十二 接続
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十二 接続
――三日前 結浜研究所付属病院――
結浜研究所付属病院の最上階。そこはビニールハウスと見紛わんばかりのほとんどがガラス張りの部屋。半分ほど顔を沈めた夕日の赤色がその室内に降り注ぎ、メタリックな内装に反射して、まるで生温かい鮮血をぶちまけたかのように見える。
「本当にすまないと思っている」
結浜は背の高い一本足のカウンターチェアに腰を掛け、右手に持ったカップを回す。中の珈琲が渦巻く湯気を上げながら、徐々に攪拌されていく。そして、その濃厚な琥珀色に夕日が溶け、単一の色彩に深みを与える。
彼はそこにふぅっと息を吹きかけ、香りを包んだ蒸気を吸い込みながら、ズズズと啜り飲んだ。
週に数回。疲れのゲージが閾値を超えたとき、彼は、夕暮れのこの部屋で挽き立ての珈琲を飲む。喉を撫で落ちる程好い苦味が、その疲れを洗い流してくれる。
そして今日も、何かと問題を抱えた彼は、ルールに従ってここに来た。ただし、今回は二人で。
「いえ、問題ありません。私は平気です」
霧生は少し見上げるように結浜を見つめている。カウンターチェアに腰を懸けていても、長身の結浜は横で立つ霧生よりも目線が高い。いつもは強気の結浜も、見上げる彼女の無垢な目に耐え切れず、珈琲を飲む振りをしてカップに視線を移す。
霧生は結浜に動揺を悟られまいと、いつものように無表情を貫いているが、内心は穏やかではなかった。何せ、そのとき結浜から告げられた事実は彼女の想定にはなかったもので、与えられたミッションは彼女の経験値を大きく上回るものだった。
「そう言ってもらえると少しは気が楽になるが、正直なところこれは私の設計ミス、スキル不足によるものだ。その補填を霧生君に押し付けるのはやはり気が引ける」
「いえ……一つ、問題があるとすれば、多綱くんが耐えられるかどうか。深い傷を負うことになるかもしれませんし、私にはそれを回避するだけの手立てもありません」
霧生は窓ガラスに手を付き、横刺しの夕日をその目に流し込む。空調で冷やされたガラスのひやりとした冷感と目の奥に当たる暖かな光のギャップに軽く身震いし、ゆっくりと息を吸い込む。そして、それを吐き出すように彼女は言った。
「私のことは……大丈夫です。多綱くんとは、その……」
結浜は飲みきった空のカップをテーブルに置くと、にこりと笑った。
「たしかに、このミッションは霧生君にしかできないことだ。だが、これまで君は、いくつもの危険なミッションをこなしてくれた。だが、今回ばかりは無理する必要はない。駄目と思えば断ってくれても良い。まぁ、お願いした私が言うのもなんだがね」
霧生はゆっくりと頷いた。
「了解しました」
◆◇◆◇◆◇
「点灯」
彼女がそう発すると、天井の白色照明が室内の輪郭を浮き上がらせた。
十畳程度のリビングに、カウンターキッチン。そして隣にもう一部屋、おそらく寝室だろう。白い壁に、黒のカーペット。白いカーテンに、黒いソファー。白か、黒。他に彩を添える色彩や装飾のないまさに1・0(いちぜろ)の世界。どんだけデジタルな奴なんだ。
――結浜研究所内宿泊エリア 霧生の部屋――
案の定と言うか、当たり前と言うか。この部屋が何の飾り気もなく効率だけを意識して構成されていることに関しては、如何にも当然と言う他なく何の疑問も湧かない。とことん想像通りで、驚きも感動もない。しかし、そんな素っ気無い無価値な空間に『霧生の部屋』という名前がつき、そこに今、彼女と二人きりで居ることの現実には、異様な動揺と緊張感を感じる。
なぜだろう?
――それは、未知なるイベントに対する不安か、それとも、冒険心が生む興奮なのか。もしくは、……彼女に対する、何らかの期待によるものなのか。
魁地は経験したことのないミクスチャーな心情が混沌と入り混じった粘性のある感情に翻弄され、口をぽかんと開けたまま目の前の霧生に何も言えないでいる。そして、その霧生も無言のまま、何も発してはくれない。
ただ、色彩のないこの部屋で、黄色とピンクを基調とした制服姿の彼女が滲み出す存在感は半端ない。そう、小さな光を探すなら、辺りを闇にすればいい。普段存在感を発しない彼女は、自分の魅せ方をよく知っている、とさえ思えてしまうこの情景だ。
霧生は「どうぞ」と一言発し、魁地を部屋の奥に誘導する。
そして、まるで彼を閉じ込めるかのように、後ろ手に扉を閉めてロックを掛けた。彼に気付かれないように、そっと。 ガチャリッ。
魁地は辺りを見渡すが、飾り気のない素っ気無い部屋に、窓はブラインドシャッターが下ろされたままで、外界からの情報の流布はほぼ皆無。ろくな話題も浮かばず、否応なしに本題へと移る。
「えと、……あ、あの……なんで霧生の、部屋なの? 今日のリハビリは?」
霧生はいつもより弱々しい半目でこちらを見ているが、目が合うととっさに逸らす。透き通るような白い肌のせいもあり、頬が赤らんでいるのがよく分かる。
「あの……多綱くん。聞いてほしいのです」
「な、なにを?」ごくりっと魁地の飲んだ生唾の音が、部屋にこだましたように彼には感じた。
「えっと……あの、そうです。ちょっと待ってください。喉渇きましたね。今、飲み物出します」
珍しく霧生が冷や汗を垂らし、表情を引きつらせている。
彼女は部屋の隅にある小さな冷蔵庫を開けると、ビンに入ったオレンジジュースを二つのグラスに注いだ。そして深く一呼吸つくと、一つを魁地に手渡した。
「お、おぅ。ありがと」
「どうぞ、そこに座ってください」
霧生は魁地を模様も色味もないシックなカウチソファーに座らせる。そして自分は足掛け用のブロックソファーを対面に置き、そこに腰を掛けた。魁地が慌てて視線の矛先を決めかねていると、彼女が小さな口をグラスにつけ、半分ほど飲んでテーブルに置いた。グラスの淵には、三日月形の濡れ跡がしっとりと浮かび、彼女の小さな唇を形作る。
ごくり――普段と違う霧生の初々しさに妙な色気を感じ、思わず生唾を飲んだ魁地は、それを紛らすように受け取ったオレンジジュースをぐびぐびと喉に流し込む。
ぷふぁ~っ、と喉を潤す冷感が彼の頭を少し冷やした。
何はともあれ、ここはとにかく冷静なクール男子を装うことにしよう。
「で、部屋にまで呼んで、一体何があるってんだ?」
「はい。突然ですみませんでした。ではさっそくですが、本題です。多綱くん、オペアの操作はかなり上達しましたね」
「……あ、ああ……」何の話だろう?
「これから言うのは、その人工的な体、オペアに関することです。現在までの多綱くんの操作スキルは、一般的な日常を過ごすための義体としての機能に限られています。ですが、それではオペアの半分も効果を発揮できていません。バグズが期待するのは、もっと先のスキルです」
「はぁ……そうっすか」魁地は拍子抜けした。
またバグズの話しかよ。良いこと悪いこと、あれこれ想像が膨らんで、下手すりゃゲームばりの恋愛イベントが発生する可能性も排除できずにキュンキュン高めてしまった鼓動の消費エネルギーを返してもらいたいもんだ。
ってか、そりゃそうだよな。俺ってば、こんなお堅い霧生に何を想像してんだっつうの――などと、先日うっかり触れた手の平の感触を思い出して項垂れる彼を置き去りに、霧生はなおも説明を続けている。
「――ですので、当初も説明したように、そのオペアは武装器を内蔵した兵器でもあります。いえ、むしろそれは、兵器として開発されました。これからのバグズは、多綱くんを中心にミッションが展開されることになります。そのために、多綱くんはオペアの稼働率を百パーセントにまで上げ、強大な攻撃力を得る必要があるのです」
「は、はぁ」
結局のところ、霧生は俺のことを兵器としか見ていない、ということか。
俺は霧生に何を期待していたのだろうか……。魁地は急な車線変更に追いつけず、霧生の声が両耳を貫通する。
「おさらいですが、そのオペアは多綱くんの憑依能力を使って動かしています。その能力はメカニズム、効果とも私の憑依と全く同じものです。この憑依は神経電位のハッキングにより不正操作を行うものですが、アクセスできる神経ポートの本数には限りがあります。多綱くんは自分のオペアを操作するためにその多くをロスしているため、余っているポートはそう多くはないのです」
「はぁ……」
魁地には霧生の声が遠く別次元のものに聞こえてきた。一度は死さえも厭わないと思った自分だが、勝手に描いた期待が壊れるだけでこんなにもへこむ脆弱なものだったとは……ゲーム脳に支配された俺ってやつも、意外に人間味が残ってんだな、ってか、そもそも人間って何なんだろうな。
――などと、あわや生まれた意味にまで言及しようかという無限ループの現実逃避に走り出す勢いの上の空っぷりに、ようやく霧生も魁地の異変を察知したようだ。
「ちょっと、多綱くん。聞いていますか?」
「……はぁ」
「ちょっと、言っておきますが、これはとても大事なお話なんです。多綱くんにとっても、そして、私にとっても」
霧生が珍しく大きな声で捲くし立てる。普段は潜めている興奮が表に出てしまったのか、座っていたはずの彼女は中腰で前のめって魁地の眼前に顔を接近させている。触れんがばかりの勢いに、魁地は我に返ってたじろぐ。
「わわわ、わかった。悪い。ちゃんと聞くから」
「……しっかりしてください」
霧生はコホンと一つ咳払いすると、その場を立って魁地の隣に座った。彼女は少し俯き、魁地の方は見ようとしない。
戸惑う魁地は霧生の目的が見えず、とにかく話題を繋げようと声を掛ける。
「えっと。オペアの稼働率を上げるって、どうやるんだ?」
「はい、今のままでは先程言ったように、多綱くんのポートが足りていません。そこで、私の憑依でその不足を補います」
「そんなことができるのか?」
「ええ。先日、多綱くんのオペアを起動させたとき、私がその体を乗っ取ったのを覚えていますか? 原理としては、その時の要領です」
そりゃぁ覚えている。記憶というより、この手に残る感触ではっきりと。それは、魁地のキャパシティーをアニメクラスの巨乳オンリーから一般レベルまでレンジ拡大を果たした大事件だ。しかし、彼女を前にそれを公然と認めていいのだろうか。いやむしろ、霧生はそのことをどう思っているんだ?
一見して平然とその件に触れてくる彼女の心情を、魁地は理解できない。
「あ、うん。まぁ覚えてはいるけど……」彼は霧生を横目で見る。彼女の表情は特に変わることもない。そして、彼女は話を続ける。
「ただし、フル稼働したオペアのポート本数は私の能力限界も超えています。それに、その操作は複雑で、手足を動かす程度の簡単なものではありません」
「え……じゃぁどうすんだよ?」
「これを使います」
霧生はどこからともなく手の平程の大きさのデバイスを取り出した。それは白い長方形のリモコンのようにも見える装置だが、イヤホンのような突起や操作パネルが実装されている。彼女はその両端を持つと、まるで板チョコを割るように両手で真っ二つに引き離した。分かれたデバイスからはその間を繋ぐように弾力のある数本のワイヤが引き出され、それを弧状に曲げるとヘッドホンのような形状に変化した。そして、彼女が指先でパネルを撫でるとまるでゴーグルのようなホログラムグラスが出現した。
「すっげ、なんだよ、それ?!」
「これは、ルーナーと呼ばれる、センスシェアユニットです。多綱くんのオペアに搭載された莫大な追加ポートは、頭部に埋め込まれたデコーダーでコード化され、より少ないポート本数で操作できるようになっています。ただし、そのコードはそのままでは処理できないため、このルーナーを通してさらに単純化します。これを使うことで、私が多綱くんにアクセスしてオペアをフル稼働させることができます」
「へぇ、おもしれぇな、それ。なんかゲームみたい」
魁地はSF染みたその技術に感心しつつも、一つの疑問が浮かんだ。……これを説明するのに、何故霧生の部屋に来る必要があったんだろう?
「……で、なんで俺を部屋に連れてきたんだ? それ言うだけならセンターでもいいだろ」
霧生は一つ溜息を溢すと、耳にあるルーナーに手を触れた。すると小さな顔の半分程を覆っているホログラムグラスが消光し、彼女の表情が色味を上げた。いつもは乾いたような目が、まるでゆっくりと波打つ水面のように揺らめく光を反射している。
「……察しがいいですね。そうです。早急にオペアを覚醒させる必要があるのですが、実は問題があります」
「も、問題? 装置が壊れているとか?」
「いえ、違います。オペアを覚醒するためには、私の能力で多綱くんのデコーダーにアクセスし、それを起動させる必要があるのですが……」
「……ですが?」
霧生は視線が浮つき、明らかに動揺している。魁地は少しもどかしさを感じつつも、急かすまいと笑顔をつくる。
「そのアクセスポイントはあまりに深く、その上操作するポート本数が多いため、かなり精密な作業を要します」
ぎくりっ――魁地の笑顔が引きつる。
彼は嫌な予感がした。まさか、ここで俺の頭を開いていじくろうなんて言うんじゃないだろうな?
いやいや、だったら研究室で結浜がやるんじゃ……まてまて、じゃぁ、どうして?
「その……それを行うためには、能力の核となるお互いのアクセスポイントをほぼ密着させる必要があります……ですから、その」
えっ? どういうことだ? ――と、魁地がその意味を理解できず戸惑っていると、霧生が意を決したように彼を凝視した。
「なな、なに?!」
「多綱くん。ごめんなさい……先に、謝っておきます」
魁地はあまりの恐怖で、無意識のうちに予知能力を使った。まるで眩暈のように目の前の景色が失われ、三秒程度先の光景がそこに広がる……はずだったが、何も見えない。そこにあるのは暗闇だった。これでは、今から何が起きるのかも分からない。そして、視界は現実へと引き戻される。釣り上がった霧生の目尻には涙が溢れている。
「ちょちょ、ちょっと待っ――?!」
「消灯」
そのとき、部屋の照明が落ちて周囲は暗闇に包まれた。突然視界を奪われた魁地は、咄嗟に両手で近くをあさろうとする。しかし、まるで正面から抱かれたようにその腕を塞がれ、彼はソファーに押し倒された。
「っ?」
それは、突然魁地の唇に押し付けられた柔らかな感覚。そして、その間から差し込まれる温かく湿った滑らかな触感。湿ったそれは魁地の唇を押し広げ、口の中へと進入する。
初めての感覚だった。それは魁地の舌に絡みつき、まるでその何かが自分の一部になったかのように、感覚が一つになって溶けていく。味覚を司るはずのそれは、徐々に彼の下半身へとリンクして、湧き出す高揚感で満たされていく。
「うっ、あふっ」
思わず、止めていた息が漏れ出した。そして、魁地は無意識に閉じていたその目を、恐る恐る開いた。そこには相変わらずの暗闇が広がる。
が、しかし。
それは突然、起こった。
右目の視界に弧や直線を描いた様々なラインが出現し、「暗視モード」の表示が映った。魁地は分けがわからぬまま、呆然とその状況を見続ける。すると、その視界はカチャリと音を立て、暗闇から緑がかった映像へと切り替わった。
――そこにあるのは、彼の口に、小さな口を押し当てて涙を浮かべる霧生の美しい顔だった。




