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「まあまあ、あんたたち。一体何があったの?」


 シーラは泥だらけの二人を見て、目を丸くした。


「ごめんなさい。私が、い――もがっ!」


 “(いのしし)からフレアを守れなくて”と続けようとしたマーシャの口を、フレアが無理やり塞ぐ。


「そう、マーシャったらイチイの木の幹に引っかかって転んじゃったのよね! その時に私の手を引っ張ったもんだから、私まで転んじゃって! おかげでお昼ご飯もダメになっちゃったし、災難だったわ。ね、マーシャ?」


「う、うん……」


 フレアの鬼気迫る眼力に圧倒されたマーシャは、先程の言葉を全て飲み込んで同意した。


「そいつは災難だったね。昨日のシチューの残りで良ければまだ鍋にあるから、お食べ」


「うん、そうするー。行こう、マーシャ」


 フレアは急き立てるようにマーシャを店の奥に連れていく。シチューの入った鍋を火に掛けると、濡れた布をマーシャに手渡した。顔を拭けという意味である。

 礼を言って拭えば、布には土がたくさん付着していた。思っていた以上に汚れていたようだ。道理で道行く人々にジロジロと見られていたわけである。


「どうしてシーラおばさんに本当のことを言わなかったの? ちゃんと謝りたかったのに」


「そんなこと言ったら、もう町の外へ行かせてもらえなくなっちゃう!」


 なるほど、そういう意図があったのかとマーシャは納得した。フレアは自分の家のパン屋を手伝っているので、外に出る機会が少ない。そのため、配達や仕入れなどで町の外へ出ることを何よりも楽しみにしているのである。


「そっか、分かった。でも、傷が開いたり、痛かったりしたら言ってね。また薬草持って来るから」


「ありがとう。さ、冷めないうちに食べましょう!」


 二人でシチューと甘いデザートを食べた後、マーシャは自分の店に戻った。




「ふう……」


 こじんまりとした店に帰ってきたマーシャは、座り込みたい気持ちを押さえ、テーブルの上に布を敷いて薬草を種類別に分けていく。

 すると店の扉が開き、来客を知らせる鈴の音が鳴った。


「何だよ、マーシャ。泥だらけじゃん!」


 深緑の髪をツンツンはねさせ、額に生傷のあるやんちゃそうな少年がぴょこんと覗いている。その目には悪戯っ子特有の輝きがあった。


「ヤン!」


 ヤンは近所に住む10歳の男の子だ。普段は妹や弟の世話をしながら周辺の店の使い走りをしているのだが、暇を見つけては、しょっちゅう遊びにやってくる。

 ヤンは他に客がいないことを確認すると、いそいそと店内に入り込んで来た。そしてマーシャの向かいの席にちゃっかりと座る。すでに慣れているので、マーシャは何も言わなかった。


「おでこ、どうしたの?」


「転んだ!」


「また? もう、しょうがないな。ちょうど薬草を取って来たところだから、待ってて」


 マーシャはお湯を沸かす準備をした後に、乳棒と乳鉢で少量の薬草をすり潰した。そして汁に布を浸してヤンのおでこに乗せ、包帯代わりの清潔な布を巻いていった。

 ヤンは薬草が傷口に染みているだろうに、何だかとても嬉しそうだ。


「へへっ。ありがと、マーシャ!」


「おねーちゃん、でしょ?」


「マーシャなんて、マーシャで十分なんだよ!」


「何それ、ひどい」


 マーシャがヤンの軽口にふっと笑った。するとヤンが初めて気付いたという風に怪訝そうな表情を浮かべて顔を覗き込んでくる。


「何だよ、元気がねーじゃねーか」


「ううん、そんなことないよ。ちょっと疲れちゃっただけ」


 心配させないために、マーシャは今日の出来事を告げなかった。するとヤンは言葉通りに受け取ったのか、安堵して本題を切り出した。


「ふうん。あのさ、マーシャ?」


「何?」


「新しくやってきた魔法使いって、マーシャの“(オトコ)”なのかっ!?」


「ごほっ!」


 予想外の発言に、マーシャが(むせ)る。ヤンの言う男というのはクラウドのことに違いない。どこをどうすればそんな誤解が生まれたのか、理解に苦しむ。

 そのまましばらく咳き込むマーシャの背中を、ヤンがさすってくれる。それは大いに助かるのだが、「(トシ)か?」という一言は余計であった。


「げほっ、んんっ。もう大丈夫、ありがとう。……ああ、びっくりした。突然何言い出すの?」


「何か、その男と町中で痴話喧嘩してたって噂になってるぜ?」


 あのいざこざがもう噂になっているとは、とマーシャは頭を抱えた。小さな町なので、少しでも変わったことが起きると、瞬く間に広まってしまうのだ。いかも、尾ビレ背ビレをたっぷり付けて。まさか二人が恋人同士だと思われていたとは、心外である。


「ち、違うからね!? 確かに知り合いは知り合いだけど。私は大っ嫌いなんだから、あんなやつ!」


 するとヤンは笑顔で“チッチッチッチ”と舌を鳴らして指を左右に振る。


「マーシャは男女の機微(キビ)ってやつを知らねーのか? “嫌よ嫌よも好きのうち”って言うだろ?」


「ヤン。あんた、お父さんの真似やめなってば……」


 ヤンの父親は運搬業を営んでいる。運搬業とはその名の通り、依頼主の荷物を目的地まで運ぶ仕事だ。その範囲は広く、時には国外まで及ぶため、長期の留守が多い。長期不在の父親の影を自ら追い求めているのか、ヤンの言動はどこかオヤジくさいのだ。大方、今のセリフも酒を飲んだ父親の真似だろう。


「とにかく、絶対に違うんだから! 全く、誰なの? ヤンみたいな子供にまでそんな噂を吹き込んだのは」


 マーシャがぷりぷりと怒ると、ヤンは頬を膨らませる。


「子供扱いすんなよ! 俺も今度からオヤジの仕事を手伝うからな、そうなったら一人前の男だぜ? マーシャの世話もあと少ししかしてやれねーよ!」


「へえ、お父さんの。ヤンったら、偉いじゃない!」


 頭を撫でるとヤンはますます頬を膨らませた。その態度がまだまだ子供の証拠である。微笑ましく思ったマーシャは、ヤンの話に乗ってあげることにした。


「ふふっ、ごめんごめん。そっか、ヤンももう一人前の男なのか~。仕事始めたら、あんまり会えなくなるね。寂しくなっちゃうな~」


 すると気を良くしたヤンはすぐに胸を反らした。素直なところが彼の長所である。


「俺が一人前になったら、マーシャを嫁にもらってやってもいいんだぜ?」


「(ぶふっ)」


 マーシャは思いっきり吹き出しそうになるのを、何とか我慢した。ここで笑ってしまえば、また彼の機嫌が悪くなってしまうからだ。

 ヤンのことは生まれた時から知っている。おむつを交換してあげたこともあるし、泣き止まない彼を背負ってあやしたこともある。弟どころか子供と言っても過言ではない相手からの、突然のプロポーズである。


 笑いが堪えられなくなったマーシャは、お茶を淹れるという名目で席を立った。肩が震えているのが自分でも分かる。二つのカップにお茶を注ぐことに集中していると、ようやく笑いを押さえることに成功した。


「なーなー。返事は?」


 子猫が親猫を求めるみたいな声と態度だ。大人ぶっていてもこういうところが年相応で可愛らしい。


「去年はフレアにプロポーズしたって聞いたけど?」


「へっ、そんな大昔のことなんて覚えてねーぜ。俺は未来しか見ない男だからよ!」


 10歳の子供にとって、去年は大昔になるらしい。だとすれば、このプロポーズも来年になれば大昔のこととして忘れられているだろう。そう判断したマーシャは、ヤンに向かってにっこり微笑むと頷いてみせた。


「はいはい。ヤンが私くらいの年齢になったら迎えに来てね。楽しみにしてるから」


 するとヤンは満面の笑みを浮かべて「やったー!」と叫び、ガッツポーズをした。


「約束だぞ、マーシャ! 俺の嫁になったら、毎晩寝かさねーからな!」


「ヤン。あんた、絶対その言葉の意味分かってないでしょ……」


 マーシャはヤンの将来が不安になり、肩を落とした。

 お茶を飲んだヤンは、しきりにマーシャに甘え、夕飯の時刻が迫るとようやく帰っていった。

 ヤンは言葉と行動が突拍子もないので、対応するには少々骨が折れる。だが、森での事件を風化させる効果は十分で、マーシャは内心でヤンが来てくれたことに感謝していた。




 そしてその半月後。ヤンはお父さんの仕事に同行することになったのだった。


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