いや、別に?
フィールド中央からやや南寄り。
「……どうした、タチバナ? 借り物の武器がなくなった途端にこれか?」
ウェインの指一本一本から伸びる紫色の鋭爪が、侍恩の身体に次々と細長い爪痕を刻み付けていく。
(……オレは強い)
負けるはずがない。
普通に戦えば普通に勝つ。
なんせ相手は《最弱》だ。
今まで何度も戦い、その度に下してきた相手だ。
(さっきの奇襲でオレに勝ったと思うなよ)
あのとき不覚を取ったのは、達花侍恩という敵を認識していなかったから。
(光栄に思え、石っころから案山子に格上げしてやるよ)
(油断さえしなければ)
(オマエをきちんと見ていれば、オレは負けない)
足をやられたのは一生忘れられない屈辱だ。
その屈辱を少しでも拭い去るために。
ウェインは怒りを爆発させて侍恩を四方八方から引っ掻き回す。
(オレは強い……!)
(オマエは弱い……!!)
(オレはオマエを認めない……!!!!!!)
「落ちろ、さっさと落ちろよ、《最弱》が!」
「うっ……!?」
(速い……!!)
こちらが一発拳で撃ち返そうとする間に、二発三発と爪撃が放たれる。
侍恩は頭を下げ、ぐっと腰を落とし、猫背のような姿勢で耐え忍ぶ。
一層激しさを増すウェインの攻撃に、しかし腕に隠れる侍恩の口端はにっと吊り上げられた。
「今日は随分とやる気じゃないか…………僕相手に」
「ッ……!?」
心を乱すウェイン。
そんな黒人の少年に畳みかけるように、侍恩は続ける。
「どうした、ウェイン・ラッシュフォード? 足が痛くて満足に力を出せないのか? 今日の君の攻撃はかなり軽く感じるぞ?」
ガードを解き、顎をくいと上げ、馬鹿にするようにウェインを見る。
「これならいくらでも耐えられるぞ」
「《最弱》……!!」
激昂したウェインが真っ直ぐ突っ込んできて、鋭く右手の紫爪を突き出す。
侍恩は紫爪に頬を浅く斬り裂かれながらも何とかかわし、伸び切ったウェインの腕を捕まえた。
侍恩は素早く左足を後ろに引き、ウェインの腕を掴んだままぐっと身体を捻り、ウェインの勢いを借りて思い切りぶん投げた。
そして、逃げる。
陸上の短距離選手顔負けの力強いランニングフォームで、足を腕を高速回転させる。
「結局それか……オレから逃げられると思っているのか!?」
投げ飛ばされたウェインは空中で態勢を立て直し、ダンと着地と同時に侍恩の背中目掛けて駆け出す。が、瞬間、侍恩が素早く反転した。
「思っていない!!」「ッ……!?」
反転した侍恩は、思わず身体を起こして止まってしまったウェインに、その伸び切った腰に、鋭く低いタックルを決める。
「……それで、どうする? こっからどうする!? これくらいでオレに勝ったと思ってんじゃねえぞ!!」
タックルを決めたから何なんだ。
ラグビーじゃないんだぞと、ウェインは侍恩の背中に紫爪を思い切り突き立てる。
ぐさっと、ようやく気持ちのいい手応えを得ることができた。
異様に堅い《最弱》の復体と言えどもう限界だ。
「ぐしゃぐしゃにしてやる!」
と、威勢よくウェインが攻撃を始めたところで着信。
【ウェインくん、達花くんから離れて!】
【どうしてだ? こいつはここで獲れる駒――】
【馬鹿兄ぃ! ねこちゃんが来てんだよ!】
「な、に……ッ!?」
ウェインは自分の腰にしがみ付いている――否、ウェインをこの場に足止めしている侍恩を見る。
「タチバナ、オマエ、これが狙いか……!!」
「……君のことだ。大方、油断しなければ勝てるとでも思っていたのだろうな」
「ッ……!?」
「君は僕しか見ていなかったのか?」
侍恩は地面に向けて下げていた顔をすっと上げる。
侍恩が見ていたのはウェインだけではない。
ウェインと戦いながら、細かく周囲に気を配っていた。
優那から着信があってから、ずっと彼女が来るのを待っていた。
「これは集団戦だぞ?」
瞬間、ウェインの背後で赤刀が閃く。
ウェインの胸部を横断するようににすっと線が浮き出る。
「……あ」
その線が赤熟し、ウェインの胸から上が侍恩にホールドされていた下半身から斬り離され。
ぼとっと地に落ち、焼けただれた断面を晒す下半身もろとも、爆発エフェクトと同時にフィールド外に転送された。
――チーム鵣憧、1得点(内訳:敵選手1人撃破=1点×1)合計6点
(これで……3点差は防いだ)
ウェインに、チームエイツヴォルフに点を取らせなかったのはよかった。
そう前向きに考えながらも、侍恩の表情は晴れない。
……悔しい。
「……どういう風の吹き回し? この試合、勝つつもりだったでしょ?」
ウェインを屠った赤紫髪の少女は侍恩を見据える。
次の獲物を見据える。
そう、狙われているのはウェインだけではない。
次に狙われるのは間違いなく――
「……蓮に無理強いされたの?」
「違います」
「まあ、あんたはいつも通りよね…………でも、耀は?」
「耀様も同じです」
「……え?」
猫夢理は耳を疑う。
侍恩は構わず続ける。
「耀様はこの試合に賭けて、この試合に勝つためにしっかり準備してきました」
「…………そう。じゃあ、行くわよ」
それは戦闘開始の合図。
主のご友人が敵になる瞬間。
侍恩は素早くファイティングポーズを取り、腰に差していたそれに左手を掛ける。
(2点差なら引っ繰り返せるだろ、蓮!)
侍恩は遠くで戦う少年に託す。
しかし、侍恩の戦いも決して終わったわけではない。
目の前にいる猫夢理も競争相手だ。
終盤で一気に追い上げてきたチーム鵣憧に、簡単に点をやる理由はない。
侍恩はウェインより格上の学年2位である猫夢理に果敢に立ち向かう。
「はぁあああああ!」
まずは全力の右ストレート……は、肘から先を溶断されて不発に終わる。が、これは織り込み済み。狙いはゼロ距離まで接近してきた猫夢理に、左手の半分折れた小刀を――
「……お疲れ」
「お見事、です」
――チーム鵣憧、1得点(内訳:敵選手1人撃破=1点×1)合計7点
腕一本を犠牲にした捨て身の斬撃は不発に終わり、侍恩は場外に転送された。
(戦死エフェクト……!?)
前方約100メートル先から噴射された白煙に、勇美は目を見開く。
そして間もなく、二つ目の白煙が上がった。
【優那先輩、達花先輩は――】
【りんちゃん、逃げて!】
とそこで、勇美は前方約50メートル先に猫夢理を認め、
「うぐッ……!?」
次の瞬間には、一息で彼我の間合いを消し飛ばした猫夢理に、赤刀を突き出された。
間一髪のところで槍で受け切る。が、槍を支点に身体を動かした猫夢理が、間髪入れずに爪先から赤刀が生えた蹴撃を放ってくる。
勇美はこれを極楯で防ごうとする。が、盾を貫通してきた刃に、脇腹を抉られる。
【りんちゃん!?】
【軽、傷です!】
猫夢理の《心力》は、《心力》基本四型で最も瞬発力に秀でた赤型。
対する勇実の《心力》は、瞬発力では赤型に劣る紫型(タイプ=オールラウンダー)。
予め錬成しておいた槍には猫夢理の攻撃を受け切れるだけの《心力》が込められているが、よーいどんで出力した場合は力負けしてしまうのだ。
(耐えろ、竜胆勇実……私ならできる!)
しかし、紫型の選手にも勝ち目はある。
それは赤型の弱点である、連続で攻撃できる回数の少なさ。
つまり、持続力のなさだ。
赤型はその高い出力が原因で《心力》の消耗が激しい。
そのため、戦闘中に必ずどこかで《心力》を使えなくなる場面がやってくる。
勇実の狙いはそこを突くこと。
(後2、3発で、鵣憧先輩の攻撃は一旦止む……!!)
そこまで凌げれば、瞬発力・持久力と併せ持つ紫型の勇美にもチャンスが巡って来る。
勇実は十分に《心力》を練る時間をつくろうと槍で薙ぎ払った。が、身を低くして突っ込んできた猫夢理に掻い潜られ、懐に飛び込まれる。
槍の長所はリーチの長さ。至近距離では無用の長物だ。
勇実は致命傷を免れようと、猫夢理の攻撃する動作に集中し――蹴り上げられた右足を、その爪先から伸びる赤刀の打撃点を読み切った。が、
(これは……!?)
槍で足刀を叩き落とそうとした勇美は目を見開く。
赤刀が2本ある。
1本は今まさに迎撃されようとしている右足刀。
もう1本はラリアットでもするかのように振るわれた左手刀……!!
(2発同時……!?)
先程の間髪入れずに2回続けて撃った連続攻撃とは難度が桁違いの――
(同時撃ち(ダブルクラッチ)!?)
同時撃ち(ダブルクラッチ)。
全身の内いずれか二箇所から同時に《心力》を放つ出力技術。
一度の出力がそれほど高くない紫型の勇美や青型の選手であればそこまで難しくない出力技術だが、負荷の高い赤型の選手がやるとなる話が変わる。
手と足の二点から同時に出力する器用さだけでなく、普段の倍、いやそれ以上かかる負荷に耐え得るだけの体力、《心力》の練度が求められるのだ。
故に赤型のダブルクラッチは上級者の証。
そう簡単に習得できない高等技術だ。
勇美は咄嗟に極楯で胸部を守ったが、それを突破してきた赤刀に袈裟斬りにされる。
「うっ、あ……!?」
【りんちゃん!?】
(中学の頃は使っていなかった……!? ダブルクラッチ、いつの間に習得していたのか……!!)
まずい。
崩された。
猫夢理にはもう一発残されている……!!
と、勇美が戦死を覚悟したそのとき、頭上から紫色のミサイル弾が降り注ぐ。
『竜胆選手のピンチに、リデル選手が乱入してきた! 協調して鵣憧選手の足止めか!?』
【って、実況は言ってるけど?】
【いや別に? なに言ってんの?】
退場処分が解かれ、早速猫夢理と勇美の対戦に乱入してきたリデルは、死にかけの勇美に大剣を振り下ろす。
その大剣を、勇美とリデルの間に飛び込んできた猫夢理が溶断する。
「2人まとめて飛ばしてやるわ」
「面済で」
「…………やばぁい、竜胆ピンチ」
猫夢理、リデル、勇美の三つ巴の戦いが幕を開けた。