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店の中に戻ったマーシャは、皮ひもの残骸やハサミを片付けることもせず、椅子に座りこんだ。頭の中が混乱していたせいだ。
(どうしてクラウドがこの町に住むの?)
クラウドは王都出身なので、この町には縁もゆかりもないはずである。しかもクラウドはラヴィエール魔法学園きっての天才で、おまけに主席で卒業したほどのエリートである。こんな田舎町に居を構える理由が皆目見当もつかない。
こちらが相手を毛嫌いしているのと同じくらいに、クラウドもマーシャを嫌っていた。だが、こんなに手間と金が掛かった嫌がらせをしにくるほど根性は曲がっていないはずだ。
(最初は仲が良かったはずなのになあ……どうしてこんなことになったんだろ?)
棚に並べられた天然石をぼんやりと眺めながら、マーシャは過去に思いを馳せた。
マーシャがクラウドに初めて会ったのは、今から約5年前。ラヴィエール魔法学園の入学式のことだった。
白地に金の縁取りがほどこされた真新しい制服とブーツを着て、そびえ立つ門を見上げたマーシャは、あまりの大きさに口をあんぐりと開けてしまった。
(ここがあの有名なラヴィエール魔法学園か~! 敷地内で迷いそうなほど広いな~!)
魔法学園は王都の外れにある、全寮制の学園である。敷地内には校舎以外に郵便局やレストランなど様々なサービス施設が併設されており、ちょっとした町の規模を軽く超えているのだ。
ここには国中から試験に合格した魔法使いの卵たちが集まってくる。卒業時に国家資格を得て、晴れて魔法使いになれるのだ。もちろん国家資格を得ていない者の魔法の使用は、学園の入学資格に満たない子供を除いて禁止されている。
スカートを翻しながら誘導に従って講堂へと移動したマーシャは、あまりの人の多さに辟易した。学校側や上級生の人間も多かったが、この場にいる全員が仲間でありライバルだと思うと心臓が高鳴ってくる。
マーシャは知り合いが居なかったため、偶然隣に座った人に笑顔で話しかけた。
「初めまして! 私、マーシャ・ハートレッジ。よろしくね!」
挨拶を投げかけてから見てみれば、相手は男の子だった。身長はマーシャと同じくらいで、金色の髪と青碧色の瞳を持っている。制服がスカートではなかったために間違えることはなかったが、一見女の子と見間違えそうになるほどの可愛さだ。
「クラウド・ウィザーズリー。よろしく」
クラウドは面食らった顔をしたものの、すぐマーシャに向かって優しげな微笑みを浮かべた。手を差し出すとすぐに握り返してくれる。顔は可愛いが、手には男の子特有の硬さがあった。
(仲良くなれそう! 良かった~)
学園長のありがたい挨拶が終わり、校舎に移動したマーシャは教室を見てまた感嘆の吐息を漏らした。建物自体もそうだが、机や椅子などありとあらゆる設備が一目で分かるほど高級なのだ。今まで通ってきた民営の学校とは雲泥の差であった。
設備の差はそのまま王国からの期待に値する。卒業生のうち、見どころのある者は政府の要人付きになったり、有事の際に出動する魔術軍に配備されたりとその活躍の場は多岐にわたるのだ。王国にしてみればどれだけ金を掛けても惜しくない、といったところだろう。
(頑張らなきゃな)
マーシャの身体は、高揚感とともに感じる重責で武者震いした。
「早く席に着きなさーい」
どの席に座ればいいのか逡巡していた生徒たちは、最後に教室へ入ってきた先生の一言でわたわたと空いた席を埋めていく。
彼女がこのクラスの担任らしい。まだ若そうだが、ずいぶん肉惑的な先生だ。魔女らしい黒いとんがり帽子を被り、同じく黒いマントを羽織っている。が、その下から覗く衣服は胸元が大きく開き、豊満な胸の谷間が惜しげもなく晒されている。
「隣いい?」
出遅れたマーシャが見つけた席は、偶然にもクラウドの隣だった。長い机は二人共用で使用できるようになっている。窓際の一番後ろの、なかなか快適そうな席だ。窓からは春の日差しが柔らかに差し込んでいる。
「どうぞ」
クラウドが快く了承してしれたので、マーシャは笑顔でお礼を言って座る。この調子なら女の子の友人もすぐに出来そうだ、と胸を撫で下ろしていた。
「さっそくだけど、今から自己紹介がてらに実力テストをさせてもらうわよ~」
テレジアと名乗った先生の言葉に、生徒たちが一斉にブーイングする。
「静かに! ちょっと火を出してもらうだけだから簡単でしょ。くれぐれも周りの物を燃やさないようにするのよ。もしちょっとでも焦げたら減点対象になるわ」
「なんだ、火を出すだけか」
「簡単なテストで良かった~」
教室の中は一転してほっとしたムードになったが、マーシャの顔は心なしか青ざめている。
窓際の前列から始めることになり、クラウドの番が先にやってきた。クラウドは名前と出身地を述べた後、マーシャやクラスメイトが見守る中で手の内側に大きな火を出現させた。他の生徒のように真っ赤ではなく、高熱のためその色は青みを帯びた色だった。
「そこまで! 火系の魔法が得意みたいね、クラウド・ウィザーズリー」
「クラウド、すご~い」
テレジア先生の褒め言葉に、マーシャは手を叩いて賞賛した。クラウド自身は何の感慨もないのか、「どうも」と言ってすぐに着席する。
「次!」
「は、はい! 私の名前は、マーシャ・ハートレッジ。ディアーナ出身で、王都育ちです。よろしくお願いします」
「では、火を」
「……はい」
マーシャは両手に力を集めた。するとプスプス……と小さな火が爆ぜたかと思うと、そのままプスンという音と共に火が消えてしまった。教室の中を沈黙が支配する。
「えーと、今ので終わり?」
「……すみません」
マーシャは顔を赤らめた。教室中からマーシャを揶揄するような失笑が漏れる。するとテレジア先生はそれを制止すべく手を二度大きく叩いた。
「ま、いいわ。誰にでも得手不得手はあるものよね。ではマーシャ・ハートレッジ、着席なさい」
「……はい」
マーシャは俯いたまま着席した。次の生徒が自己紹介を開始してクラスメイトの注目が逸れる。すると、クラウドがマーシャの方を向いて口を開いた。
「今の魔法は何なんだ?」
「……実は、私、火系の魔法が苦手なの」
「そういうことじゃなくて」
「え?」
クラウドはどこか苛立ったように言う。マーシャが首を傾げて見せると、クラウドはさっきまでの和やかな雰囲気を一変させ、眉をギュッと寄せた。
「俺はお前のことが大っ嫌いだ」
クラウドは憎らしげにマーシャを睨み、前を向いた。
「なっ……!」
突然浴びせられた嫌悪の言葉に、マーシャは言葉も出せずに口をぱくぱくさせた。
(私が何をしたっていうの? もしかして、魔法がショボショボだったから!?)
隣の席を見遣ったが、クラウドは二度とマーシャの方を見なかった。まるで親の敵のように教壇に立つ教師と黒板を見据えている。
(天才だからって、感じ悪くない? いいよ、こっちだって魔法の実力で他人を差別するような人は許せない! 友達なんて、こっちから願い下げなんだから!)
マーシャはフンッと顔を背けるとクラウドの存在を自分の中からはじき出した。
ラヴィエール魔法学園の入学式が執り行われた、この日。マーシャはクラウドのことを完全に敵と認定したのであった。