神動耀(しんどう ひかり)
タイヤによる地震が収まった後、膝に手を付いて荒い呼吸を繰り返していた少女に、剛羽はちらりと視線を送った。
山頂にある寮の生徒だろうか。
剛羽から奇異の視線を頂戴していた少女は、手の甲でずいっと額の汗を拭い、息も絶え絶えに口を開いた。
「本当に……はぁはぁ……助かり、ました。ありがとう……ございます」
「怪我してないか?」
「はい、大丈夫です……あぁ!」
顔を上げた少女は、剛羽を認めるや否や驚いたように声を上げた。
頬を紅潮させ、興奮気味に詰め寄ってくる。
「あの! 蓮剛羽さん、ですよね?」
剛羽は首肯しながら、どこかで会ったことがあっただろうかと内心首を傾げた。
仮に初対面でも、砕球をやっていれば蓮剛羽という名を知っていても不思議ではないが。
「ういか先生から蓮さんが今日入寮するって聞きまして。迷っちゃうとたいへんですから、麓のところで待ってようと思ってたんです!」
「それでタイヤと一緒に来たのか?」
「あうっ。か、からかわないでくださいぃ~」
剛羽にいじられ、少女は恥ずかしそうに両手で顔を隠した。が、すぐさま殻から顔を出し、「あ!」と掌を合わせ、屈託ない笑顔を見せる。
「申し遅れました。初めまして、わたし神動耀って言います。今年で高校1年生です」
(こいつが洲桜さんの言ってた……)
剛羽は眼前の少女を興味深げに、それこそ全身を舐めるように隅々まで観察した。
神動耀。それは寮長から事前に知らされていた名前だ。
「あの、ですね……」
自己紹介を終えた耀は、恥ずかしさを誤魔化すようにちょんちょんと指を付けたり離したりしている。
剛羽が黙って待っていると、耀は緊張した様子で話し出した。
「覚えてないと思うんですけど、蓮さんが講習会でアシスタントされてたときに、わたし、コーチして頂いたことがありまして……」
そんなこともあったなと、剛羽は回想する。
教える相手が多かったので、耀個人のことは覚えていないが。
「あのときはありがとうございました! またコーチしていただけるなんて夢みたいです。よろしくお願いします!」
元気良く挨拶した耀が、ぺこりと頭を下げた。
その動作に合わせて、アップにまとめられた茶色のポニーテールが可愛らしく揺れる。
恥ずかしそうにこちらを見上げてくる海色の瞳は爛々と輝き、多大な愛を注がれて育ったことが窺えた。
背も低く、あどけなさが残る顔立ちから、今年度から同じく高校1年になる剛羽より大分幼く見える。
また、一つ一つの所作が可愛らしく、まるで小動物でも観ているかのような気分だ。が、
「ん、よろし……く?」
剛羽は眼前の少女をガン見してしまった。恋に落ちたのではない。
原因は、少女の背中から顔を出す黒々とした物体だ。
無論、タイヤである。
スポーティーな服装の耀の背中に、荒縄でしっかりと巻き付けられている。
まるで亀だ。
甲羅よろしくタイヤを背負っている。せっかくの可愛さが完膚無きまでに台無しだ。
「……その、自動車の車輪の外周を覆う、ゴム製の輪は?」
動揺し過ぎて、不自然な聞き方をしてしまう剛羽。
もう地揺れは収まったというのに、心が激しく揺さぶられている。
「見たことないですか? 大型車用のタイヤですよ!」
それは知ってる。
こめかみを押さえた剛羽は身振り手振りを交えながら再度訊ねる。
「なんで・そんなの・背負ってるんだ?」
「あはは! 蓮さん、面白いですね」
(面白いのはお前だよ!)
剛羽は疲れたように溜息を漏らす。
「はぁ……で、そのタイヤ、なにに使うんだ?」
「勿論、練習のためです! 重宝してます!」
にこにこと笑顔を咲かせた耀は不意にぴょんと跳ね、背中のタイヤを見せ付けてきた。
買ってもらったばかりのランドセルを自慢する子どものようだ。
「練習って……砕球の練習か?」
「はい! これはシルヴィアで、あっちの蓮さんが倒したやつがボブです」
(ボブでかいなおい)
とそこで、「……は!」と何かに気付いたタイヤ少女が、急に元気をなくしてしまう。
「ん?」
「あの……ボブのことなんですけど、ボブのお家は寮の脇なんです」
(犬かよ……)
「じゃあ、ここから上まで運ばなきゃいけないわけか。ほら、運ぶぞ」
「え、いいんですか!?」
「ここに置きっぱなしにするのは迷惑だろ」
「あうっ。そうですね」
至極最もな指摘を受けた耀は顔をしかめ、胸を押さえながら後ずさる。
「ぅう……あ、ありがとうございます。いきなり申し訳ないです」
「気にするな。軽い運動だ」
全然軽い運動ではなかった。
(ば……馬鹿みたいに重い!!)
耀と力を合わせて巨大タイヤを押しながら山道を登り切った剛羽は、滝のように流れ落ちてくる汗を拭い、呼吸を整える。
巨大タイヤを運んだ空き地の隅には「ボブ」と書かれた小さな立て札と杭があった。本当に犬みたいな扱いだった。
「手伝ってくださって、ありがとうございました。助かりました」
「はぁはぁ、どうも……それより」
空き地のすぐ傍に立つ大木の枝に吊るされたボブを仰ぎ見ながら、剛羽は唇の端をひくつかせた。
「な……なんの練習するつもりだ?」
「ふっふっふぅ、見てみたいですか? 試しにやってみせますね……おいしょドライブ!」
得意げに鼻を鳴らした耀が、頼んでもいないのに吊るされたタイヤをぶん投げる。
「まず、ボブに勢いを付けます」
投げ飛ばされた直径5メートルを超える黒輪は、最高点まで到達すると荒縄に引っ張り戻され、ごうと唸りながら耀に迫る。
「ここからが本番です、見ててくださいね! 向かってきたタイヤをこう受け止あうち!?」
派手にかっ飛ばされ、空中に大きな弧を描く耀。
そして10数メートル後方に着弾した後、そこらじゅうに亀裂の入った少女の身体が――より正確にはその皮膚が、バラバラとガラスが砕けるような音とともに崩れ落ちた……!?
彼女の復体が、一時的に死んだのだ。
復体――それはもう一つの身体。
人類が自然発生した超常エネルギー《心力》から身を守るために自然獲得した、新しい体機能。
生身の肉体から復体に変身することで、首を斬り飛ばされようが胸を貫かれようが、肉体が絶命することはない。
「大丈夫か?」
心配するように声を掛けた剛羽は、耀を立ち上がらせる。
変身時に受けたダメージは大分軽減されるとはいえ、肉体にも返ってくるのだ。
「だ、大丈夫れふ」
すっかり目を回してしまった耀は、ふらふらしながら無事を伝えた。
間もなく立ち直った少女は、しゅんと肩を落とし、指をくっつけたり離したりしながら切り出す。
「あの、今のは……い、いつもはもう少し粘れるんですよ?」
「止められないのかよ」
信じてくださいと祈るように手を組んで必死に見上げてくる耀にツッコみを入れた剛羽は、ボストンバッグを背負い直した。
「洲桜さんに挨拶したいんだ。案内してもらえるか?」
「はい、お任せください!」
と、耀がびしっと敬礼したそのとき、
「耀様ぁあああああ!」
寮のドアが乱暴に開け放たれ、中から執事服姿の少年?が飛び出してきた……!?