七 宿儺(1) 伝承
**********
七 宿儺(1) 伝承
――飛騨高山 日面出羽ヶ平の山中――
「おええぇぇ、もう勘弁してくれ。吐きそう」
「水元、頼むから車内にぶちまけるのだけはやめてよね。ガキじゃないんだから、少し我慢なさい」
巨大なオフロードタイヤにおまけのようにして乗っかっている角ばった車体は、連続するヘアピンカーブに揺さぶられ、メトロノームと化している。
「おいこら、草野原。ただでさえボロ車の振動でキツイのに、お前のジェットコースターみたいな運転じゃ、誰だって酔っちまうだろが。う、おえっ」
岐阜県高山市丹生川、日面出羽ヶ平の山中。片側がごっそり削り取られたような崖の山道が、まるで山に巻きつく蛇のようにヘアピンカーブを張り巡らす。そこを走るのは、飾り気のない軍用型のカントリービークルが一台。
「安心して。後もう少しで『両面窟』よ。口から中身が出そうになったら飲み込んでよね」
絹のように艶やかなストレートのロングヘアー。草野原はその美しい髪を風になびかせ、悪戯っ子のような笑みを溢す。
「うっせぇ。そんときゃ、てめぇの谷間にぶっかけてやっかんな。うぇぇ」
水元は車の振動に合わせて縦横無尽に揺れる草野原の胸に目を凝らす。彼女はタンクトップにノースリーブの薄いジャケットを着ているだけで、豊かな胸を大胆に晒している。
「もう、男なら少しだまっててよね」
草野原明美は、組織が抱えるこの危機的な状況にも関わらず、この先に待っている洞窟のことを考えるだけで自然にテンションが上がっていた。それは彼女が考古学者であることに起因するものが大きい。つまり、好奇心は恐怖心にも勝ると言ったところだ。もはや隣で嗚咽を漏らしながら愚痴を溢す地質学者の水元朝義のことなど頭の片隅にもない。
「おえぇぇ……それにしても、ドクター結浜の要請とは言え、今ではアメリカ所属の俺たちがこんな所に来なくちゃいけねぇんだよ。だいたい、俺は地質学の専門だ。千数百年以上も前の『両面宿儺』の伝説なんかに興味はないんだよ。要は昔話のオカルトだろ。それにレジルの戯言と言い、例のガキの言うことだって本当かどうか怪しいもんだぜ」
「何言ってんのよ。彼の情報は信頼に足るわ。奴らはきっとアレを狙っている。私たちはそれを止めるために来たのよ。それに、私が長年追い求めていた両面宿儺の姿を拝めるわ。ドクターも人が悪いわね。一人で秘密裏に交渉していたなんて。とにかく、確証を得るには地質学的な知見が必要よ。あんたがいないと始まらないんだから。しっかりしてくれないと困るわ」
「ふん、俺は気に食わないね。身内の問題はそっちで片付けろってんだ」
「何言ってんの。日本支部は私たちの古巣じゃない。それに、身内には知られたくないからアメリカにヘルプを出したんでしょ。今のバグズは日本が中心拠点なんだから、これは世界全体の問題でもあるのよ」
「おめぇの趣味に付き合わされるこっちの身にもなってくれよ……何が両面宿儺だっつうの」
両面宿儺――それは、日本書紀に記されている鬼神だ。その姿は異形で、前後に二つの顔があり、背中合わせになった胴体のそれぞれに手足がある。並外れた戦闘能力を持った彼は皇命に従わず、人民から物資を略奪していた。それゆえ、天皇は和珥臣の祖、難波根子武振熊を遣わしてついに彼を誅した――残された伝承は、簡単に言えばそんなところだ。
「ゴチャゴチャ言ってないで、私たちの使命は彼を打ったとされる難波根子武振熊、奴の復活を阻止すること。そして崩壊した洞窟の修復よ。その目的に集中しなさい」
「クマちゃんねぇ。本当にそんな奴いんのかよ」
「ドクターと彼の言葉を信じるしかないわ」
「はぁ……」水元は嘔吐感に耐えつつ溜息を漏らす。
正直、そんなことはどうでもいいんだが……彼のモチベーションは精々草野原の贅沢な体くらいのものだが、それもまたこの性格が引き上げるハードルの高さに萎えるというものだ。水元は草野原の谷間を横目に、もう一度溜息をついた。
「はぁ……このミッション完了したら、ぜってぇ遊んでやる。ったく」
突然、狭い道路の奥が拓けた。
そこには広い駐車場と、その脇にさらに奥へと上る坂道がある。
「この上よ。階段を上がっていけば、大橋という人が管理する資料館がある。彼は元々探検家だったけど、両面窟周辺の鍾乳洞を発見したことで莫大な富を得た資産家よ。その資料館から足で山を上がって両面窟に行くわ」
「こんな辺鄙なところに資料館って、誰が来るんだよ。ま、この暴れ馬から開放されるなら、どこでも行くけどよ」
二人は急角度に伸びる歩道の階段を上った。水元はまるで青空に吸い込まれるように延々続く階段を必死に上り、草野原の後を追う。しかし、その間は徐々に開き、彼女の姿が消えた。
彼がやっと頂上に着くと、山肌をくり貫くようにして建てられた鉄骨剥き出しのプレハブ型建築物が姿を現した。草野原の隣には男が立っている。
「ちょっと、遅いわよ」
「てめぇ、こっちはクソみたいな運転でグロッキーなんだよ。ふざけんな」
「ま、そう言わないでよね。この方がが案内人の大橋さんよ」
大橋は山奥にそぐわない高級スーツに身を包み、見る者に暑さの感覚を狂わせている。厳ついマスクにオールバックの髪型がこれでもかとマッチし、資産家としての品格よりも探検家として養った野性味の方が滲み出ている。
「どうも、初めまして、大橋です」
大橋はポケットに入れていた手を水元に差し出し、握手を交わした。水元は、その大きくゴツゴツとした硬い肌から、いくつもの障害を乗り越えてきたであろう緩やかではない彼の人生の一片が感じられたような気がした。
「こちらこそ、急にお邪魔してすみません。地質学を専門にしている水元と言います。宜しくお願いします」
「さぞかしお疲れのことでしょう。よかったら資料館で少しお休みになってください。ゆっくり私のコレクションを見て行ってくださいな。両面宿儺に関する何かのヒントにもなるかもしれませんし」
「ええ、是非お願いします。こいつの運転で本当に死にそうなんで……」
延々と続くガラスウィンドーの中には、飛騨周辺で発掘された遺跡の一部や出土品が展示され、古墳時代の形象埴輪がいくつも並んでいる。埴輪は一見して良くある土製人形のようだが、水元はその形に違和感を感じた。
「おい、草野原。これって埴輪だよな?」
「ええ、高山では古墳やその時代の集落跡が多く発見されているのよ」
「だけど、こいつらは、俺が記憶している埴輪とは少し違っているんだが」
そこにある人物埴輪は腕や胴体の一部が欠損しているものが多くあり、中には頭がなかったり、頭の一部だけがあるものもあった。しかし、それは割れて壊れているのとは違い、その断面は滑らかで亀裂も無い。考古学には素人の水元でも、それが故意的に形成されたものだと容易に察しがついた。
「ここで発掘される埴輪は、何故か体の一部が欠損した状態で作られているものが多い。そんなの、他では見ないわ。地元の言い伝えでは、その頃に起きた戦乱を模し、霊魂を鎮めるために遺体を形作ったと言われているの」
「へぇ、今ではこんな平穏な観光地で戦争ねぇ。確かにそう言われてみれば、兵甲や騎馬の埴輪も多いな」
「だけど、不可解なことがあるの。これを見て」
草野原は部屋の奥へと歩いた。そして突き当たりにある一際大きなウィンドーを指差した。そこには幾年もの歳月で朽ち果てた棒状の金属が並べられている。
「この棒みたいなものは、鉄だな……昔の刀か?」
「そのとおりよ。これは古墳時代の直刀。鉄製の刀というのは、歴史的にもちょうどこの頃から製造されるようになったの。だけど、当時の刀はまだ西洋と同じ直刀だった。実際、ここで発掘された刀はどれも湾曲のない真っ直ぐな刀ばかりなの。西洋の剣がそうであるように、この形状の刀は切るのには不向きで、突くことで破壊力を発揮するものなの。製法もまだ未熟だし、日本刀の域に達するのはまだ先ね」
「そうだろうな。何が不可解なんだ?」
「ちょっとこっちに来て」草野原はそう言いながら部屋の奥へと移動した。水元もそれに続く。
草野原が立ち止まったそこには、『日面古墳』と書かれたパネルと共に、遺物の並んだショーウィンドーと、床に置かれた大きな石棺がある。
「へぇ、こいつは古墳から発掘したものか?」
「ええ、そうよ。ここの地元で十年前に発見された古墳で、完全に密閉された石室が見つかったの。そこは空気濃度が薄くて、遺物がほとんど腐食することなく現存していたの。これを見てちょうだい」
草野原が指差すそこには、古墳時代のものとは思えないほど保存状態の良い短甲と呼ばれる甲冑や刀、陶磁器や装飾品が並べられている。だがそれらは、本当の意味では原型を留めていなかった。
問題はその形状だ。短甲は一部が鋭利な何かで抉られたような穴があったり、背中から胸部にかけて輪切りになっているもの、縦に真っ二つになっているものも少なくない。
「これは、あの埴輪と同じ……地元の言い伝えは本当ってわけか」
「さて問題。この時代の直刀でこんな芸当ができるのでしょうか?」
突くことで威力を発揮する鈍刀で、金属を両断できるわけがない。それは水元でも容易に想像できる。
「不思議でしょ。実は私が調査を進める中で得られたある集落に伝わる伝承に、それを臭わせる面白いものがあったのよ」
「面白いもの? なんだそりゃ」
「宿儺を討ち取るために天皇が遣わした難波根子武振熊に関する伝承よ」
「悪者の両面宿儺を退治した例のヒーローですかい」
「両面宿儺が悪者なんて大きな間違いよ。ここ地元では宿儺の武勇伝がいくつもあって、英雄視されているの。そうなると、逆にこっちでは難波根子武振熊がヒールってことになる。そして、袈裟山の寺の地下で発見した古文書にはこうあったの。難波根子武振熊は地元で神格化した両面宿儺を打つため、彼を崇拝する集落を次々と打ち滅ぼした。彼が振り翳す刀は光を放ち、大木や巨石も一太刀で断った。そして両面宿儺と難波根子武振熊は水の洞窟で対峙した。そして彼らは神の境界に姿を消し、二度と戻ることはなかった――こんなところよ」
「光る刀、ね。何らかの能力ってことか? 例のガキが言うようにクマちゃんがアングラのバスターウェアだとしたら、辻褄が合うってことか」
「そして、彼らが姿を消した神の境界、水の洞窟というのは両面窟の鍾乳洞のことよ。そこが先日の地震で洞窟の最奥端が崩れ、さらに奥の通路が露出した。もしそこに人為的に埋められた形跡があるとなれば……彼の証言とも一致する」
草野原は子供の様な無垢な表情でニヤリと笑った。
「それにしても、今回は伝説級の強敵だよな。もし復活したとすると、こちらは戦力的に不利だぞ。例のマルチバグの準備は整っているのか?」
「マルチバグを当てにしていたら時間がないわ。私たちが阻止しないと。とりあえず、あの子は砂菜ちゃんに任せましょう。それに、私は男の子に興味はないの。男は人生経験のある屈強なのじゃなきゃね」
水元は自分の太い上腕二頭筋を眺めた。それはクライミングのスキルも必要とする極所での地質調査で自然に得た実用的な肉体だ。
「……まぁ、高望みは止めよう……落ちたら怪我じゃすまねぇ」




