三 害獣駆除
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三 害獣駆除
「まさか、学校内まで侵入するなんて……」
霧生の目には、銃弾が見えているかのようにするするとかわしていく魁地が映っている。
別の清掃員も銃を取り出し、魁地に銃口を向ける。だが、いくら打っても魁地を捉えることはできない。そして、彼が清掃員の目の前まで行くと、向けられた銃を蹴り飛ばしてそいつの腕に手を触れた。
彼はそれだけすると、もう一人の清掃員に向かって走り出し、同じように彼の体に触れた。
すると、途端に彼らは動きを止めた。
彼らは悲痛な表情を浮かべたまま、瞬間冷凍されたように硬直して叫んでいる。
「なな、なんで手足が動かねぇんだ?!」
それを見た残り二人の男は慌てて車内の武器を取り、魁地を取り囲むように集まる。
「やれやれ、おめぇら一体なんなんだよ」息を切らし、魁地は両膝に手を付く。
二人の内の一人が一歩前に出る。他の男に比べてガタイが一回り大きく、古傷がいくつも刻まれた彼の顔からは、幾戦もの苦境を乗り越えてきた生物的な強さが溢れている。
おそらくそいつがこのチームのリーダーとみて間違いないだろう。
ごくりと唾をのみ込み、魁地は彼の言葉を待った。
すぐに攻勢に入っても良 かったが、彼は大きく肩で息をしている。正直なところ、少しでも時間を稼いで疲労を回復する時間がほしかった。やはり、フィールドの広さと言う点でゲームと実戦は違う。
男は不敵な笑みを浮かべて、ゆがんだ口を開いた。
「俺はこいつらを纏めている半田ってもんだ。勘違いしないでほしいが、俺たちはテロリストじゃない。ただのハンターだよ。あくまで、害獣駆除ってやつさ。ここに社会を脅かす厄介な獣がいると聞いてな……」彼はしゃがれた声でそこまで言うと、周囲を見渡した。身動きの取れない仲間を見て、ペッと唾を吐き捨てる。
「まったく、本当に厄介な奴らだぜ。だが、お前はそれほど実戦には慣れていないようだな。所詮はただのガキだ」
「?! ……そりゃ、どういう――」と言い掛けた魁地はビクリと身震いし、突然背後を見た。そこには両手の銃を霧生と真理望の頭部に突きつけているもう一人の男がいた。
「駄目だなぁ。女からそんなに離れちゃよ。それに相手の人数は正確に把握しなきゃ。もう一人いたんだよ。取りこぼしは減点だぜ」
「……っちっきしょぉ」
「ちょっと、たづなぁ……なんなのよ、こいつら」
「俺は知らん……」
真理望は地面にへたり込み、今にも泣き出しそうな、――なんて言っている間にもう涙と鼻水が溢れてきた。霧生は相変わらずの無表情だが、頬を伝う汗が焦りを語っている。彼女は銃を持つ男を刺激しないよう、ゆっくりとした口調で話す。
「彼らは、おそらく異端審問官。歴史の闇でいまだに息を繋いできた魔女狩り集団です」
「魔女狩りだって?! 一体いつの時代だっての」
魁地は半田を睨んだ。それは威嚇するためではなく、恐怖が這い出ようとする自分の内情を知られたくないからだ。そろそろ、動きを止めた奴らも回復する。
時間がない。何か、きっかけがほしい。
「おい、そこの女を一人こっちに連れて来い。そうだな、せっかくだから胸でかい方にしよう」
真理望が銃を向けられたまま、もう一人の男に引きずられながら半田の下に連れて行かれる。
「きゃぁ、ちょっと痛いじゃない。止めてよね! もう、ヤダヤダヤダヤダ」
「うっせぇ、少し黙れ!」
男は真理望の頬に平手を打つ。彼女は「きゃっ」っと搾り出されたような声を発して地面に倒れこんだ。彼女のか弱い両腕では体を支えられず、彼女は頬をグランドの砂地に打ち付けた。
「くっそぉ、てっめぇ、真理望に何しやがる!」
魁地は今すぐにでも彼女のところに走りたいのをぐっと堪えた。
――熱くなるな。今はまだ、勝機がない。間違いなく真理望に危害が及ぶ。
「おいおい、ほどほどにしとけよ。綺麗なお肌に傷がついちゃうからな。くくっ、まぁ、俺は嫌いじゃねぇがな」
「はっ。半田さん、す、すみませんでした」
男は敵意を剥き出しにして意気込む魁地を無視し、痛みにうめく真理望の襟首を引いて半田の下に向かう。そして真理望を彼に投げ渡した。
半田は彼女のこめかみに銃を突き付け、舐めるように全身を見る。
「ほぉ、本当にこいつも害獣なのか? 最近の女子高生ってのは発育がいいな。せっかくだから、駆除する前に色々やっておきたいねぇ、くくっ。おい、こいつを清掃車にぶち込んで繋いどけ」
半田の部下が真理望を連れて清掃車に向かう。
「きゃぁ、いたいいたいいたい! 何すんのよ、このオッサン!!」
「くそっ、もう一度殴られたいのか、この女!」
男が拳を振り上げた瞬間、強烈な破裂音が耳をつんざいた。
半田の銃から煙があがり、真理望の足元の地面がえぐれていた。
火薬の弾けた音がこだましている。それに続いて今度は静寂が周囲を包む。真理望は銃弾で穴の開いた地面を見て、腰が砕けている。
「おうおう、あんまり雑に扱うなよ。大切な人質だ。おい、そっちの細いのは殺せ。そいつもなかなかの上玉だけどよ、なんか危ねぇ。危険な臭いがする」
背後にいたもう一人の男が、地面に座ったままの霧生に銃口を近づける。
「おい、なんだよ、止めろ!」
魁地の焦りはピークに達しつつある。この状況でも、事態を打破する術は見つからない。それでも、霧生の表情は相変わらず冷静を保っている。その冷たい視線は何かの勝機を得たものなのか、それとも全てを諦めた結果なのか、彼には分からない。
霧生は首を返し、横目で背後の男を観察する。男は暑さのせいか両手と両足とも裾をまくり、銃を握る手には汗をかいている。表情は冷静だが、結んだ口に力みを感じ、さほど殺人には慣れていないと読んだ。
彼女は男をたしなめるように、静かに言った。
「最期に、一言だけ彼に言わせてください」
「……あ? あぁ、一言、だけだぞ」
「ありがとうございます」霧生はゆっくり魁地に向き直る。そして大きく息を吸った。
「多綱くん!」
魁地は珍しく大きな声を上げる霧生に驚いた。
「私は、あなたを理解しています。私の答えは、三秒後です!」
――ああ、これか。
魁地は理解した。その瞬間は、霧生が作ってくれた。これが事態を打破する術だった。
突然、霧生を拘束していた男が半田に向かって走り出した。まるで下半身と上半身が別人のようにのたうちながら走っている。おまけに、指を掛けた自動小銃ののトリガーを引いて辺りに打ち散らしている。そしてその一発が、魁地が動きを止めた男の脳天を割った。
「勝手に! 手足が、勝手に!!」
「なんだ、てめぇ! なに命令に背いてんだ!」
焦った半田は走り来る男に向かって銃を撃つ。五発、六発、そして幾弾も被弾した男は絶命する瞬間まで走り、半田に激突してお互い地面に倒れ込んだ。
魁地は霧生の言葉を聞いた瞬間、すでに真理望に向かって走っていた。地面でバタつく真理望を男が清掃車に入れようとしている。
魁地が真理望に追いつく瞬間、背後から銃声音が響いた。転げる半田が彼に向かって放ったものだ。
弾丸は魁地にベクトルを向けている。しかし、発射された瞬間、避けるように地面に転がり伏した魁地の頭上を弾丸が飛び、真理望を引きずる男の体を打ち抜いた。
「っがっはぁ!」
「真理望、清掃車に隠れるんだ!」
「わ、わかった……」真理望は開いたままの後部座席に這い上がろうとするが、足が震えすくんで立つことさえできない。
「たた、たづなぁ……立てないよぉ」
「何やってんだよ、ちきしょう」
魁地の背後から半田の銃弾が何発も打ち込まれる。彼は何発かの銃弾をかわしたが、狂気に迫った半田の焦点には魁地だけでなく真理望も絞られていた。自分だけならともかく、動けない真理望がいてはどうしようもない。いずれ彼女を銃弾が襲う。
彼は銃弾を避けるのを止め、震える真理望をかばうように抱え上げた。そして彼女を後部座席に投げ入れる。すると同時に、彼の脇腹を衝撃が突き抜けた。
最初、脳に達したその信号が痛覚なのか、はたまた温覚なのかも分からなかった。破裂するような熱さだけがそこに走ったかと思うと、脳には徐々に経験したことのない痛みが染み渡り、それが激痛に変わっていく。
それはまるで、腹の筋肉が全部裏返って内蔵が這い出るかと思うような痛みだ。
「うっぐぅあぁ……くっそぉー!」
死ぬかもしれない、その痛みは魁地を素直にそう思わせた。だが、それも悪くはないかもしれない。
車内では腰を抜かした真理望が血だらけの魁地を見て発狂している。
「たづな! たづな! 血が、血がぁ!」
「そんな……多綱くん、なんとか耐えてください」
半田が魁地に気をとられている隙に、霧生は背後から走りよって彼の太い首を鷲掴みにした。
「くそっ、なんだ?!」
「もう、黙ってください」
一瞬、霧生の瞳孔が開いた。そして次の瞬間、半田は口を大きく開けてもがき出した。それは、まるで溺れた人間の様相だ。息を吸おうとしても開いたままの声帯が邪魔して肺に空気が入らず呼吸困難を起こしている。紛れもなく彼は、溺れている。やがて、彼は微動だにしなくなった。
霧生が魁地の元に駆けようとしたその時、彼女は魁地に動きを止められていたもう一人の男が走り出す姿を見た。時間の経過が男に動きを取り戻した。
「まずいです……」
男の表情は恐怖に慄いていた。彼の目にはリーダーの半田や他の仲間が得体の知れない力で次々に倒れていく様が映っていた。積もり積もった恐怖が彼を支配している。独り残された彼はもう一台の清掃車に乗り込むと、ぐるりと弧を描くように走り出した。
霧生はフロントガラス越しに何かを叫びながら半狂乱で運転している彼の姿を見た。
「多綱くん! 危ない!!」
男の車は小回りで旋回し、ゲート側を向き直ると、真理望のいる車体に向かって猛進した。
「ぐぅっ、げふっげふっ……やばいな」
このままではこの車体の横っ面に衝突する。いくら頑丈な清掃車とは言え、ブレーキなしでサイドから突っ込まれたら無事ではすまないだろう。衝突まではわずか。もはや車外に逃げる時間もない。
魁地は止め処なく流れ出る血で遠のく意識を必死に繋ぎとめ、泣き震えて硬直する真理望を衝撃の少ないシートの奥に投げ飛ばす。そしてシートベルトをセットした。
「くそっ、間に合わない」
彼が振り向いてスライドドアを閉めた瞬間、まるで鼓膜の内側で火薬が破裂したような爆音と共に、全身を打ちつける衝撃が魁地を襲った。
車のドアは魁地の腕を破壊しながら一瞬でひしゃげ、車外に吹き飛ぶ。突進した車体のベクトル量は全て魁地らの車体に引渡され、蹴った空き缶のように軽々と飛んで何回も横転した。シートベルトに括り付けられた真理望は音にならない叫び声を発し、上が下になり下が上になる。
無防備な魁地は必死に残った腕で車体のフレームにしがみ付くが、打ち抜かれた腹の傷で力が入らず、遠心力で車外に振り飛ばされて紙屑のように舞った。
「た、多綱くん!!」
魁地は、鈍い音を発して地面に叩きつけられた。
霧生は地面に伏したまま動かない多綱に駆け寄ろうとする。しかしそのとき、急回転したタイヤが砂を擦り上げる音が響いた。衝突でフロントを潰した男の車両が急速にバックしてきたのだ。その先には魁地がいる。彼に止めを刺す気だ。
魁地は零れ落ちそうな意識を必死で掴み取り、激痛が内部で衝突する体をゆっくりと持ち上げた。
目の前には猛速で迫る車。だが、そんなのは気にならなかった。彼は奥に横たわる車両に目を凝らした。車体の側壁が失われ、グニャリと歪んだ後部座席には「たづなぁ」と叫ぶ真理望の姿があった。怪我の有無は分からないが、なんとか命は助かったようだ。魁地はニヤリと笑った。
「よかった……」
不思議と、彼は恐怖を感じることはなかった。それは、あの時にもう、決まっていたのかもしれない。そう思ったからだ。