過去、そして試合決着
「耀様……」
剛羽が驚愕する一方で、侍恩は複雑な感情を抱えたまま滞空する耀を見詰めていた。
以前にも、耀はこういう状態に入ったことがある。
ゾーンとでも言えば分かりやすいだろうか。
耀は今、あの剛羽を押し退けて戦場の主役となっている。
あの太陽の前では、自分など影も形もなくなってしまう……侍恩はぎゅっと唇をかみしめ、きつく拳を握った。
「……はっ!」
目の前の光景に打ちのめされていた侍恩は、不意にこれはチャンスだと閃く。
「そう言えば一つ言い忘れていたぞ、蓮剛羽」
もしかしたら、この勝負勝てるかもしれない。
ならば、やることは決まっている。
主を助けるために、やるべきことは決まっている!
「承知していると思うが、古今東西、決闘に何かを賭けるのは当然のことだ――であるからして、この勝負、勝った方は負けた方に何でも命令できる。耀様が勝ったら、きちんと言うことを聞いてもらうからな」
「…………」
場内にアナウンスされた、理不尽過ぎる追加ルール。
剛羽は怒った。執事の少年の口ぶりに。
「ふざけんな……」
そう吐き捨て、ぎりっと歯を食いしばり、怒りを露わにした。
(まだ、俺は負けていないぞ)
剛羽が意識していたのは敗北、その2文字。
常人よりも重く圧し掛かる、最悪の言葉。
瞬間、少年の中でスイッチが切り替わった。
「2世ってだけで、大したことないじゃ~ん」
「お前才能ないよ」
「もうやめれば?」
剛羽の中で、過去の記憶が駆け巡る。
そのどれもこれもが嫌な思い出だ。
敗北。その2文字は、日本砕球界の英雄・蓮蒼羽の息子である剛羽を苦しめる。
蓮蒼羽。
10年前、砕球日本代表を初の世界大会決勝戦まで導いたレジェンド。
そんな彼の子ども故に、剛羽は良くも悪くも注目の的である。
結果を出せば将来有望だともてはやされる反面、負ければ2世は大したことないとズタボロにされる。
ジュニアのときから過剰にメディア露出するここ日本では特に、だ。
耀たち相手に初撃から全力を出したのは、勝利に捕らわれているから。
闘王学園出身の自分が、偉大な父親をもつ自分が、どこの馬の骨とも知れぬ輩に土を付けられてはいけない。
周りの選手たちは、世間はそういう目で蓮剛羽という選手を見ているのだから。
そんな煩い連中を黙らせるには、勝利が、分かりやすい結果が必要だ。
(勝つ……勝つんだ)
コーチのことなどすっかり忘れ、勝つことだけを考える。
紅色の波が迫り来る中、少年は少女をぎろりと睨み付けた。
人が変わったように剣呑な顔付きだ。
それが蓮剛羽の選手としての本性だった。
(勝って勝って勝ちまくって……結果を出し続けて、黙らせろ)
そもそも、こんな交通の便が最悪な場所へ入寮を希望したのは、入学するまで少しでも静かに過ごしたかったからだ。
なのに、ここで負けたらまた騒がしくなる。
闘王学園を退学することが決まったあのときのように。
だから、剛羽は「それ」に手を出した。
誰よりも敗北に怯える戦士は、禁忌に触れる。
安全装置を投げ捨てる。
(……チューニング)
《身体同調》。
《心力》を、そして個心技を強化する個心技。
(勝て、何を犠牲にしても)
(勝ち取れ、命を賭して)
(そしてやつらに見せ付けろ――蓮剛羽の実力を!)
瞬間、剛羽の右目の瞳孔がびきっと十字に開いた。
「はっはっはぁ! どうだ、蓮剛羽! 耀様の勝利だ!」
場外では、主の戦勝を確信した侍恩が哄笑する。が、
「もはや忘れたとは言わせないぞ。勝った方は負けた方に何でも命令できる。約束は絶対だから、なッ!?」
次の瞬間、口をあんぐりと開けてしまった。
勝利目前。そのはずだった。
だが、耀が再び紅の突風を放出しようとしたところで、耀の胸元に十字の斬撃が叩き込まれていたのだ。
果たして、それをやってのけた剛羽だった。
壁際にいたはずの剛羽が、フィールド中央の耀に斬撃を加えたのだ。
それは超人的な速さで距離を詰めて斬撃を叩き込んだというよりも……そう、まるで耀の動きを止めたような……。
「……《速度合成》」
剛羽は、背中から倒れて動かなくなった耀を見下ろす。
勝者が敗者に言葉を掛ける。
「時間を操る個心技だ」
球を割るまでもなく、決着は明らかだった。