九、男の人とは
彼は色々と話をしていきました。わたくしの知っている話も、知らない話もありました。彼が言うには、周りに話ができる相手があまりに少ないために疲れてしまっているそうです。兄様たちは数少ない話ができる相手だそうですが、忙しく働いていることと、彼の立場で公に話しかけると面倒ごとが起こるとのことです。貴族には派閥というものがありますものね。父が第二王子を見限り、財務大臣及び側室様の派閥から一切の手を退いたように。
「女性で話が出来るとは思っていなかった。その、俺は高位の貴族なのでな、下手に一人の女性に近付くのは、ちょっと」
「まだご結婚はなさっていないのですか?」
「婚約もしていない、見合いは……今度する相手がいる」
「良い方ですといいですわね」
努めて微笑みました。先ほどは身体が冷えたような気がしましたが、今度はぎゅっと縮むような痛みが胸に走った気がしたのです。
「君は?」
「え?」
「婚約者は要らないのか」
思ったよりも彼は真剣な口調で言いました。ですから、思わず本音をこぼします。
「わたくしは、よくわからないのです」
「わからない?」
気が付いた時にはもう、お見合いをしておりました。そこにわたくしの意思は無くてもかまわないのです。どれだけ数を重ねようと家族が決めないのであれば決まりませんので、決まればその方と添い遂げるのでしょう。わたくしにはお友だちはおりません。男性と接することもありません。使用人たちと、孤児院の子どもたちが話し相手です。
「兄上たちから紹介されたりは?」
「とうの昔にお見合いをしております。やっと一人で歩けるようになったような幼い頃ですが」
婚約者という存在はわたくしが知る限りですけれど、姉様とソロン伯爵のような仲睦まじいご夫婦の様子が思い浮かびます。大兄様も次兄様もご婚約者はいらっしゃいますが、ほとんど我が家ではなく相手側の家で逢瀬を重ねてらっしゃって、想像ができません。
恋人と幾多のすれ違いや困難を乗り越えて結婚するような恋愛小説も読みましたが、その恋人を選ぶ理由がわからなかったのです。仲良くするのに、ソロン伯爵でなければ嫌だと思った訳を姉様に聞いたことがありました。
「そうしたら、その時になればわかる、と言われてしまって結局わからなかったのです。婚約者がいなくともわたくしは不自由しておりませんし……いえ、お見合いをしなければならないのは面倒ですけれども」
「なるほど、世間知らずな上に理由がいるのか」
彼はわたくしから少し身を離すと首だけで後ろを見ました。よし、と呟くと、しゃがみこみました。
「え?」
「静かに!気付かれる」
膝裏に腕が回され、ふわりと身体が浮き上がりました。急に彼の顔が近付きます。
「目をつむって」
吐息がかかって、言われずとも目をつむりました。近すぎます。わたくしを横に抱き上げたままに彼は歩いていきました。ふっと早さが変わり、またゆっくりとなりました。がさがさと葉が揺れる音が聞こえます。
「もういいよ」
「……ここは噴水?」
我が家の庭の中の噴水です。二階からどうやって下に降りたのでしょうか。わたくしを抱いたまま噴水の縁へと腰かけます。夜の噴水は水が止まり、まるでどこかの遺跡のようにさみしげです。黒く見える木々が周りを囲み、昼間のような明るい気分にはなれません。
「さて、君は今、俺と二人きりだ」
何故そんな当たり前のことを言うのでしょうか。黙っていると、背中を支えていた彼の腕がもぞもぞと動きました。くすぐったいです。
「女性が家族でもない男性と二人きり、それをわかっているか?」
わたくしは大きく息を吸い込んで彼を見つめました。陰っている彼の顔が、急に恐ろしく感じました。
「下心がある、君に好かれたいと思っていると告白した相手に君は身を委ねたんだ」
覚悟はあるのか、と。
彼の顔が近付きますが、顔を背けられませんでした。わたくしはこの後に何があるのかを知っています。
しかし彼は動きを止めました。
「……何故逃げない」
わたくしは息を吐き出しました。目を伏せ答えます。
「……かまわないと、思ったのです。あなたがわたくしに優しくしてくださるとわかっておりますから」
彼が身体を強ばらせたのがわかりました。本気でないことくらい、わたくしにだってわかります。ディアボス伯爵との縁を取り持ちたい者、幼女を性の対象とする者、暴言や暴力をふるいすっきりしたい者、父や母がいないお見合いでは、様々な要求をされました。数をこなしたのです。さすがに人を見る目は養われます。ですから、今夜バルコニーに現れた彼は、兄様たちの妹であるわたくしに対しては、同じく妹としか見ていないと、はじめから知っておりました。家族の手前、慰めにいけない兄様たちに代わっただけであることくらいわかります。
「あなたが何を欲しているのかわたくしにはわかりません。あなたにとっては女であるわたくしは不要なようですし」
これでこの方とのお見合いは無くなりますね。少しでも減るのはありがたいです。
「いいのか?」
「はい?」
「求めていいのか?君を、君に女を」
顔をあげたわたくしに睨むような彼の目が突き刺さりました。