二十七、誤解とは
何度も目をつむっては、また開いてしまいます。開いても天蓋の柔らかなレースしか見えません。身を起こしてベッドから降り立ちました。
窓を開けます。昼間よりはいくぶん涼しく感じるのは、庭が眠りについているからでしょうか。裸足でバルコニーへ出ます。冷たい石の感触にやはり今夜は眠ることなど出来ないことをさとります。手すりへと腕をまわし、下を覗き込みます。月の無い夜はとても緑の色が深くて、怖いと感じてしまいます。
「死んだ馬を見たそうだな」
あら、来ていらしたのですか。聞こえてはいましたが答えませんでした。深い緑の色が怖いのに美しいのです。
今夜はどなたが手引きをしたのでしょう。わたくしが部屋から出てくるかどうかなんてわからないのに、どなたも窓の鍵のことはおっしゃっていません。
「誕生祝いに子馬を贈った。あいつらは仲が良かった、気があったんだな」
そうでしょうね、とてもかなしんでいらっしゃるのがわかりましたもの。風がわたくしを撫でていきます。
「死を看取るのははじめてだったか?」
そう思ったからここへいらっしゃったのでしょう。お手紙だと会話にもならないのに、顔を合わせるとどうしてたくさんお話ができるのでしょう。
「リンベルダリア……ありがとう、マルームを保護してくれて」
指がわたくしの涙を拭いました。ごつごつとした男の人の指です。わたくしの後ろから何度も拭います。
「ハンカチを取り返してくれたのも」
やはりわたくしだとわかっていらっしゃったようです。ですが、ショコラは料理長のものですわ。
「ショコラに紛れて一枚だけ入っていたクッキーも美味しかった」
ふふ、やはりわかりやすかったみたいですね。陛下から禁止されてしまいましたからあのクッキーが最後です。
「君の兄から聞いた」
どの兄様でしょうか。
「誤解を解きたい。話をしてもらえるか?」
わたくしは涙を拭っていた指を捕まえました。そのまま振り返ります。
わたくしとそのすみれ色の瞳の人はしばらく見つめ合いました。お顔を拝見したのはいつぶりになるのでしょう。
「……どこが誤解だったのですか?」
辺境伯爵様とリリー様に叱られてしまうでしょうか。あのお二人はこの方のことを面白がっていらっしゃいましたから、きちんとお話をしてしまうと楽しみを奪ってしまいかねません。
それでも、失恋したのに、すみれの色がそこにあると胸がうるさいのです。あぁ、第二王子が自分を律することができなくなってしまうのも今なら頷けます。恋をなさっていたのですね。わたくしもです。
「君とはじめて出会った時を覚えてる?」
「侍女と一緒におりましたわ。あなたは赤い髪の方と」
「あぁ、また今度正式に紹介しよう。その時、さらさらとモール商会について、あいつではなく俺に話始めた時にたぶん、惚れた」
そういえばあの方はあれ以来、王城でもお見かけいたしません。まぁ紹介いただけるというのですし気にしなくとも。
「え?って、え?今、え?」
「俺は君に惚れていると言った。伝わっているか?」
「なん、なんで、え?」
「そんなに驚くか?」
悲鳴をあげなかったわたくしは誉められるべきでしょう!何故ほ、惚れるのですか?そんなモール商会の話などどこにも心動かされる部分は無いと思いますよ!いえ、あの方ではなくあなたに話し出したからですか?いえ、それもあなたが主人だろうと思ったから話をしただけです!
掴んだままだった指を離します。その指はするりと抜けて、そのまま腕と一緒にわたくしを抱きしめました。
それだけでまったく動けなくなります。
「君がディアボス伯爵のお見合い姫だとわかった瞬間にレトールが持ってきた話を思い出した。次の見合い相手は俺だと思ったら待ちきれなくなって伯爵に話をしたんだ。君をもらえないなら立太子しないとね」
「なんてことを!」
驚いたわたくしの声は彼の胸に吸い込まれてくぐもって聞こえました。くすくすと笑う振動が伝わってきます。
「なにせ君は有名なお見合い姫だからね、捕まえられなかったら次の見合い相手に取られてしまうだろう?弟はあんな状態だったし王太子は俺だと有力視されていたし……いい交渉材料だった」
「何もそこまで」
「そこまでしても君が良かった」
その言葉に身体がぞくぞくと鳥肌を立てます。身体が熱くなってきます。
「それなのに君は初恋が散ったと。君が今までの見合い相手の誰かに恋をしたのかとも思ったが手紙では俺だと言っていたし、怒りをどこへぶつければいいかわからなかったよ。君の初恋が俺だと自惚れていたから余計にね。君の初恋からすべてのことが俺のものだと、君は俺しかその瞳に映さないものだと信じこんでいた」
夢です。これは都合よくわたくしが見ている夢です。誤解であってほしいという、願望が見せている夢です。この暖かい体温も、服につけられた花の香りも、耳にかかる吐息も、まるでわたくしを好きだと言うような言葉も。




