三十 裏切り者(1)
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三十 裏切り者(1)
山田が信司の胸倉を掴んだまま、離さない。
「山田さん。まだそうと決まったわけではありません」霧生が必死に宥めようとするが、彼女の声はヒートアップして喚き散らす山田の罵声に埋まる。彼女のテンションでは、到底山田の閾値を超えることは出来ない。
山田の顔がどんどん赤くなっていく。
「山田さんのおっしゃることはごもっとも。その時のことは後ほど説明します。今は先に申し上げておきたいことがあるんです」
信司は山田の勢いにも動じず、淡々と話を進める。だが、山田はそんな信司に一層熱を上げ、掴んだ彼を振り回す。
「うっせぇ、さきに俺の質問に答えろや、ごらぁ~!」
「あわわわわ……」
そんな山田に、さすがの魁地も見ていられない。
「まぁまぁ、山さん落ち着けよ」
「華凛をあんな目に遭わせた奴を前にして落ち着いてられっか、ごらぁ~!」
「ちょっと落ち着け、山田」
今度は、結浜が興奮冷めやらぬ山田を落ち着かせようと、テーブルのチョコを掴み取って彼に投げる。だが、山田はそれを手で弾き返すと、犬のようにガルルと吠え散らかした。
「君の言いたいことは良く分かるよ。だが、とりあえず今は、彼の話を聞いてほしい」
結浜が山田を宥めようとするが、それが逆効果だということは皆の目に明白だ。
「はい、すみません。山田さんも、皆さんも聞いてください。まず、この世界『アーティファクト』が危機的状況にあることを認識していただきたい」
「危機的状況だ? てめぇ適当なこと言ってんじゃねぞ。それはおめぇのことだろ。俺が叩きのめしてやるからな!」
「落ち着いてください。今から状況を説明します」
「何言ってんだお前。落ち着いてなんかいられっか、ごらぁ~!」
時間だけが過ぎていく。こうなると、もはや山田を言葉で抑える術はない。
「私に任せてください」
霧生が足音もなく山田の横に回った。そして、興奮して暴れる彼の肩にそっと手を添える。
すると、山田は子犬のように座って落ち着きを取り戻した……否、動かなくなった。
魁地は、寂れた博物館の端にある『現代人』のコーナーに、これと似たような蝋人形があったことを思い出した。と同時に、魁地は霧生の底知れぬ強かさを感じた。
「……砂菜さん、助かります」
信司は苦笑いをして垂れ落ちる冷や汗を袖で拭った。
「こほんっ、では改めまして。まずご存知のように、アーティファクトを管理するザルバンの研究グループは、私たちアウラ派と急進派のアングラ派に分かれます。分かれた理由は単純です。このアーティファクトを無害化するための方法論の違い、ということになります」
「無害化? それってどういうことだよ?」魁地は尋ねた。
「このアーティファクトは確かに我々ザルバンの高い科学力で構築されていますが、ご存知の通り、決して完ぺきというものはありません。元々、このアーティファクトを作ると言う実験も、当時の研究者たちはうまくいくとは思っていなかったそうです。実体を持った人工的な次元、そして宇宙そのものをプログラマブルに作り出すという計画。それは中止される予定でした。しかし、技術分野とは異なる方面からの圧力があり、計画は確証を得ないまま半ば強制的に実行されたのです。……そして、案の定、問題が起こりました。それは二つ。一つはアーティファクトの次元リークによる上位次元との部分融合」
魁地は以前聞いた結浜の説明を思い出した。
「そういえば、結浜のおっさんから聞いたな、それ。アーティファクトの異常がお前の世界にも伝播するってやつだろ」
「そのとおりです。すでに二つの次元は一部で融合し、影響し合っています。そのせいで私たちはアーティファクトをシャットダウンすることもできなくなりました。そして、もう一つが……」信司は一息挟む。
「もう一つは?」魁地がゴクリと生唾を飲む。
「生命の誕生です」
「……生命の誕生?! ってか、つまり俺たちってことか」魁地は自分を指差した。
「それがアーティファクトの本来の目的ではなかったのですか?」霧生も問いかける。アーティファクトに関する情報の多くは、レジルも守秘義務があると言って教えてはくれなかった。霧生もザルバンの深部については理解が及んでいない部分がある。
「いいえ、砂菜さん。元々は宇宙科学の研究が目的でした。我々も生命科学の分野では理解できていないことが多く、現在でも宗教的な思想が多く残されています。ですから、生命の誕生がこうしてあっけなく再現されたことには皆驚愕しました。そしてさらに驚いたことに、発生した生物は見る見る進化を遂げ、人間という段階にまで至りました。つまり、皆さんです。そして驚いたことに、それは私たちザルバンと全く同一の構造体を示していたのです」
「へぇ、よく分かんねぇけど、そりゃ不思議な話だな」
「人間はアーティファクトの仕組みを解き明かし、どんどん科学力を増していきました。そして、今では地球のみならず宇宙の果てまで到達する技術を身に付けようとしています。さらに、一部の人間はアーティファクトのバグについても抜け目なく見つけてきました。そのため、人間の存在は、アーティファクトにとって多くの崩壊ポテンシャルを有するに至ったのです。そこで、アーティファクトを安定的に維持するための二つの方法が論議されました。一つは人間との共生による組織的な管理、そしてもう一つが、人間の抹殺です」
沈黙がセンターを包む。稼動するPCの電子音と壁を響かせるわずかな機械音が部屋を支配している。
「これはつまり、人間に対する倫理感の問題でもあります。私たちが作り上げた人工的な宇宙に生まれた我々と同じ構造をした人間。はたして、その命は我々ザルバンと等価な存在なのだろうか。それとも、それは虚栄に過ぎないのか。ある意味では、その答えが二分した、ということです」
「何だよそれ、俺たちは紛れもなく生きてるだろが」
魁地は信司に突っ掛かるも、自分の命を希薄に感じて粗末に扱った過去を思い出し、恥ずかしさを覚えて彼から目を逸らした。
「ええ、私はそう思っています。そう結論付けたのが科学者アウラが率いた研究者たちです。しかし、それは命ではなくシミュレーションの産物に過ぎないと主張する者もいました。それがアングラです。残念ながら、昔は圧倒的比率でアングラ派が主導権を握っていました。彼らはやがてアーティファクトの安定維持と宇宙科学の究明という目的を逸脱し、人間を行動原理解析のための実験動物として利用し始めました。そして、都合の悪いバグや抵抗勢力の矯正のため、バスターウェアを開発したんです」
「それが、バグズとザルバン……いえ、アングラ派との戦いの歴史になったわけですね」霧生がそう言うと信司は笑顔を返す。
「その通りです、砂菜さん。ですが、その後ザルバン側も情勢に変化がありました。アーティファクトの技術を牽引していたアウラとアングラが亡くなり、勢力図が大きく変わったのです。アウラの遺志を引き継いだ私は、多くの研究者を率いて事実上の実行権を握ることに成功し、組織の改革を行いました。そして人間界のバグズと提携し、現在の協力関係を築いたのです」
信司は、一通りの講釈を終えて満足したような表情を浮かべる。
魁地は、そんな信司に自分とは縁遠い、研究者としての気質を感じた。どちらかと言うと、彼にとって苦手な人種ではある。
話が長い。俺としては、文字数の少ないスピーディーなストーリーが好きなんだが――という気持ちは伏せておく。
「へぇ、そりゃよかった。アーティファクトの歴史は理解したけどよ。で、さっき言っていた危機的状況ってなんなんだよ?」
「アングラ派も、最近は我々との歩み寄りもあり、情勢は落ち着いていました。けれど、最近派閥内抗争があり、強硬派のジャヒがアングラ内の主権を握ったことで、状況が変わりました。彼は武力による人間の支配を強行決議したのです。彼の主張は、このアーティファクトに絶対的な神ありきの世界を作り、人間に従わせるというものです。そうすることで世界の統制を図る。ジャヒは人間に戦争を仕掛け、この世界を支配しようとしているのです」
「せ、戦争?!」
「はい。当然、アウラ派の多数勢力で決議を無効化し、表向きの沈静化は図っています。ですが、奴らは裏で不正アクセスによるテロ活動を企てていました。その一つが難波根子武振熊を使った大量破壊行為です。奴はコードネーム=フェルベアードというバスターウェアで、ご存知のとおり宿儺によって凍結されていました。しかし、ジャヒのテロ組織にその存在が見つかってしまったんです。その切欠は、五年前に発生した事件が発端になります」
「五年前……」魁地はエンバッシュの言葉を思い出した。
「多綱さんは知っているはずです。いえ、これは本当は言うべきではないかもしれませんが……」




