見ぬ巣
浮いている。まず、そう思った。
蜘蛛だった。縁側が玄関のように使われていて、足の弱くなってきた祖父母のための手すりがあった。窓と手すりの三角形。巣を作っていることは、すぐにわかった。ただ、光の関係か糸は目には見えない。逆さまになりながら宙を歩いてるという格好だ。
じっと観察したのは、残酷な気分になったからだった。三角形の頂点。その一角が、私のすぐ横を通っていた。窓に着いている部分で、そこだけは目視できる。
頼りない、一本の糸。息を吹き掛けるだけで切れそうに思える。
巣が出来上がる瞬間に、切ってやろう。思った。指を、上から下へ降り下ろす。それだけで、切れる。そこを切れば、巣は崩れるしかなかった。一番高いところだ。バンジージャンプの命綱に似ていると、なんとなく思った。
まったく、馬鹿な蜘蛛だった。一番弱い部分を、敵に晒している。晒しながら、巣作りに右往左往している。
逆さのまま、右。脚が細かく動く。ひっくり返った。左、それから上。上下左右だけではない。手前、奥。縦横無尽だ。素晴らしいパフォーマンスだと、笑った。嘲った。
その動きができるのも、目にも見えないほど細い足場があるからだ。支えとなる一本だけが見えているのも、滑稽だった。
蜘蛛の動きがさらに激しくなった。上。それから奥。ひっくり返り、右へ。また上。一センチ二センチ程度動くと、方向を変える。
風。強かった。蜘蛛の姿が大きくぶれた。声をあげそうになった。落ちる。落ちるな。
耐えている。初めてだという気がした。初めて、脚の動きが止まった。止めなければならないほど、吹いているのか。そのなかで、お前は耐えているのか。
長い。五分。そんな訳はなかった。せいぜい、三十秒だろう。
蜘蛛が耐えている。切れるわけがない。蜘蛛の巣は強靭だと、なにかの番組でやっていた。だから、切れるわけがない。あってはならない。
十分近く、ただひたすらに巣を作っていたのだ。生きるための巣。蜘蛛の、家。
突風。私も、思わず顔を逸らすほどだった。片目をなんとか開いた。蜘蛛が揺れている。限界だった。目を閉じる。開いた時、風はやんでいた。
蜘蛛。宙で揺れている。息を吐こうとして、愕然とした。揺れ方が違う。踏ん張りがなかった。振り子のように、頼りなく左右に揺れている。ただ無力に、ぶらさがっている。
切れたのか。蜘蛛を見た。消えて、なくなったのか。家は。お前の、家は。
振り子の動き。力なく揺られる姿。見たくなかった。そんな気持ちが、どこからか湧いてきた。
手で包んだ。逃がすためだ。庭へ出るため、サンダルへ足を伸ばした。
無意識に、姿勢を落としていた。窓。なにを避けたのか、咄嗟にわからなかった。
見えない巣。そこにあったことを、私だけが知っている。