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「いつまでもこうしちゃいれないよね」
一人暮らしを始めてからめっきり独り言が増えたマーシャは、「よしっ」と膝を叩いて立ち上がった。ネックレス作りに使った道具を片付け、薬草を煮ていた鍋を確認する。途中で火から下ろしてしまったが、うまく薬効成分を抽出出来ているようだ。マーシャは満足げに微笑み、空いた瓶を用意して小分けにしていく。
(まあ、同じ町に住んでいるからって、そんなに会うこともないでしょ。往来でもし見かけたらすぐに逃げればいいし)
無心で作業を続けていると、ようやくそういう境地に落ち着いてきた。クラウドの目的は不明なものの、自分の人生は何一つ揺るがない。いや、揺るがせてはならない。同じ町内に気に入らない人が一人居ても、気にせずいつも通りに生活するのみだ。
すると入口の扉が鈴の音を響かせて開いた。今回も初来店のお客様だ。
「邪魔するよ」
扉を開けたのは、商人風の衣装を纏った中年の男性だ。突き出た腹を扉にぶつけながら入店してくる。
「いらっしゃいませ!」
マーシャは慌てて挨拶をすると、接客をするために客の元へ駆け寄った。
「この店では薬草も取り扱っていると聞いてきたんだが」
男は作業中の薬草類を見て、自分の問いを引っ込めた。マーシャは棚にぶら下げてある乾燥した薬草類を一つ一つ指差しながら説明をする。
「薬草は各種取り揃えてございます。薬草、毒消し草、あとは毒草と……」
「こっちは?」
マーシャの言葉を途中で遮った男は、すでに加工済みの瓶を指し示す。
「傷薬、整腸薬、鎮痛薬、胃薬、虫よけなどですね」
「こんな田舎町にしては、結構品揃えがいいじゃないか」
男の言葉に、マーシャは内心でムッとする。住んでいる町を馬鹿にされたからだ。だが、相手は客なので、マーシャはぐっと堪えた。
「料金はいくらだ?」
「こちらです」
料金表と合計額を提示すると、男は一つ頷いた。
「あるだけもらおう」
「えっ、全部ですか!?」
確かに料金は王都と比べると良心的な値段になっている。だが、量が量なので合計額はかなり高い。馬が一頭買えるかもしれない程の金額だ。
「何か問題でも?」
「い、いえ」
買ってもらえるんだから、文句はない。ただ驚いただけだ。こんな量の薬草類を必要とするこの男は一体何者なのだろう?
男は懐から代金を差し出した。紐で繋がれた銅貨は商人や旅の者が使用することが多い。
「ちょうどですね。ありがとうございます」
男が店の扉を開けて「おい!」と叫んだ。すると年若い男が2人ほど店の中に走って来る。
「この店の薬草類を全部運び出せ。商品なんだから、丁寧に扱えよ」
「へい!」
どうやらマーシャから買い占めた商品をどこか他の土地で売りさばく算段のようだ。食料とは違い、薬草類は時間を経ても傷むことはない。運送の手間を掛けても利益は十分に出るだろう。
腕組をしつつ搬出の様子を見守っていた男は、思い出したようにマーシャを振り返った。
「そういえば看板に“魔法屋”とあるが、お前、魔法は使えるのか?」
「まあ、一応は」
マーシャは胸元のブローチを見下ろした。このブローチはラヴィエール魔法学園を卒業する時に授与される物だ。魔法学園の校章の中央には石が鎮座しており、これが魔法使い証明書、いわゆる魔法免許となっている。男も校章を知っていたらしい。
「んじゃ、我々に守備力やら防御力やらを上げるやつを一発頼む。怪物との遭遇率を下げたい」
「分かりました。やってみます」
マーシャは男とその連れの二人に、順番に魔法をかけた。防御力と運が良くなる魔法だ。これで怪物との遭遇率がぐっと減る。おまけで簡単な結界の魔法も付け加えた。目くらまし効果とまではいかないが、怪物に気配を察知されにくくなる。馬車の音がするのであまり効果はないように思えるが、馬車全体に魔法をかけるのは対象が大きすぎてマーシャには無理だ。それに元々怪物は好き好んで人間に近寄っては来ないので、気休め程度には十分だろう。
「何だか身体が軽くなった気がするな」
「防御力が上がっているので、そのせいかもしれませんね」
男は満足したようで、「礼を言う」と言って袋に詰まったお金を渡してきた。中身を見たマーシャはあまりの多さに驚いた。
「こんなに!? いいんですか?」
「ああ、三人分だからな。また近くに来た時は寄らせてもらおう」
男たちが出ていくとマーシャはその場に座り込んでしまった。客のいる間は何とか持ち堪えたものの、足がガクガクと震えていた。まるで生まれたての小鹿のようである。あまり間を置かず三人に魔法をかけたのは初めての経験だったので、力の消耗が激しかったのだ。
(あ~甘いもの食べたい! 今日だけですごい稼ぎになったし、ご褒美に白パンたくさん買いに行っちゃおう!)
しばらく休憩して体力がやや戻ってきたので、マーシャはほくほく顔でパン屋へと向かった。
「シーラおばちゃん、白パンくださいな!」
挨拶しながら扉を開けると、シーラはカウンター越しに接客をしているようだった。仕方なしに自分で白パンの定位置へ行くと、あるはずの白パンが一つも無かった。
「あれ? 白パンが無いっ!」
見回せば甘いパンが全て無くなっている。焼き釜のある厨房にいたフレアがマーシャの声に気付き、駆け寄って耳打ちをした。
「ごめんね、今日はもう売り切れちゃったのよ」
「ええっ? だって、まだお昼前だよ?」
フレアは困ったようにお会計をしている客に目を向けた。その客はカウンターの上で配達先を記入しているらしく、腰を折っている。
その客の前にはマーシャの目的である白パンが山盛りになっている。どうやらあの客が大量に購入したためにマーシャの分が無くなってしまったようだった。
(パーティーでもする訳じゃないだろうに、一人であんなに買い占めるなんてありえない!)
文句の一つも言ってやりたいところだが、ここは下手に出ていくつか譲ってもらえないか交渉することにする。
「すみません、その白パンなんですけど、良かったら少し分けて……」
マーシャは最後までセリフを言えなかった。マーシャの呼びかけに応えて振り向いた相手が、天敵のクラウドだったからだ。クラウドはマーシャを見て、迷惑そうに形の良い眉を寄せている。
「またお前か」
「それはこっちのセリフよ! ちょっと、甘いパンを買い占めるってどういうこと? 他のお客さんの迷惑も考えてよ!」
「どこで何を買おうと、客の自由のはずだ。それとも、この店は買占め禁止なのか?」
クラウドが店内を見回すが、シーラもフレアも、他に居合わせた客たちも誰も文句を言わない。もちろん、そんな決まりは無いので、マーシャは自分の分が悪いと知ってやけになって声を荒げる。
「大体さあ、どういうつもりなの? クラウドくらいの腕があれば王都でもどこでもやっていけるでしょう? こんな田舎町じゃなくっても!」
先程客の男に言われて腹が立った言葉を自ら使ってしまい、マーシャは内心複雑だった。
「そうか、お前、魔法を使ったのか」
クラウドはマーシャが魔法を使うと糖分補給が必要なことを知っている。その視線がマーシャの胸元に落ち、マーシャはブローチを咄嗟に隠した。
このブローチは皆がお揃いな訳ではなく、一人一人、その者の能力によって石が違う。ダイヤモンド、ルビー、サファイヤなど有名な宝石が惜しげもなく授与される中、マーシャが受け取ったのは青とも緑ともつかないマーブル状の模様をした不透明の石がはめ込まれたブローチだった。
――碧玉という石だということは、後ほど判明した。南国が生産地の、珍しい石らしい。だが、マーシャはこれを受け取った時にこれ以上はないという程に落ち込んだ。実技は散々だったものの、魔法学や薬草学では上位に食い込むほどの成績を取った自負がある。それなのにキラキラした宝石ではなく、その辺に転がっていそうなまだら模様の石を渡されるとは、と。同じ緑色ならエメラルドや翡翠では駄目だったのか、未だに謎だ。
ブローチはそのまま魔法使いの証であるために、常に身に着けていなければならないことがとても嫌だった。ようやくその痛みにも慣れ、気にしなくなってきた矢先にクラウドの視線で呼び起こされてしまったのだ。
クラウドのブローチには最高級の透明な宝石が燦然と輝いている。一流の魔法使いの証と言ってもいい。
(よく見れば、こいつの瞳の色と私のブローチの色、そっくりだ……)
白パンを取られたこととの相乗効果で、ますます腹が立つ。
「王都のパンは駄目だ。日持ちを優先させるあまり、水分の無い硬いパンばかりだからな。だけどこの店のパンは違う。その日消費するために作られているから、水分が多く柔らかい。国中のパン屋を巡ってようやく見つけたんだ、引越をするつもりは一切ない」
クラウドはそう言い切ると「では、配達よろしくお願いします」とシーラに言い置いて店を後にした。いくつか持ち帰るようで、小脇に抱えた袋から白パンを一つ取り出してさっそく口にしているのが見える。今頃はマーシャが頬張っていたはずの甘酸っぱいジャムがたっぷり入った白パンだ。
(そうだった、あいつ、超が付く程に甘党だった……!)
疲労と相まって、マーシャはその場に膝から崩れ落ちた。
「マーシャ。明日も白パン作るから……」
フレアの慰めも届かないくらい、マーシャは打ちのめされていた。
そして、この先の未来が芳しくないことを、すでに予想していたのだった。