九 宿儺(2) 座す者
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九 宿儺(2) 座す者
――飛騨高山 両面窟――
照り付ける太陽は鬱蒼と隆盛する木々が遮り、先程とは打って変わって涼しささえ感じる。彼らは木陰から漏れ出す光に沿うように、そこから山道を一時間程歩いてようやく洞窟の入り口に辿り着いた。先頭の大橋が振り向いて言った。
「草野原さん、水元さん。ここから先は安全を保障しかねます。以降はご自身で行動なさってください。なんて、あなた方専門家に言うことでもないですかな」
「大橋さん、重々承知しています。公的な許可も得ていますし、以降は私たちの責任で行動しますので、大橋さんにはご迷惑をおかけしません」
「くれぐれもお気をつけて。五時間後までに下に戻ってください。時間が経過しても連絡がない場合は、事故と判断して警察と救急隊を呼びます」
「了解しました。ではまた」
草野原と水元は大橋と別れてそのまま入洞し、水の滴る鍾乳洞の路を進んだ。そして『最終地点/折り返し』と表示された看板のある場所に辿り着いた。ここは幅と天井が三メートル程度はあるかという比較的広い空間になっている。看板は地震で倒れ、横倒しになっている。
ここが何週間か前までは本来の最奥端だった。草野原も何度か調査に訪れており、見慣れた場所のはずだったが、今は違う。彼女の目の前には塞がっていたはずの壁面が崩れ落ち、少し屈めば通れるほどの穴が開いていた。
水元は崩れ落ちた壁面の岩を観察する。
岩の表面はぬるりと湿っており、断面は年輪のようになっている。これは炭酸カルシウムが面状に堆積したフローストーンだ。さらに観察すると、いくつかの断片には積層部分がずれている箇所がある。それは、過去にこの壁の一部が崩れたことを意味する。彼はそれが二千年近く前の古墳時代であると見積もった。
そして、幾つかの岩片を見ていた水元は、そこに新たな異常を見つけた。
「ビンゴ! これだな。ここが埋められたのは二千年近くも前だと推定される。だけど、部分的にもっと新しい断面がある。一見、数千年掛けて形成されたフローストーンに似せてあるが、この部分だけは人工的に形成されている。おそらく崩れた穴を塞いだ跡だ。そうだな。精々五年前ってとこか」
「あなたを連れてきて正解だったわ。だとすると、ドクター結浜の情報と一致する」
彼らは解せない表情を浮かべながらも、これからやるべきことは一つだと考え、お互いこくりと頷いた。
「よし、とにかく内部に潜入してみよう」
奥の洞穴は手前側よりも広く、鍾乳石が上や下から伸びてはいるが、彼らが移動するのにさほどの支障はなかった。先頭を進む水元は徐々に照らし出される未知の光景に興奮しつつも、その高鳴る鼓動が別の要素によるものではないかと不安を覚える。それが何かは分からないが、慎重を要する地質学調査の性かもしれないと納得しようにも、悪寒は一向に止まない。
草野原が水元の背中を押しつつ、さらに十分程進むと、先頭の水元が突然足を止め、立ち塞がった。
「ちょっと、どうしたのよ」
「こいつは……おい、草野原。お前の出番かもしんないぞ」
「何か見つかった?」
草野原が水元の背後から顔を覗かせた。そして、その光景を前に彼女は言葉を失った。
「これは……」
強く壁面を反射していたヘッドライトの光がそこから先で急に薄らいでいる。それは照らし出していた空間がそこから大きく広がっていることを示している。
そして、薄闇の中を縦に輝く反射光のライン。そこには氷柱のように垂れ下がる特段大きな鍾乳石が何本も連なっている。
だが、問題はそこではなかった。
水元が首を振り、ライトの光で洞穴内を撫でると、上から伸びる鍾乳石は途中で太さが変わっていたり、下のものは角度が斜めになっているものが見えた。そして、壁面には強いライン状の影が浮かび上がり、深い溝がいくつも走っている。
これは過去の洞穴地質調査でいくつもの鍾乳洞を見てきた水元も初めて見た光景だった。
それは、ここまで見てきた自然が作り出した洞穴の光景とは打って変わり、途端に人為的な傷跡を疑わせるものだった。
「この空間には、過去何らかの大きなストレスが掛かった形跡がある。それもかなり昔だ」
水元は首を振ってヘッドライトの光を回した。照らし出された鍾乳石は折れたり落下して地面に固着している異形のものが多い。一度破壊された鍾乳石が時間と共に融解して再結合したものだ。
「水元、空間が広過ぎて見辛いわ。もっと光がほしい」
「OK、そろそろ俺のアビリティーを発揮しますかい」
水元はバッグから小袋を取り出した。それはジャラジャラと心地好い音を響かせる。中に入っているのは直径二センチ程度のガラス球、所謂ビー玉だ。彼はまるで縁日の小学生のように、そのビー玉を握り締めて得意げに笑った。
「さっさとやってよね」
「はいはい、ただいまっと!」
彼はビー玉を辺りに思い切りばら撒いた。すると、それらがまるで強力なメタルハライドランプのように発光し、忽ち周囲を隅々まで照らし出した。
「うわっ、まぶしい!」
草野原は瞳孔がその光の強さに追従できず、思わず両目を手で塞いだ。
「どうだい。だいたい一時間程度はもつ……わぉ……うそだろ……」
水元の言葉が途切れた。草野原は徐々に指の隙間から光を入れ、うっすらと目を開く。そして彼女は、眩い光と共に網膜に流れ込む目の前の情景に驚愕した。
「まさか……こんなものが、ここに……」
輪郭がくっきりと浮き上がった空間は彼らが思っていたよりも広大だった。
そして、そこには種々の鍾乳石に絡みつくようにして建築された木造の建造物が神々しくその光を受けていた。
「そんな馬鹿なことって……数千年もの間、木造の建造物がここまでの保存状態で残るはずないわ。これが、話に聞く両面宿儺の力なの?」
「ここを見てみな」水元が指差すそこには、やはり木造の灯篭のようなものが巨大な鍾乳石の壁面にもたれ掛かるように建てられている。鍾乳石を伝い流れる炭酸カルシウムの溶解水がその灯篭の屋根を濡らしている。そして、そこ端には氷柱のようなストロー状の鍾乳石が伸びている。
「これができるまでには二千年は掛かるだろうよ。マジで、この建造物は古墳時代に建てられたものだ」
「……すごい」草野原は絶句した。
彼女らはゆっくりと祭壇に近付く。鍾乳石が邪魔をして視界の一部を遮っているが、歩を進めると、その全体が彼女らの目に入り、そしてその"影"が映り込んだ。それは、中央の石段に浮かび上がる一つの影。
「ねぇ、中央になにかあるわ!」
草野原は慌ててそこに駆け寄った。
「これは……ミイラ?!」
それは両手を合わせたミイラ状の男性と思わしき遺骸であった。まるで祭壇を守るようにその手前で座禅を組んでいる。彼女が男性と判断したのは、即身仏のようなその遺体が甲冑を身にまとっているからだ。鉄製の短甲に丸みを帯びた兜。それは古墳時代の甲冑の特徴に一致する。
草野原の鼓動が高まる。考古学的な見地からではなく、単に好奇心から来る興味が彼女をそうさせた。問題は古さでも骨董的価値でもなく、遺骸の形状にあった。兜は前方の顔部分が作業用ヘルメットのように衝角を作って開口されているが、後ろに回って見ると後頭部も同じように開口されている。兜の形状は前後どちらも正面だ。
草野原はもう一方の正面を覗き見る。彼女はもう一つの顔を期待した。しかし、そこにはまるで抉られて剥ぎ取られたかのように、ごっそり空間が空いていた。
「片側がないけど、痕跡から言って両面宿儺と言って間違いないわね」
「まさか、本当にいたなんて。しかも、残り半分がないってのは、あのガキの情報のとおりだ。あいつ、本物だったのか」
古墳時代の伝説の戦士が、まさに今、二人の目の前に鎮座している。
「おい、これ、何だろう?」水元が草野原に尋ねる。
ミイラの手には鎖状の数珠が掛けられている。古墳時代の遺物としては草野原も見たことがないものだ。さらに、彼女はそのミイラが日本では見慣れない紋章の入った首飾りをしていることに気付いた。まるでエジプトのホルスの目のようなそのデザインは明らかに和製のものではない。
「ミイラの甲冑は確かに古墳時代のものと言えるけど、それ以外は正直、日本古来のものとは思えない。おそらくエジプトから流入した古代バグズの遺物ね。バグアビリティーやザルバンの存在はホルスの時代に認知されてバグズの組織化が進められた。その思想は世界中に広がって、現在のバグズに継承されている」
草野原は自分の首に掛かったボールチェーンを引いた。チェーンの先はタンクトップの布地を張る二つの隆起の谷間に潜り込んでおり、そこからドッグタグ型の小さな金属製のIDカードが山を押し分けるように顔を出した。そこにはバグズIDのテキストと共に、ホルスの目を模ったようなロゴが掘り込まれている。両面宿儺のそれとは多少異なるものの、起源が同じであるとの推測は容易にできた。
草野原は残っているミイラの手足を観察した。今でこそ鰹節のように乾燥しているが、骨の形状は維持されているため、その身体的特徴は推測できる。そして、彼女は瞬時にその異常に気付いた。両面宿儺の手足の骨は極度に細く湾曲しており、何箇所かで折れた形跡もある。
「この手足には極度の発育障害と軟化が見られるわ。おそらく神経性の麻痺で幼少期からほとんど動かなかったんじゃないかしら」
「なんだよそれ、両面宿儺は剛腕じゃねぇのかよ。伝承と全然違うじゃん」
「たぶん、消えたもう片側が手足の機能を担っていたんでしょ。普通に動ける人間が背中合わせに張り付いていたら、逆に動き辛いじゃない。むしろ、この方が納得がいくわ」
「もう片側、かよ。なるほどね。たしかに、情報と照らし合わせると合点がいく」
「宿儺はおそらく当時のバグズの中心的な人物だったんだろうね。だから、彼が目を付けた。それにしても、この祭壇の保存状態は、おそらく彼の強力な結界によるものよ。死して尚、これだけの効果を維持している彼の能力。とてつもないものね。でも、これは問題ね……」
「ん? 一体何が問題なんだ?」
草野原がミイラの手に絡んだ数珠を摘みあげた。すると、本来輪の全体が引かれるはずの紐は片側だけが浮き上がり、それが途中で切れているのが分かる。切断面はまるで裁ちバサミで切られたように綺麗だ。
「これは、誰かが切断した痕ね。それもつい最近。おそらく結界を解くために切ったと推測できるわ」
「結界を解くため……まずい、先を越されたんじゃないか?」
「見た感じ、誰もいないようだけど……とにかく急ぎましょう。結界が解かれて時間の流れが元に戻ったからには、ここもすぐ朽ち果てるわ。すぐに記録を録らなくちゃ。私のリーディングなら、何か分かるかもしれない。あなたは難波根子武振熊を探して」
「おっと、霊能力者のお出ましですか」
「ふざけないでよね。私のは霊視じゃなくてリーディングよ。それに、そもそもこのアーティファクトに霊なんて眠たいものはないんだから。私は物に触れることで記憶領域にあるオブジェクトレコードを辿って過去の情報を得ているだけ。時間経過と共に消えて行くデータだけど、インパクトのある記憶残滓は比較的残り易い。だから、両面宿儺の過去も何か得られるかもしれないわ。あなたも急いで」
「はいはい、講釈ありがとさん。オーケー。俺は向こうの祭壇を見てくるよ」
「水元、気をつけて。敵が潜んでいる可能性もあるわ。それに祭壇はたとえ結界に守られていても、千年以上、おそらく二千年近くも前のものよ。床を踏み抜く可能性もあるし、絶対に触らないで」
「へ~い、分かってますよ」
草野原はバッグから端末を取り出し、頭にスキャン用のヘッドセットを被った。
それは、彼女の脳内に湧き上がるリーディングで得られたデータの断片をレコーディングし、ビジュアル化するための装置だ。さらに、リーディング中は体の自由を奪われる上、意識が戻る瞬間にはまるで思い出せない夢のように、その記憶が失われることがある。それを防ぐための記録という役割も持っている。
彼女はデバイスの準備を整えると、肌の露出している宿儺の首筋にゆっくり両手を伸ばした。一体、宿儺の何が見えるのか――いまや彼女を駆り立てているのは、バグズとしての任務ではなく、目の前に考古学的な宝が山積しているという事実に他ならなかった。
「……いつも思うんだが、この間にあいつの胸揉んだら気付くのかね」
リーディングで無意識状態に突入した草野原を見つめ、水元がぼそりと呟いた。「――って、いやいや。それより、クマちゃんだ」
水元はバグズとしての使命と学者としての好奇心が入り混じり、そこに性欲までもが加わっている。混沌とした彼はズボンの股上を引っ張りながら、祭壇へと続く石段を駆け登って行った。
水元は祭壇の前で止まり、その木造遺跡をじっくり眺めた。彼は祭壇の床を慎重に踏んだ。
「……硬い。なんだ、入れそうだ」水元は足先で軽く床を蹴った。
床はびくともせず、ゴンと重い音を響かせる。
どうやらこの建造物は、古代の建築工法に見られる掘立柱様式で建てられているようだ。床は洞窟の石床をベースに木製の柱や壁が立地されており、足元は頑丈だった。
大丈夫だ、問題ない。
彼は慎重に祭壇の中心部へと進んだ。中央には両開きの扉がある。それは牢屋の鉄格子を思わせる格子状に組まれた木製の扉で、両面宿儺のミイラのもっているものと同様の鎖状の長い数珠が撒きついて閉じられている。
彼は扉に近付き、格子の隙間から中を覗いた。扉の内部まではばら撒いた発光体の光が届かず、中の様子は判然としない。彼はポケットから球を取り出し、能力で発光させて隙間から暗闇に放り入れた。するとその光は目の前の何かに当たり、色褪せた色相を映し出した。
彼は最初、それが何なのか理解できなかった。
彼は格子に顔をつけるように覗き込む。そして、それが何たるかに気が付いた。




