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「どうしたんだ、マーシャ。大きな声出して」
ガイがひょいっと戻ってきた。いつ足場が崩れるか分からない不安定な場所だというのに、クラウド以上に軽い身のこなしだ。おまけに魔界にいるというのに緊張感というものがまるで無いように見える。
彼が勇者の生まれ変わりなのか正直なところマーシャには判断できないが、度胸は勇者並みなのかもしれない。
マーシャは突然の告白に驚いていて、口をぱくぱくさせることしかできない。代わりに答えたのはクラウドだった。
「今、長年の恋心を打ち明けたところだ」
「まじか!」
ガイはピューッと口笛を吹いた。
こんな場所で、とも、こんな時に、とも言わない。疑問に思っていると、その視線にガイが気付く。
「だってさ、これから先に何が起きるか分からないんだから、言いたいことは言える内に言っとかないとなー」
その言葉にマーシャははっとした。
(ガイの言う通りだ。私たちはいつ死ぬか分からないんだもの)
そう考えるとクラウドのことを責められない。相手が自分だということについては、大変困っているけれど。
「何の話?」
テレジアも戻ってきてくれた。ガイとともに怪物を倒していたというのに、ほぼ無傷だ。
「クラウドがマーシャを好きって話!」
「ちょっと、ガイ!」
慌てて止めたがもう遅い。
「なーに、今さらそんな話? そんなこと、とっくに知ってたわ」
テレジアは期待して損したとでも言いたげな態度で髪をばさりと払った。
「え?」
「というか、ラヴィエール魔法学園の人なら全員知っていたと思うわよ」
「ええっ!?」
マーシャはひどく驚いた。まさか学園の人たちが知っていたとは思わなかったのだ。どうして自分だけ知らなかったのだろう。
「他人に興味ありませーん、って態度のクラウドがやけに話しかけるんだもの、すぐに分かるわよ」
それだけで? とも思うが、恋愛経験の少ないマーシャには判断ができない。
「マーシャ、在学中に男子生徒に話しかけられたこと、ほとんどないでしょう?」
どうして突然そんなことを聞かれるのか分からなかったが、マーシャは素直に頷いた。
「はい。でも、それが何か……?」
自分がモテなかったことを暴露するようで恥ずかしいが、事実である。
「誰も学園始まって以来の天才魔法使いの想い人には近寄らないわよね。マーシャとの仲を誤解したクラウドに逆恨みでもされちゃったら、焼死か氷漬けは避けられないもの」
クラウドが深く頷く。
(ちょっとそこ! 頷くところじゃないでしょ!? 否定しなさいよ、否定を!)
マーシャが睨むと、クラウドが口を開いた。
「焼死体になんてしない」
「そうよね、いくらクラウドでも……」
「跡形もなく消し去る」
マーシャの言葉を遮るように言い放たれたクラウドのセリフに、マーシャはビシリと固まった。
「恐えぇ! マーシャちゃん、俺の隣に来るなよっ!」
ガイが恐怖に顔を歪めてマーシャから一歩離れた。が、次の瞬間には笑い出していた。
テレジアもクスクスと笑っている。
「ああ、おかしい。こんな状況だっていうのに、なぜか笑えてくるわね」
「だな。この四人なら何があっても笑っていられる。そんな気がするな」
テレジアとガイが笑っているので、マーシャもつられて微笑んだ。
そして四人は再び歩き出した。皆で歩く道は、もう怖くない。歩きがてら、四人は色んな話をした。趣味の話、好きな食べ物の話、子供の頃の話……。もちろん途中で怪物もいくらか出たが、この四人の敵ではなかった。
「そういえば、マーシャがこの旅に同行した理由をまだ聞いていなかったわね。私は純粋に自分の力を試したいと思ったからだけど、マーシャは?」
「えーと、……最初はどうして私が、って思ったんです。でも、朝目が覚めて、窓を開けたんです。色んな家から朝ご飯の匂いがして、子供たちの声が聞こえてきました。そしたら、もう行きたくないって言えなくなって、行かなきゃって……」
テレジアの問いに、つっかえつっかえしながら答える。
力不足だって分かっていた。だけどあの場面で決断していなければ、今頃後悔していただろう。誰かに偽善だと思われてもいい。むしろ人のためというより、自分のために行く。後ろめたい気持ちで眠れない夜を過ごさなくてもいいように。死の瞬間、やるだけやったと自分自身を納得させられるように。行かない後悔より、行く後悔を選んだのだ。
そのおかげで自分の力に気付いたので、今ではクラウドの強引さに多少反感はあるものの、概ね感謝している。
「マーシャ、あなた何ていい子なの!」
テレジアがマーシャを抱き締める。マーシャはその豊満な胸の中で溺れそうになった。
「ぷはっ! そ、そうだ、すっかり忘れてた。皆に渡したかったものがあるの」
マーシャはテレジアのおっぱい地獄から何とか抜け出し、懐から4つの天然石を取り出した。
「これは?」
「実家に送ってあったものをいくつか持って来ていたの。それぞれ、運が上がったり俊敏力が上がったりするように、色んな効果を詰め込んでいるから、良かったら持っていて。気休めかもしれないけれど」
適当に持ってきたが、今見れば石の数はちょうど四つ。しかもその石はそれぞれの瞳の色によく似たものだった。まるで最初からこの四人でここに来ることを知っていたかのように。
クラウドには青碧色の石、テレジアには焦げ茶色の石、ガイには緑色の石。それぞれに天然石を渡す。
「すごいじゃない、マーシャ。こんな素敵な贈り物は初めてだわ」
「へー、こんなちっこい石にそんな効果があるのか」
「ありがたく受け取っておく」
テレジアが目を輝かせ、ガイは不思議そうに石を覗き込み、クラウドは使い魔であるファルクを影から出して渡した。
「落ちこぼれの私にはこんなことくらいしかできないから」
するとテレジアがきょとんとした顔をする。
「落ちこぼれ? 誰が?」
「だから、私が」
知っているくせに、というニュアンスでマーシャが言う。テレジアはラヴィエール魔法学園の若き教師だ。マーシャが落ちこぼれであることは承知のはずだった。
するとテレジアが意外なことを言い始めた。
「確かに実技は苦手だったみたいだけど、魔法学や薬草学なんかは上位だったじゃない」
「でも、学園では攻撃魔法が全てでしょ。学問ができても、炎一つまともに出せない私は肩身が狭かったわ」
マーシャは当時のことを思い出して肩を落とした。実技で順番が回ってくるたびにどれだけ劣等感を抱かされていたか。クラスメイトたちは表立って揶揄してくることはなかったが、マーシャが失敗するたびに忍び笑いをしていた。そのたびにマーシャは顔を赤くして身を縮こまらせることしかできなかったのだ。
「それでもあなたはラヴィエール魔法学園を卒業して魔法使いの証を手に入れた」
マーシャは胸元にあるブローチに手を触れた。碧石が気に入らない理由をそのまだら模様のせいにしてきた。だが、本当の理由は自分がこの証を手にしていいものかどうか迷っていたせいなのかもしれない。
「……それは、新種の薬草の開発に成功したから、きっとそれで……」
在学中に選択授業で取っていた薬草学実習では、いくつかの薬草を組み合わせて効果の高い薬を作り出すことを学んでいた。そこでマーシャは薬草同志を接ぎ木し、魔法をかけ、両方の薬草の効果を持つ新種の薬草を生み出したのだった。
「とてもすごいことよ、マーシャ。薬草学の進歩に貢献したのよ」
「……あの件だけで卒業できたと言っても過言ではないと今でも思ってるの」
そうでもなければ、実技の点が足りずに落第、もしくは退学となっていたことだろう。
「そういえば、いつか見た、森の中にお前が作っていた薬草園もすごかったな。それに、攻撃魔法は壊滅的だったが、防御魔法は人並みに使えていた」
クラウドもテレジア同様にマーシャを褒めたので、マーシャはまた驚いた。
「どうして褒めるの?」
「俺だって褒めることはある」
「じゃあ、どうしてあんなに嫌味を言っていたの?」
「嫌味?」
「言ったじゃない。試験の結果発表の時には毎回、『すごいな、恐れ入った』とか、『やるじゃないか』とか。どう考えても嫌味でしょ?」
「素直に称賛したつもりだが」
(あれ、本気で褒めてたんだ!? 口元は笑ってたけど目は笑ってなかったから、絶対嫌味言われてると思ってた)
「だったら魔法練習室の前で私の持っていた魔法の本を見て『無駄だな』って言ったのは? あれは嫌味よね?」
「いや。あれは『そんな演技をしてもお前の魔力が高いことは分かっている』という意味だった」
「それならそう言いなさいよ!」
あの短い言葉にそんな長い意味が込められているとは、精神感応者ですら分かるまい。
「最初の頃、お前が俺のことを忘れていたことに内心拗ねていたのは確かだ。本当の能力を隠していることに対して怒っていたことも間違いない。だが、何か事情があるのだろうと思い直し、その後は態度を改めて接していたつもりだったが」
(分かりにくい! というか、全然分からなかった!)
「甘いパンを買い占めたのは?」
「食べたかったから」
「じゃあ、そもそもディアーナに引っ越してきたのは、」
「マーシャが居たからに決まっているだろう」
「嘘でしょ……」
マーシャは再び呟き、頭を抱えた。全てが自分の思い込みによる誤解だったとは。
それにしても、この男は欲望に忠実な上にマイペースすぎる。
(確かにわたしが勝手に誤解してたのが悪い。でも、私だけのせいじゃないはずよ)
「お二人さん、盛り上がっているところ大変申し訳ないが」
「どうやら、とうとう着いたわよ」
ガイとテレジアに言われて顔を上げると、禍々しい気配をまとった魔王城が目前に迫っていた。




