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「マーシャ、パンケーキ焼けたわよ」
「ありがと~フレア~」
家に帰るまでもたないだろうと判断されたマーシャは、フレアに保護されていた。湯気の立つ大きなパンケーキがテーブルに載せられる。ハチミツとジャムが瓶ごと置かれているのは、好きなだけ使えという意味だろう。
のそのそとテーブルに移動したマーシャは、ハチミツとジャムを皿から溢れるほど掛け、喉が渇ききった旅人のようにパンケーキを頬張った。
「うう、美味しいよ~」
甘さと温かさに涙が出そうになる。フレアの作ったパンケーキは絶品だった。
マーシャも料理が出来ない訳ではない。実際に今は節約のために自炊生活をしている。だが、お菓子作りに関しては素人以下であった。
小麦粉の入ったボウルを床に落とす、一つまみと言われて一掴み入れる、甘味の量を計り間違える、スパイスを入れ間違える、勝手なアレンジを加える、混ぜすぎて硬くなる……マーシャは料理が苦手な人間がやりがちなありとあらゆる失敗をしてみせるのだ。
よって、甘いものに関しては常に余所に頼っているのが現状だ。
(目分量で何とかなるって訳じゃないもんね、お菓子作りは……)
かと言って、料理も得意という程でもない。大体の料理は焼く、蒸す、煮る、などから一つだけ選ぶというスタイルで、焼いてから煮込む、蒸してから煮込むなどと二工程以上必要になる料理は初めから作らないことにしている。味付けも非常にシンプルだ。甘味以外の食事に関しては、さほどこだわらないのであった。
「ああ、美味しかった! おかげで元気が出たよ~」
大きなパンケーキを瞬く間に胃に詰めてお茶で喉を潤したマーシャは、ようやく姿勢を正した。腹が満たされれば、今度は腹が立ってくる。
「全く、何なの、あいつ!」
マーシャは空のカップをダンッと音を立ててテーブルに置いた。まるで管を巻く酔っ払いのオヤジだ。
「まあ、店としては全部買ってもらえて喜ばしいんだけどね。さすがに買い占めるのは……って思ったのよ? でも他のお客さんが構わないって言うから」
「どうせ、見た目に騙されたんでしょ。それがあいつのいつもの手なんだから」
他の客は全て女性だった。買い占められても文句を言わなかったのは、クラウドが男前だったからだ。
魔法学園に在籍していた時もそうだった。クラウドは学食で人気のデザートを列に並びもせず、顔が良いという長所を存分に利用し、悠々と手に入れていたのだ。
「全く、この世は不平等だわ……」
マーシャは午前中の授業が終わるとすぐに学食に走っていく。だが、せっかく列の前の方をキープしていても、能力が高い生徒が現れたら順番を譲らなければならないのである。当然、落ちこぼれのマーシャは列の最後に回される。その点においてもクラウドは文句なしに優遇されていた。
マーシャはたったの一度だけ、恥を忍んでクラウドにデザートを譲ってくれと頼んだことがある。授業で魔力を使いすぎて、限界だったのだ。
その時のクラウドの顔は、今でも忘れられない。にっこりと極上の笑顔を浮かべ、あろうことかマーシャの前でそのデザートを頬張ったのだ。
あの日、マーシャは再びクラウドを天敵と認識した。戦いに敗れ、売り切れのため他の甘い食べ物すら得られなかったマーシャは、仕方なく砂糖を舐めた。あの時の砂糖は甘いはずなのにとても苦かった。あれは人生最大の屈辱だった。
――食い物の恨みは恐ろしいのである。
「私が店に居ない時に、うちのパンを買いに来たらしいの。それで気に入っちゃったみたいね」
お茶のおかわりを注ぎながら、フレアが情報をもたらした。シーラが接客をしたのだが、マントのフードを目深に被っていたので容姿までは分からなかったそうだ。
マーシャよりもひと月以上定住が遅れたのは、国中のパン屋を巡っていたせいだろう。そこまでして見つけたお気に入りの店があるこの町を、クラウドがそうやすやすと諦めるはずがない。
マーシャの頭に“自分が引っ越す”という案が浮かんだが、すぐに却下した。ここは幼い頃の思い出の土地だし、パンは美味しいし、そして何故こちらが引かねばならぬのだ、と考えたのだ。そっちがその気なら、こっちにも考えがある。
マーシャは「ふふふ」と不敵な笑みを浮かべると、意気揚々と立ち上がった。するとフレアが店先まで見送りをしてくれる。
「どこか寄るの? 家とは反対方向だけど」
「うん、ちょっと外回りの営業して帰る。また明日ね!」
フレアに手を振り、シーラに暇を告げると、マーシャは風見亭に向かって歩き始めた。道の角を曲がれば、目的の店の女房が道に水を撒いている。土の道は土埃が舞いやすいのだ。
「アビーさん、こんにちは」
話し掛けられたアビーは一瞬ギクリとして、ぎこちない笑顔で振り返った。
「あ……ああ、マーシャちゃんかい」
「そろそろ食器割っちゃう頃かなと思って来てみました」
「い、いや、それがその……」
アビーは困った顔で目線を宙に泳がせた。すると「主人のバートが厨房から出てきて申し訳なさそうに言った。
「ごめんよ、マーシャちゃん。新しく来た魔法使いにもう直してもらったんだよ」
「えっ!? それって……クラウドのことですか? あの、背が高い」
マーシャの言葉に、二人はあからさまにほっとした表情を浮かべた。
「何だ、知り合いだったのかい?」
「知り合い……と言えば知り合いですけど……」
言葉を濁したマーシャには気付かず、二人はクラウドを褒めはじめた。
「すごかったよ、あの子。ランチタイムの忙しい時に私が皿を割っちゃってねえ。ご飯を食べながら、魔法を使って一瞬で直してくれたんだよ。指先で“ピッ”だよ、“ピッ”!」
「お礼に『お代はいいよ』って言ったら、他の皿も直してくれて、助かったんだよ」
二人の手放しの賞賛に、マーシャの表情はみるみる沈んでいった。
マーシャは精神統一してからじゃないと魔法が使えない。足先から順に力を集め、手を媒介して魔力を具現化するのだ。
だが、クラウドにはそんなもの一切必要ない。大した精神統一もせずに、望めばその指先から魔力が生まれるのだ。これが一級魔法使いと落ちこぼれの歴然たる差だろう。
「また食べにくるって言ってたよ。今度は一緒に食べにおいで」
「うちの料理も気に入ってもらえたみたいだし、良かったなあ」
一緒に食べにくることは絶対にないと思いつつ、ここで反論して空気を悪くしたくなかったので、マーシャは仕方なく頷いた。それにしてもクラウドはここで食事をした後でパン屋に行き、あんなに大量に買い占めたということか。何という大食漢なのだろうと呆れる。
「じゃ……じゃあ、また何か用事があった時は呼んでくださいね」
マーシャは引きつった笑顔で営業をすると風見亭を後にした。
「こんなことでくじけちゃダメだよ、風見亭の他にもお客さんはたくさんいるんだから」
ところが。
「ああ、ごめんね。朝、男の魔法使いさんにやってもらったよ」
「惜しい! 今さっき新入りの魔法使いが来たから用が済んだんだ」
マーシャは行く先々で断られた。どうやらクラウドは甘いものだけではなく、仕事も根こそぎ奪っていったようだった。おまけに皆はマーシャの落ち込みに気付かず、
「マーシャちゃんも魔法使いの友達が増えて良かったね」
「魔法使いが二人も居るなんて、この町もこれからもっと栄えるかもしれないな~」
……なんて笑顔で言う始末。
(おのれ、クラウド! 許すまじ……!)
マーシャの闘争心に火が付いた。なるべく接触しないようにしようという決意も、とっくにどこかへ消えてしまっていた。
食べ物だけではく、金銭の恨みも非常に根深いのだ。