十、王子からの手紙
夢かとも思いましたが。あれは確かに起こったことです。昨夜、バルコニーに出たわたくしを待っていたのは、すみれ色の瞳の若い男性でした。わたくしを膝へ抱いたまま、いったいどれだけの時間見つめあっていたのでしょう。
「……どうしたの?食欲がないのかしら」
「い、いえ母様」
朝食の席でした。
「お嬢様お熱が!?」
「まぁ!すぐに医師を!」
違います。恥ずかしくて叫びたくなりますが、言えません。確かに身体は熱いですが、熱を出したとか体調不良ではありません。しかし、大人しく部屋へ戻らせていただきましょう。まだたくさん考えたいことがあるのです。
「疲れがたまっていたのでしょう。しばらくはお部屋から出てはいけませんぞ」
こくりと頷いておきます。先生が診察してくださった時には恥ずかしさで真っ赤になっていたようで、急いでお薬を飲みました。そのおかげでずいぶん落ち着きましたが、申し訳無さでいっぱいです。
「それではお嬢様、お休みなさいませ」
「えぇ、お休み」
朝から、あぁもう昼近いですけれど、またベッドへと戻るとは思いませんでした。今日はダンスのお稽古の予定でしたが無くなりました。本を読もうにも侍女に図書館で借りてきてもらった本はすべて読み終わっています。
そうなると考えるのは彼のことしかありません。兄様たちもあのようになるのでしょうか。想像は、兄弟だからかできませんけれど。
ただじっと見つめるだけのすみれ色の瞳は、わたくしが目を反らそうとすればすぐに手が伸びてきて頬を押さえて許しませんでした。何も言わずに見つめるだけ。それは返事をしないわたくしへの罰でしょう。
しかしあの時のわたくしはなんと答えられたと言うのでしょうか。あの方はお見合いを控えていると言ったばかりではありませんか。わたくしも王家からの第一王子とのお見合いがまだ残っています。
おやめください、と声を振り絞ったわたくしは、正しかったと思います。わたくしの言葉を受けて、わかった、と答えてくださいました。それで良かったのです。知人の妹に同情しても、父のお見合いに巻き込まれるだけですから是非逃げていただかないと。
「暇そうだな」
「ノックくらいしてくださいませ」
次兄様が開いたドアへこれ見よがしにノックして見せました。もう、と吹き出してしまいます。熱は下がったみたいだな、とサンドイッチをサイドテーブルへとおいてくださいました。
「後で食べなさい」
「ありがとうございます。この時間にいらっしゃるなんて珍しいですね?」
宰相様のお仕事のお手伝いをなさっているため、次兄様はたいへん忙しくしていらっしゃいます。大兄様ほどではありませんが、宰相様のお身体の代わりに視察へ向かうので我が家へお帰りになることもまれです。
「誰かさんが危ないことをしたから関係各所は大忙しさ」
「ごめんなさい」
起き上がろうとすると次兄様が背を支えてくれました。
「いや、散々叱られたんだろう?もういいさ。そんな中でこの家に帰ってきたのも、仕事なんだ」
神妙に頷く。帰ってきたのにわたくしのところへ来るなんて、昨日の事件の関係者だからでしょうね。
「そんなに緊張しなくていいよ、第一王子からの手紙を届けに来ただけだから」
「手紙……」
瞬いて次兄様が差し出した手紙を受けとります。白い飾り気のない封筒に、赤い蝋封がされています。印は確かに火を吹く竜です。
「何故次兄様が?」
「ご本人に頼まれた。父上には見合いの日取りについての書類を渡さなきゃいけなかったから王子の手紙はついでだよ」
「そうですか。次兄様は内容をご存じですか?」
「いいや」
第二王子のように突然呼び出されるわけではないと知って、気が楽になります。しかし、第一王子はこの手紙で何を伝えたいのでしょう。蝋封を見つめていると、次兄様が立ち上がりました。
「お茶の時間まではいるから返事があれば持っていくよ」
「はい、ありがとうございます次兄様」
ひらひら手を振って次兄様は出ていきました。きっと封を開くのをためらっているのがわかったのでしょう。
ベッドから降りると、机の引き出しからナイフを取り出しました。蝋がぺりっと剥がれます。便箋は一枚でした。
「なにこれ」
わたくしは思わず声をあげました。
答えてくれるとありがたい。
・昨年は南のハラミタ街道付近で局地的に豪雨が降った。その被害は今年もあるだろうか。
・ドゥーラ領の税収が減りつつある。漁港や領民の状態を把握するためには何を確認したら良いだろうか。
・退役軍人に支援金を続けるにも財源がない。どこかによい資金源はないだろうか。
・来年の建国祭は君との婚約披露も兼ねたい。君は好きな男がいるのか。
エドガー・ユーリ・ベルンシュタイン=ブランドル
ブランドル領主であり、ベルンシュタイン家のエドガー様。本物だとは思いますけれど、あんまりではありませんか。いえ、今までのお見合い相手を思い起こせば余程良い方でしょう。恋文だとは思えませんが、国を思っていることがわかります。市井で呑み歩く放蕩息子、という噂は違ったのでしょうか。
そして最後の質問で、わたくしと婚約するおつもりだということもうかがえます。気遣ってくださっていることも。
わたくしは引き出しから空の青を映し取ったような色の封筒と便箋を取り出しました。万年筆を握ります。
書き出しはこうかしら。
お酒の味も知らぬ小娘へ恋文をくださるなんてお優しいエドガー様へ。




