十七、狙われたクッキー
婚約発表が行われた誕生会の夜会は、あのまま未成年として一度も戻らずに会場をあとにしました。それくらい徹底して会わないという必要があるのか、と思います。なぜなら、わたくしは婚約者としての義務は果たすことも宣言しています。退出の挨拶くらいはすべきではなかったのでしょうか。
そしてそれからのわたくしは昔と同じように一日を部屋の中で過ごします。その中に王妃陛下より王子妃としてのご教育に必要だとかで様々な勉強の先生をお招きすることとなりました。
一番興味深かったのは、王族が取り仕切る儀式についての勉強でした。他の勉強についてはどうしても今までの勉強の焼き直しになっており、意欲が湧かなかったのです。その中でも一番に覚えるべき儀式として、婚約披露と結婚式、結婚披露でした。そのおかげで嫌でも思い出してしまうのは第一王子のことです。
あの誕生会の夜会を下がってから、形式的なお見舞いのお花が贈られてきました。それにも返礼せずにいましたが、音沙汰がありません。お花以降、お手紙も呼び出しも、屋敷への侵入もありません。
わたくしは第一王子に相手にされていないのでしょう。それでもいいか、と考えるようになってきました。お仕事が終わり屋敷へ帰ってくる家族は、わたくしには聞こえないようにこそこそとするようになりました。もしも第一王子の名が漏れ聞こえたらわたくしが気にするとでも思っているのでしょう。第一王子がどうであれ、余程のことが無い限りは王子妃となることが決まっているのでしょうから、割り切った方がいいと思うのです。それに勉強することは苦ではありません、むしろたくさん勉強出来る機会を得られて喜ばしいことです。
その勉強の中に、近衛騎士隊への面会がありました。兄様が立ち会うので許されたのですが久しぶりの外に嬉しくなります。
「ダリア、お願いがあるんだけど」
たいへん疲れた様子で近衛騎士の兄様がわたくしの部屋へとやって来ました。もしや、今度の面会の都合が悪くなったのでしょうか。
「この間、チーズのクッキーを焼いてくれただろう?あれ、騎士隊分作ってくれないか?」
「他の方に差し上げたの兄様?」
「とられたんだ、食べてたら一枚」
そう言ってひょいと摘まむようなしぐさをします。近衛騎士隊の分というと、四十人分にもなります。
「材料費は兄様持ちですわよ!」
「あ、それはもらってきた!」
しっかりしていらっしゃいます。お一人で五枚としても、二百枚ものクッキーを焼かなければなりません。一度に三十枚ほどしか焼けませんから、焼き損じも考えるとオーブン二台を使っても朝から晩までかかってしまいます。
「……ご一緒に料理長にお願いに行きましょう」
「はい……」
二日前から一台のオーブンにつき三回ずつ使うことで許していただけました。朝と昼と夜の食事の用意の間だけということです。しばらくの間、兄様のお願いは聞いて差し上げません!
そうやって無理に作ったクッキーを見るのが嫌になったので、兄様に大量のクッキーが入った籠を持ってもらい、馬車へと乗り込みました。久々の外出は王城です。出迎えてくださったのは大兄様でした。
「お帰りなさいませ大兄様!」
「大兄、いつ帰ってきたの?」
「今朝だよ、元気そうで安心したよダリア」
外務大臣の補佐官をしていらっしゃるために、外遊や領地の見回りなどでお出掛けすることが多く、時機が悪いとまったく会えないこともあります。
「近衛だろう?わたしは今日はもう仕事を終えたから一緒に行こう」
「本当ですか!」
「え!?」
「なんだ?」
「い、いえなんでも」
久しぶりの大兄様とご一緒であることに浮かれていたわたくしは、もう一人の兄様が蒼白になっていることなど気付いておりませんでした。
「ありがとうございますありがとうございます」
「い、いえ……」
これは、面会というのでしょうか。行列になった近衛騎士の皆さまひとりひとり、リボンで結んだ小袋を手渡すこととなっていました。涙を流していらっしゃる騎士様もいらっしゃいます。あとで分けていただければいいと思うのですが、大兄様がお一人ずつ配るようにとおっしゃったためにお渡ししています。そこかしこで一週間かけて食べるだの、家宝にするだの、恐ろしい言葉が聞こえてくるのは聞かなかったことにいたしましょう。
「あの、兄様これは一体」
「ダリアは第一王子のエドガー様にきっぱり断りをいれただろう?近衛騎士たちはそれを聞いていてダリアに心酔してしまったらしい」
「断りで何故」
「あぁ、近衛は恋人や思っている相手の女性がことごとくエドガー様に靡いてふられると言うからな……」
「大兄様それは……悲しいですね」
「そんなわけで、エドガー様に溺れることなく振り切ったダリアが崇められてるんだよ……おかげで俺はいい迷惑だ」
おかしいです。わたくしが目指したのは近衛騎士隊の掌握ではなく、第一王子の関心を得ることです。
「あ、すぐ外の騎士にも渡してやって来てくれ」
「扉のところの方ですね」
頷いて部屋を出ると、騎士の詰所の入り口に二人いらっしゃいます。近付いて行くと微笑んでくださいました。
「あの、クッキーを……」
ひゅん、と風を切る音がしました。息を止めます。
「動くな、それを渡せ」
首に回された手には短剣が握られています。ぴったりと頬に刃が寄せられていて冷たいです。あぁ、まさか詰所内で襲われるなんて思いもしませんでした。
「動くなよ騎士ども!」
剣に手をかけたまま、扉の前のお二人はこちらを睨んでいます。仕方がありません。
「この、クッキーですか?」
「とっとと寄越せ!」
短剣を持つ手で小袋を奪い取ろうとします。私は小袋を持たない手を振りかざしました。
「グッ!お前!」
短剣を持つ手を思いきり針で突き刺したのです。今回は大兄様と連れ立ってきた上に、近衛騎士の兄様も一緒だったので武器の検査はありませんでした。もちろん申請はしていますから所持に関して何も咎められません。
「クッキーが欲しいのならきちんと頭を下げに来なさい!」
「チッ!」
床を蹴って、男が消えました。
大きく肩で息をするわたくしを大兄様が抱き締めて近衛騎士たちに指示を飛ばすのを聞きながら、わたくしは震えていました。怖かったからではありません。
クッキー強盗に、すみれ色の瞳がついていたような気がしたからです。




