やめさせないといけないのか
アリスから衝撃の事実を知らされた翌日。
チーム練習が終わった後。
九十九学園生徒会長室にて。
「――初めてだな、蓮から話があるだなんて」
九十九は豪奢な椅子にふんぞり返りながら、応接テーブルを挟んで向かい側に腰掛ける、剛羽を見据える。
九十九は「飲みな」と言って、紅茶のカップをサーブした。
「で、話って?」
「戦力の補充をお願いします」
「誰か使えるやつでも見付けたか?」
高等部一年のリーダー的存在であるアリスがダメなら、チーム全体のリーダーであり、闘王学園時代の先輩でもある九十九に頼めばいい。
アリスと話していた時とは一転して、剛羽はどこか落ち着き払った様子で話す。が、
「はい。チーム神動の――」
「だと思った」
九十九は、その立派なドリルを弄りながら、つまらなそうに続ける。
「エイツヴォルフの言う通りだな。神動? だっけ、蓮がその女をスカウトしようとしても断るようにって頼まれたんだ」
「…………」
(あの野郎……!!)
先輩の手前、何とか衝動を抑え込む剛羽。
正直、アリスの予測に脱帽した。
まさか、旧知の間柄である九十九に口添えされていたとは。
「つーか、言われなくても普通に断ったけどな。退学レベルの雑魚は不要だろ」
「……確かに、神動たちはまだ結果を残してません」
「あ?」
「でも、あいつら頑張ってるんです……! もう少し、あいつらのこと見てやって――」
「あー、そういうの聞いてないから」
九十九はドリルを弄りながら面倒臭そうに続ける。
「そういう話、聞くだけで疲れんだよ。なんの感動もない」
「……チーム練にも来ない先輩には分からないですよ」
「は……先輩に口応えするなんて、生意気になったな、蓮」
ドリルを弄る手を止めた九十九は、剛羽を睨み付ける。
「つか、チーム練習に来ない=練習してない、じゃないだろ。流石の俺様も練習くらいすんだよ」
「毎日やってるんですか?」
「馬鹿か、お前。大会前だけで充分だ」
「……やる気ないんですか?」
剛羽は激情をどうにか抑え込んで、静かにそう言った。
「そんな付け焼刃の練習、身にならないですよ」
「このやり方で結果は出してんだ。毎日馬鹿みたいに練習しなくてもな。俺様、天才だからさ」
「変わりましたね。闘王にいた頃はいつも遅くまで練習してたじゃないですか……それにその髪型……いや、なんでもないです」
「…………何年前の話してんだよ」
呆れたように応じる九十九は、今度は切り揃えられた前髪を弄り出す。
「そういう蓮は変わらないな。毎日毎日飽きないのか?」
「自分はプロ目指してるんで」
「は」鼻で笑った九十九は、髪を弄る手を止めた。「お前、それ本気か?」
「本気ですけど……?」
剛羽は言葉に不快感を滲ませる。
対する九十九は、再び前髪を弄り出しながら淡々と続ける。
「普通に考えてみろ。闘王にいてもプロになれない選手はいんのに、そこから弾かれたお前が、ほんとにプロになれると思ってるのか?」
「闘王以外からだってプロ入りしてる人はいるじゃないですか。まだ諦めるには早――」
「それとこれとは全然違うだろ。闘王以外からプロになった選手たちは、闘王からドロップアウトしたやつらじゃない。ずっと上昇線を描いてる。闘王追い出された選手とは違うんだ……いい加減目ぇ覚ませよ」
九十九はティーカップを手に取り、足を組み直す。
「楽しく、適当にやれよ」
楽しく。
九十九はそれを「適当」に繋げた。
あの少女はどうだっただろうか。
少なくとも、彼女の楽しいは適当ではなかった。
負けてばっかりじゃ楽しくない。
その言葉が、適当にやっているわけじゃないという、何よりの証拠だ。
楽しく、しかし真剣にやっている少女と、適当にやっている九十九学園序列一位。
どちらと一緒にプレーしたいかと聞かれたら、今の自分は――
その答えを胸にしまい、剛羽はもう一度だけ説得を試みる。
「……俺は遊びで砕球をするために九十九に来たわけじゃないです」
闘王に勝つために、全国で優勝するために、プロになるために、ここを選んだのだ。
「毎日練習して、技を磨いて、それで先輩たちと力を合わせれば、闘王にだって勝てると思って――」
「勝手に巻き込むな」
九十九は聞こえるくらい大きく舌打ちする。
「誰が好き好んで無駄骨折るんだ? 普通しないだろ」
「……失礼します」
それだけ言って剛羽は部屋を後にした。
九十九と対談した後。夜。
人気の無い河川敷にて、剛羽はがむしゃらに走っていた。
つい先程九十九から掛けられた言葉が胸中で渦巻く。
(いい加減目を覚ませって、なんだよ!)
(闘王から追い出されたらもう終わりなのかよ!?)
(ほんとにプロになれると思ってるのか? 思ってるに決まってんだろ!)
(俺はこんなもんじゃない! 俺は、蓮剛羽はもっとやれるんだ!)
鬼のような形相を浮かべ、暗闇の中で雄叫びを上げる。
――戦わないという選択肢はない。
――自分の中で逃げたという気持ちは決して消えない。
――自分はそういう人間だと理解している。
――だから、戦う。
それが続ける理由なんだと思っていたのに――
「くっ…………」
(まだ……まだ走れるだろ……!!)
――何故、身体は動いてくれないのだろうか。
情けない自分自身に怒りの矛先を向ける。
疲労で回転が鈍くなった脚に、無理を強いる。
顎が上がり、口が開き、苦痛に顔を歪めながら必死に手と脚を振る。
(なんでだよ……なんで)
まるで水中を走っているようだ。
思うように前に進まない。
そんなとき。
背後から来た少年に易々と追い付かれ、一瞬でちぎられた。
濃青色のさっぱりした長さの髪、細身だが引き締まった身体。
自分より年下の少年のようだが、一生懸命に走っている。
その背中は遠のいていくばかりで、いくら足を回しても、引き千切れるほど回しても、その少年に追い付けない。
(くそッ……!!)
剛羽は薄々感づいていた。
前を行く少年の正体が、昔の自分であることを。
前を走るのは、闘王学園で日々チームメイトたちと切磋琢磨していた己自身だ。
そりゃあ追い抜けっこない。
あの頃とは違う環境で、半端な気持ちで練習をしている自分とは、練習に向かう姿勢が違うのだから。
(ここと闘王じゃこんなに違うのか……)
ぎりっと歯を食いしばる。
両校の選手のレベルや練習施設に圧倒的な差はない。が、選手たちの見据えているものはまったく違う。
プロを目指して練習に取り組んでいる闘王と、予選の決勝に出ることで満足してしまっている九十九。
身を置く環境次第で、一年も経てばその差は如実に表れるだろう。
(俺は馬鹿か……)
あの闘王に六年間いたからか、すっかり感覚が麻痺していた。
自分がどれだけ恵まれた環境にいたのか、九十九学園に来てからやっと理解した。
闘王学園時代の元チームメイトたちが脳裏を過り、すぐに霧散する。
(あんなやつらに……当たり前に出会えると思ってた。けど……)
共に汗を流し、本気でぶつかり合い、充実した毎日を送っていたあの六年間。
練習や試合で手を抜く奴なんて一人もいなかった。
それは自分のチームメイトたちだけではない。
同輩も先輩後輩も、闘王ではそれが普通だった。
だから気付けなかったのだ。
(本気でやるには……本気の仲間が必要だったんだ)
周りの目があるだけで、仲間と競い合うことで、一人でやる以上に追い込める。
苦しい場面でも、負けたくないともう一歩踏み込める。
(でも……)
道は分かれた。
隣に、闘王学園時代のチームメイトたちはもういない。
(俺には…………仲間がいない)
足が攣り、支えを失って倒れ、仰向けに寝っ転がった剛羽は腕で顔を覆う。
「…………っ」
感情の粒が零れ落ちないようにする。
チーム九十九に、渇望するものはなかった。
贅沢な望みだったのだ。
九十九と対談してから数日後。
剛羽はもやもやした感情を抱えながら、耀と接していた。
王族の隠し子。
知られてはならない存在。
一学生である剛羽には、どうしようもない領域の話だ。
「…………」
チーム練習を終えて寮に戻った剛羽は、もやもやを少しでも紛らわせるために、山を下りて駅に続く市街地を黙々と走る。
するとその途中、市街地の一角で奇妙な恰好をした人物を目撃した。
剛羽は思わず立ち止まり、じっと見る。
フリル付きのスカート、純白のエプロン、頭にちょこんと載ったブリム……メイド服だ。
砕球しかやってこなかった剛羽だが、その服装は知っていた。
そして、その服を着て、店先に出ている少女のことも知っていた。
「耀……?」
そう、その可愛らしい従者装束に身を包み、チラシ片手に客引きをしているのは耀だ。
「ま、蓮さん!? どうしてここに!?」
「それはこっちの台詞だ。なんだよ、その服」
「耀ちゃん、どうかしたの――って、あぁ! いらっしゃい、こうくん」
「あ、はい、お邪魔します――ではなく!」
「……なるほど、遠征費稼ぐためにアルバイトを」
優那に連れられて中に入った剛羽は、出された紅茶を一口飲む。
どうやらここは喫茶店らしい。
メイド服着用なのは店長の趣味だそうだ。
侍恩も着用していたが、剛羽は触れないことにした。
「ちょっと無理し過ぎじゃないか?」
「こうくん、優しい♪」
「い……いや別に普通です」
剛羽はにこにこと笑う優那から逃れるように、カップに口を付ける。
「あの、蓮さん。すみません、わたし、そろそろ戻らないと」
そう言って、耀たちは持ち場に戻る。
店内の客席がほとんど埋まっていることから、それなりに盛況しているのが窺えた。
耀たちも勿論だが、バイトの掛け持ちをしている優那はもっとたいへんだろう。
(バイトって……九十九の生徒がやることじゃないだろ)
本来、九十九学園のような強豪校はスポンサーから資金援助を受けられるものだ。
実際、剛羽が所属するチーム九十九は学園とVicter社等からスポンサードされている。
しかし、チーム神動のような解散寸前のチームには、砕球関係の企業は勿論、学園側からもろくな投資をしてもらえない。
そういう理由があって、耀たちは学園がお情けで紹介してくれた遠方の大会に出るために、バイトまでして資金調達をしているのだ。
剛羽は普段と変わらない笑顔で接客する耀をぼーっと見る。
苦労など微塵も感じさせない耀の姿に、胸が苦しくなる。
一生懸命働いて、仕事が終わったら練習して、勉強もして……。
砕球をするために、砕球以外のことにも精一杯取り組んでいるのだ。
もっと、いい環境で練習させてあげたい。
しかし、
(こんなに頑張ってるのに、やめさせないといけないのか……)
ぎゅっと結んだ口元が震える。
喉の奥が焼けるように痛い。
間もなく感情の奔流が勢いよく込み上げてきて、剛羽はすっと目頭を押さえた。
(隠し子だから、ダメなのか……)
そうだ、ひっそりと暮らすべきだと――冷静なもう一人の自分に、厳しく諌められる。
(じゃあ、耀の努力はなんだったんだ……)
報われないことなんて現実ではよくあることだ。珍しいことじゃない。
(…………くそッ)
剛羽は悔しげにテーブルを叩くことしかできなかった。