①俺はお前と ②俺の言葉じゃ軽過ぎる ③負けませんよ! の3本デスわ!
「――蓮さ~ん、お~い!」
寮が見えてきたところで、登ってきた剛羽に気付いた耀が大きく手を振る。
剛羽は眩しそうにその目を細めた。
少女は剛羽にとっての光だ。暗闇を照らす一筋の光が、今にも消されてしまいそうな光が、すぐそこにある。
自分から手を伸ばせば、きっと……。
「耀……」
剛羽はグラウンドで練習する少女の名を呟いていた。
いつの間にか、少女に魅了されていた。
しかし、所属先を決めた四月初旬、彼女のチームで一緒にプレーすることは現実的ではなかった。
自分は彼女のコーチである以前に一人の選手であり、プロを目指していたから。
それを叶えるために、よりよい環境を求めるのは自然な判断だった。が、求めるものがあったのは、尊敬する先輩が率いるチーム九十九ではなかった。
「今日ちょっと早いですね!! もしかして~、サボりですか、蓮さん?」
「……」
少女はにこにこと笑う。
自分が退学させられそうになっているというのに。
剛羽はこてんと小首を傾げた少女を真っ直ぐと見る。
神動耀。
九十九学園に来て初めて対戦した少女。
自分に憧れてくれているチーム神動の主将。
砕球が大好きで、あのジャスティン=エイツヴォルフの隠し子。
「俺が練習サボるわけないだろ……合理的休養だ」
くすりと笑った剛羽は、穏やかに耀を見詰める。
「なあ、耀」
発展途上。荒削り。
そんな形容がぴったりなタイヤ少女のために、できる限りのことはしてあげたつもりだ。
チーム九十九にスカウトしようとしたり。
優那にコーチを依頼したり。
彼女たちの練習を見てやったり。
……所属チームの違う選手として打てる手は打ってきた。
それもこれも、耀のプレーに魅せられ、もっと観てみたいと思ったから。
しかし今、耀は学園から、砕球界から追放されようとしている。
(アリス、悪いな)
(……この芽は摘ませない)
いつか陽の光を浴びて、大輪を咲かせるその時まで。
隠し子だろうとなんだろうと関係ない。
砕球を愛するこの少女に、砕球をさせてあげたい。
一選手である自分もその隣で成長したい。何より――
(チーム九十九と比べたら練習場所は狭いし)
(人数は足りないし)
(最低最悪な環境だけど……俺は)
自分はこの大好きな選手と一緒に――
「俺はお前と砕球したい」
それはチーム九十九との決別。
最強チームから最弱チームへの移籍。
どう考えても、
(全然、合理的じゃない)
しかし、何故だろうか。
今。この瞬間。
九十九学園に来て以来、最高に気持ちが良かった。
チーム九十九、ブリーフィングルーム。
「マシロくん……どういうつもりデスの?」
砕球棟内の一角にある大部屋で、アリスは今朝受け取った書類に愕然としていた。
記載内容は、蓮剛羽の移籍に関する報告だ。
剛羽本人とチーム九十九の監督である洲桜慶太郎の判が、しっかりと押されている。
新人戦まで一ヶ月を切ったこのタイミングでの移籍。
しかも、移籍先はあの少女がいるチームだ。
先日、彼女の素性について話し、退学させることに協力してくれと依頼したはずだというのに……。
(アナタが邪魔をするというのなら、ワタクシにも考えがありマスわ)
アリスはグシャッと書類を握り潰した。
九十九学園女子寮のエントランスホールにて。
「それで話って、なに?」
人気のないホールに響いた声は、露骨に嫌そうな色を滲ませていた。
声の主は溜息を付き、片手を脇に当てながら、自分を呼び出した剛羽に視線をやる。
「鵣憧、チーム神動に入ってくれ」
「今日のニュース、ほんとだったんだ……」
猫夢理は目を丸くして、心底驚いたような表情を見せる。
彼女の言っている今日のニュースとは、今朝高校砕球のサイトに上がった「蓮剛羽が無名チームに移籍。チーム九十九でトラブルか!?」という記事のことだ。
「鵣憧、お前の力が必要だ。だから――」
「ねえ」
壁に背中を預けた猫夢理は、じっと剛羽を見据えた。
少年の胸の内を探るように。
「なんで耀のチームに入ったの? あんたと耀じゃ、タイプが違うでしょ」
「タイプ?」
「意識高い系とエンジョイ派じゃ合わないって話よ。で、移籍した理由は?」
「耀とやりたいと思ったからだ」
「やりたいって、あんた!?」
「一緒のチームでプレーしたいって意味だ、このどスケベ!」
「スケベなんかじゃないわよ! って……え、それだけ?」
ぽかんとする猫夢理に、剛羽は淡々と返す。
「それ以外に理由がいるのかよ?」
「は、なにかっこつけてるの?」
しかし、どうやら信用されていないらしい。猫夢理にきつく睨まれた。
「とか言いながら、ほんとはなんか企んでるんじゃないでしょうね? 耀に手ぇ出したら、ミンチにするから」
「んなことするか。じゃあ今度はお前の答えを聞かせてくれよ」
「…………NOで」
「え?」
「のぉおー!!」
喚くように言った猫夢理は、ふんとそっぽを向いてしまう。
予想外な返答に、剛羽は戸惑いを隠せなかった。
「新人戦は一五人制なんだから、お前のチームも人数足りてないだろ? どうするんだ?」
「別に興味ないし。ていうか、出る出ないは勝手でしょ」
「どうでもいいなら、耀に力貸してやってくれよ」
猫夢理ほどの実力者を遊ばせておくなど勿体ない。
耀と仲がいいやつとなれば尚更だ。
そんな打算を抱える剛羽に、猫夢理はぽつりと呟いた。
「…………だって、移籍しないといけないじゃない」
「まあ、そりゃな。争奪戦と違って、ちゃんとした大会だし」
「だから嫌なの」
「え、もしかして、耀と実は仲良く――」
「ないわけないでしょ! ……親友よ」
「なに照れてるんだ?」
「ッ!?」はっとなった猫夢理は、ぴょこっと生え出た猫耳を手で押さえる。「マジむかつくわね、あんた!」
「なに言ってんだ? 論理的じゃないぞ」
剛羽は至って真剣に言っているのだが、煽られたと感じた猫夢理はむきーっと顔を真っ赤にする。
「てか、さっきから気になってたんだけど、なに耀のこと耀って呼んでんのよ! あんた、まだ耀と知り合って一ヶ月くらいでしょ! 調子乗り過ぎ! キモっ!」
「いや、キモくはないな!」
思わず叫び返してしまった剛羽だが、すぐに冷静さを取り戻す。
「時間の長さは関係ないだろ。てか、鵣憧に言われる筋合いはないな」
「あるし! だ、だって……あたしと耀は親友なんだから!」
「無理すんな」
「してないわよ! あ~もう~、なんなのあんた! いきなりやってきて、すぐ耀とくっついて! この泥棒猫!」
どーどーと、剛羽がジェスチャーすると、噴火寸前だった猫夢理はどっと近くにあった長椅子に乱暴に腰を下ろした。
仏頂面なのは相変わらずだが、少しは落ち着いたようだ。
「なんで耀と同じチームは嫌なんだよ? ライバルとは組みたくない、ってやつか?」
「ガキな男子と一緒にしないで。大体耀は……ライバル意識とか持つ子じゃないでしょ」
「は……耀と親友とか言ってる割に、あいつのこと分かってないな」
「は?」
猫夢理はまたも剛羽を睨み付ける。
「なにその自分の方が分かってます発言、マジでキモいんだけど」
しかし、剛羽はもう一々反応しない。
キモいとか酷いこと言われても負けない。頑張る。
「耀は真剣に砕球やってるぞ。あいつ、争奪戦の後、俺に言ったんだ。負けてばっかりじゃ楽しくない、って。泣きながら言ったんだよ」
「え、耀が……?」
あの耀が、というニュアンスを大いに含んだ言い方をする猫夢理。
動揺しているのは明らかだ。
「耀はただのエンジョイ派じゃない。負けてもへらへらしてるやつらとは違うんだよ」
「……あんた、耀になんか言ったの?」
「いや、なにも。前からそうだったんだろ。てか、知らなかったのか? 親友なのに」
「はあッ!?」
猫夢理の猫耳がぴんと立つ。
それは彼女の怒りを表していた。
「親友だからって、何でも知ってるわけないでしょ! 言い難いことだってあるんだから……そういうのを察してあげるのが親友ってもんじゃない」
「なんだそりゃ?」
「…………あんたみたいな砕球バカには分からないわよ」
猫夢理の脳裏で過去の出来事が過る。
猫夢理はそれを振り払うように、首を小さく振った。
「本気でやって、自分にも友達にも厳しくして、それで……それで……もう嫌なの」
「遠慮するなよ。厳しくするのが一概に悪いことってわけじゃないだろ」
「……うっさい。キモっ」
最後は目すら合わせずに、猫夢理はエントランスホールを後にする。
「……俺の言葉じゃ軽過ぎるか」
独り残された剛羽はぽつりとそう呟いた。
東卿ドーム、南ゲート前。
Victer社主催第五回サバイバル走、選手控室。
「――ってなわけで、鵣憧をスカウトするために、耀に頑張ってもらう」
選手たちの熱気で蒸し返る控室で、剛羽は大会に出場する耀に激励の言葉をかける。
「先に言っとくけど、負けたら……鵣憧の言うことなんでも聞いてもらうからな」
「わたしが知らないところですごいことになってませんか!?」
「心配するな。お前ら親友なんだろ?」
「なるほど! そうですね!」
「いやいやいやいや! 落ち着いてください、耀様!」
「ほら、早く開始地点まで行くぞ。試合の時間だ」
待機していた選手たちが一斉に動き出しところで、わっと歓声が巻き起こった。
剛羽たちもそれぞれの集合場所に移動を始める。
スタート地点である南ゲートは勿論、ドーム周辺のコース付近には既にたくさんの観客が詰めかけていた。
コース脇にある電光掲示板は全て大会関連の情報に切り替えられ、ルール説明やコース紹介、有力選手の一覧を映している。
怪物級身体能力の巣窟、荒晚大学付属の選手たちが何人も優勝候補に挙げられる中、あのツンツン猫娘の名前も記載されていた。
間もなく、レースに参加するランナーたちが、アーチ状の門の下にあるスタートラインに付く――そして、電子音による号砲とともに、脚力自慢の怪物たちが一斉に走り出した。
荒晚付属の選手たちにリードされた集団が、ゴールラインを目指して道路のど真ん中を時速五〇キロのペースで突っ走る。
序盤のスプリントエリアでは、展望通り、転身系の選手が上位を独占していた。
身体能力の差がもろに出るかけっこでは当然の結果だ。
このまま行けば、転身系の独壇場――しかし、このサバイバル走はただの走力比べではない。
先頭を走る荒晚付属の男子選手がスプリントエリアを通過した刹那。
男子選手はすっと滑らかな重心移動で腰を落とし、迫り来る銃弾を掻い潜った……!?
一発、二発ではない。
一分の隙間もない弾幕が、ランナーの集団に襲い掛かる。
撃っているのは、コース右側にある狙撃地点で待機していた剛羽たちスナイパーだ。
これが現代版サバイバル走。
障害を乗り越え誰よりも速くゴールを目指すランナー側と、そのランナーを誰よりも多く撃破するスナイパー側に分かれて行われるエキストリームスポーツだ。
「耀様、先頭がシューティングエリアに入った模様です!」
先頭集団から五〇メートル後方を走っていた耀たち第四集団も、前の集団に続いてスナイパーたちの狙撃ポイントに侵入した。
ランナーたちは一斉に《心力》を練り、津波のように押し寄せる銃弾から身を守る。
銃弾と《心力》の盾がぶつかり、あちこちで甲高い音が、敢え無く撃ち抜かれた走者の悲鳴が上がる。
早速脱落者が出始めた中、二人のランナーが第四集団から飛び出した――耀と侍恩だ。
降り注ぐ銃弾を、耀は《心力》の鎧で、侍恩は手にした円盾で凌ぐ。
二人は速力が落ちた第三集団に追い付き、追い越し、前を走る第二集団に追い付いた。
《心力》をろくに使えなかったおかげか、体力アップのトレーニングをする他なかった耀たちの身体能力は、転身系を除けばトップクラスだ。
銃撃を前に足が竦んだ転身系の選手相手ならば、並走、追い抜きも可能である。
しかし、耀たちが目指しているのは第二集団ではない。
少女が見据えているのはその先。
他の選手たちとは走力も回避力もレベルが違う第一集団だ。
その中にいる猫耳と尻尾を生やした女子選手の背中を見据え、耀はにこっと笑う。
(ねむりちゃん、負けませんよ!)