた生まれつきある飛蚊症の影がなくなっている。見えてはいるが、これは、自分の目ではない。


 正直気持ち悪いが、確かに結浜の言うことに嘘はなさそうだ。だが、そんなことが可能なのか?


「おい、おっさん。っていうか、この体どうやって元に戻したんだよ。手足はなんでかうまく動かねぇけど、多少の感覚はある。見た感じ義手や義足とも違う。いくら科学が発達しているっつっても、今の医療技術じゃいくらなんでもここまでは無理だろ」


「……君、おっさんってのは失礼だな。命の恩人だぞ、これでも……まぁいい。そうだな。実はちょっと特別な技術で再生処置をしている」

「特別な技術?」

「ああ、さっき体を元に戻したと言ったが正確に言うとそれは少し嘘があってね。手足がうまく動かないのはそのためだ」


 魁地は掴み所のない結浜の言葉に混乱した。

「おいおい、なんなんだよ。嘘ってどういうことだよ」


 結浜は突然魁地の目の前まで顔を近付けた。彼は個室にも関わらず周りを気にするように魁地の耳元で囁くように言う。

「うむ、元に戻した、というと少し語弊があるということだ。むしろ発展させたと言った方が適切だ。その体はもはや普通の体ではないんだよ、多綱君。これは君の特殊な能力にも関係があることだ」


 ……まただ、越沢といい、霧生といい。俺のことリークし過ぎじゃねぇか?

「ちょっと待ってくれ。能力ってなんだよ?」一旦とぼけてみる。

「とぼけないでくれ。あれだけ暴れといて、今更それは時間の無駄というものだよ。我々は君の味方だ。私のことを信じてくれ」

「全部お見通しかよ。信じろったって……大体、我々ってなんだよ。他にもいんのかよ」


 結浜はベッドの脇に並ぶPCモニターに出力されている数値やグラフを見ながら、「うむ」と頷き、手馴れた手付きで魁地の体から這い出したチューブやケーブルを外していく。


「ああ、我々は実験区の異能力開発プロジェクトの中で、ある組織を作ったんだ。区内のソラシマ三高や特学高の能力開発もその一環だが、あれはむしろバグアビリティーの統制と言う方が実のところ正しい」

「特学高? 実験区にある日本有数のエリート校の特別学区高等学校だよな? あそこもそんな電波な事やってたのかよ」

「電波ねぇ……まぁ、そういうことだ。だが、先程言ったようにそれは日本の能力者を管理するためのものだ。バグによる異能力アビリティーのほとんどは何の役にも立たないような、どうでもいいものがほとんどだからだ。触った部分の色素が若干薄くなるとか、周囲温度を一℃だけ下げられるとか、本人さえ気付かないものさえある。そんなものは正直どうでもいい。だが、そんなものでも変に目立たれては困る。国として、異能の存在を公然と晒すわけにはいかないんだ。法治社会は皆が一様な物理世界の上で平等であることを前提として成り立っているのだから、超能力染みたものでそれを安易に覆すわけにはいかない。だから、統制と管理が必要になる。でもね、その中でもたまにいるんだよ」


「いる? 何がだ?」

 結浜は全てを見抜いているような上から目線でベッドの魁地を見下ろす。そして頬の傷を歪ませて不敵に笑った。



「君や織里さんのような、武力や技術力として圧倒的な力をもつバグ保有者が、だよ」


 ちっ、と魁地は舌打ちをした。これは呪われた能力だ。この力のことは自分自身もよく把握しているわけではないが、こんなものを使っていたら誰かが不幸になる。それは実証されている。

 しかし、魁地にある疑問が過ぎった。「君や織里さん」、こいつは今そう言った。


「織里って、真理望もやっぱ能力者なのか? どんな?」

「まぁ、詳しいことはまた後程だ。それより、多綱君の場合、まずは、自分の体のことを気にした方がいいだろう。何せ、君はほぼ死んでいたんだ。気分はどうだい?」


 魁地はなんだかはぐらかされたような気がして気分を害した。しかし、この体のことも確かに気になる。何せバラバラになったはずの体だ。


「ふんっ。気分は良くないさ。あんたと話してたら滅入ってきたよ。で、この体はどうやって再生したんだ? どうやったらうまく動くようになるんだ?」

「ふむ、さっきも言ったが、再生はしていないよ。まずは私と一緒に来ていただこう。敷地内でこの病院に隣接してある研究所だ。そこで詳細を説明し、体の操作方法も教えよう。君には当分学校を休んで、ここで療養してもらう。いいかい?」


 魁地は自分の理解が及ばない状況に苛立ちを覚え、「ちっ」と舌打ちする。

「おい、おっさん。どうせ、俺に選択肢はないんだろ。どこへでも好きなところに連れて行けよ」

「だから、おっさんは失礼だろ。まったく、敵意剥き出しだな。さっき言ったように私は君の味方だよ。もう少しリラックスしてくれ。じゃぁ、車椅子に移すからサポートを呼ぼう」


 結浜は携帯端末を白衣のポケットから取り出し、耳に当てた。3Dホログラムディスプレイが普及しているこの時代、電話は対面式が普通だが、セキュリティー密度を上げるために彼はあえてデータ量の少ない音声のみの対話式で連絡をとっている。


「――ああ、私だ。そうだ、来てくれ」

 他人の目からは相手の分からない究極のプライバシーフィルター。対面式通話に慣れている魁地は、相手の分からない他人の会話が気になった。間の言葉を埋めようと、相手を演じてしまう自分がいることに苦笑する。次はどんな厳つい野郎がやってくるのか。


 魁地はPCの横に設置されたサイドテーブルに、見覚えのない鞄が置かれているのに気付いた。

「あれ? これ……」


 それは小さなポーチだった。カラーは爽やかで落ち着いたパステルピンク。ハート型のシルバーアクセサリーがアクセントになっているレザー製のキュートなデザイン。道考えても女物。誰かがここにいたというのだろうか? 


「あ、ごめんなさい。それ、私のです――」その時、病室の自動扉がシュインと切った風音に乗り、囁くような声が魁地の耳に流れ入った。


「元気そうですね。そのバッグ、私のです。置きっ放しでした」


 揃った前髪の下で光を反射する眼鏡のレンズ、その奥に潜むミステリアスな目。普段見る制服姿とは違い、ネックの開いたゆったり目のティーシャツに涼しげなプリーツスカート。一瞬別人かと思ったが、それは紛れもなく、霧生だった。意外にも女の子した彼女の私服に、魁地は驚き、動揺を隠せない。


「……な、なんだ、霧生かよ」


 霧生は特に表情を変えることなく、いつもの平たいトーンで答える。

「開口一番、なんだ、と言われると、少し傷つきますね」


 傷つく? 霧生にしては感情的で似合わない言葉だ。魁地は想定外の返答にまたも動揺した。でも、ここに彼女のバッグが置いてあったということは、少なくとも俺が寝ている間、彼女がここにいたということだ。ひょっとしたら看病してくれていたのかもしれない。いや、でもそんなの霧生には似合わない……などと考えているうち、魁地の混乱は止め処なく増してくる。


「あ、いや、悪い。そういうつもりじゃなかったんだが……普段と違ってたから、一瞬誰か分かんなくて」

「で、よく見たらじつは私で、残念だったと?」

「いやいや、だからそういうんじゃなくてさ」


 あれ? 霧生ってこんなに面倒な奴だっけ? 魁地は困惑した。女子ってのは意味が分からない。霧生をそこにカテゴライズしていいものかは分からないが。


「霧生君、彼を移動するから手伝ってくれ」

「分かりました」


 魁地は二人に担がれて車椅子に乗り、病室を出た。白を基調とした病院内の通常路と違い、研究所へと繋がる通路は窓もなく色彩のないコンクリート壁に囲まれている。彼は自分がどこにいるとも分からぬまま、ただただ流れ行くその天井を見続ける。


「な、なぁ霧生。そう言えば本当は学校で俺たちを誰かに会わせようとしてたんだろ? それが、この先生なのか?」

「その一人では、あります」

「ってことは、他にもいるってことか?」

「……そういうことになります」


 相変わらずその横顔からは感情が見えない。彼はなんだかもったいないと思った。もしこの腕が動くのであれば、試しにその脇を突いてみたい。どんな表情を見せるだろうか? などと妄想にふけっていると、いつの間にか景色が変わっていた。


「さぁ、ここからが研究所エリアだ」

 飾り気のない通路に突如現れた重厚なスライド式金属扉。その周囲には防犯カメラがいくつも並び、ドアの脇には多様なセキュリティー認証システムが並ぶ。結浜が指紋認証と盲目スキャン、さらにパターン認証を通し、ようやく大きな扉が縦に割れてゆっくりと開いた。


「これから、このエレベーターでソラシマB区に移動する」

「B区ってソラシマの地下エリアだよな?」

「そのとおり。地表の研究所と付属病院は私が所長を務める表向きの施設だ。我々の組織はその地下エリアに拠点を構えている。実は君の学校の実験棟にも通じているんだ。これから行くのはそのメイン機能が集中したセンターベース……まぁ、秘密基地ってとこだ」

「組織組織って、いったい何の組織なんだ?」


「――バグズだよ。詳細はベースの管制室に移ってから説明しよう」

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