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二十、賢い竜とハンカチ

 竜はとてつもなく大きくて、近付けませんでした。


「痛い痛い!俺こんなんばっか!」

兄様(あにさま)がいたら大丈夫なんです!」

「いなくても大丈夫だって!なぁプランセッス!」


 長いまつげを揺らして黒々と(つや)めく瞳でわたくしを見ているのは竜騎士の兄様の竜で、大きささえ考えなければ非常に美しい牝馬(ひんば)です。濡れたように光を放つ青毛(あおげ)は珍しく、大きささえ考えなければ王城で飼われているどの馬よりも美しい馬です。


「なぁダリア、竜はプランセッスだけじゃないってわかってる?」

「え?」

「後ろ」


 くるんと振り返るとわたくしの髪を()んでいる茶色い竜の顔がありました。ふっと意識が遠くなります。


「こら!倒れるな!」

「かみ……わたくしのかみ……」

「あぁもう!こんなに苦手とか知らなかったよ!」


 わたくしだって知りませんでした。むしゃむしゃと髪を食んでいるのをどうしようもできずにいると、ハッとしたように竜が口を止めました。そのまま何かに(おび)えたように後ずさっていきます。にちゃりと唾液(だえき)にまみれた髪を見つめます。兄様は呆れたように言いました。


「濡らした手拭(てぬぐ)いを持ってくるから待ってろ」

「ちょっと待ってシス兄様!」


 髪についた唾液が他へとくっついてしまうのが嫌なので動けません。


「頼むぞプランセッス」


 そういえば振り向く前にはプランセッスと顔を合わしていました。つまり今後ろにプランセッスがいるということになります。ふーっと頭の後ろに風を感じました。がちがちに凝り固まった首を回して確かめます。


「えっと、プランセッス?」


 ぶる、と鼻を鳴らしたのはお返事でしょうか。黒い瞳と目が合いました。本当に美しいのですけれど。


「ご挨拶を。はじめまして、あなたの(あるじ)であるシルヴェス兄様の妹のリンベルダリアです。しばらくあなた方と騎士の皆さまのお世話をいたします。どうぞよろしくお願いいたします」


 竜にこんなに丁寧に話し掛けるなんて笑われるかも知れませんが、確か誇り高く、しかもプランセッスは竜の中でも抜きん出て賢いと聞きます。きっとわかってくれるでしょう。わかってくれなければわたくしは竜のお世話から撤退(てったい)するしかありません。

 しばらくわたくしを見ていたプランセッスはくいっと首を垂れました。つたわったのでしょうか。


「えと……他の竜にもご挨拶をした方が良いのかしら」


 すぐにぶるん、とプランセッスが鳴きました。これは挨拶をすべきだと言っているのでしょうか。次の竜、と他の竜を探そうとゆっくりと見回してみて、わたくしは(ほお)をひくつかせました。

 なんと竜がわたくしとプランセッスに向かって歩いてくるのです。すべての竜がこちらを目指すことなど、騎士が呼ぶなどしなければありえないはずです。この決して広いとは言えない運動場ですべての竜がわたくしの方へやって来るなどあり得ません。


「ぷ、プランセッス、あなた、皆さんをお呼びしたの?」


 まさか、と思いながらも口にした言葉にプランセッスはぶるる、と鳴いて返事しました。あぁ、本当に賢い竜です。


「そうですわね、一度に終わらせた方が効率的(こうりつてき)ですし」


 わたくしも何度も怖がる必要がありません。震える身体に気付かないふりをしながら背筋を伸ばします。やがて竜たちが隊列を組んで並びました。プランセッスは竜たちへと向き直り、何やらぶるぶると話をしてくれています。そしてなんと、一斉(いっせい)に頭を下げてくれました。慌ててわたくしも挨拶をします。


「ご丁寧にありがとうございます。リンベルダリアです、よろしくお願いいたします」


 プランセッスがまたぶるんと鳴くとばらばらにばらけて竜が散っていきます。かなり統率(とうそつ)の取れた組織のようです。これは観察のしがいがあるというものですわ。


「うわぁ!か、返してくれ」


 どこからか男性の悲鳴が響きます。プランセッスがわたくしを(かば)うように一歩前へと出ます。騎士隊の詰所(つめしょ)の影から、プランセッスより二回りほど大きな竜がのっしのっしと出てきました。プランセッスがぶるる、と鳴くとその茶色い竜はこちらにやって来ました。口に何かをくわえています。


「どなたかいらっしゃったのですか?」


 竜が大きいのでプランセッスに隠れるようにして話しかけてみます。プランセッスがしたようにじっとわたくしを見つめたあと、首を垂れ、口にくわえたものを地面へと落としました。


「一体何ですの?」


 落とされたものを屈んで拾ってみます。それはご挨拶用にと作ってきたジャムのクッキーと、ハンカチでした。わたくしのクッキーを小袋の上からさらにハンカチで包んでいたようです。ハンカチは刺繍がありました。


「……そんなこと、ないわ」

「ダリア、お待たせ!お、仲良くなってるじゃないか」


 ほかほか湯気の立つ手拭いを持つ兄様をハンカチを握りしめて見つめました。

 刺繍が、ある人の名前の頭文字だったのです。いえ、竜騎士隊への差し入れです。彼であるはずがありません。

 恋など終わったはずなのに、わたくしの胸は高鳴ります。きっと詰所の影にはもうどなたもいないのでしょう。このハンカチは、お預かりさせていただいても良いですよね?

 今日はじめて、心から微笑むことができました。

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