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クラウドとの誤解がようやくとけた。これからは仲良く協力しあって魔王討伐に迎える――そう安堵していたマーシャだったが、その希望はクラウドの言葉で打ち砕かれた。
「だが、すまない。どうやら俺はお前にちょっかいを掛けるのが楽しいらしい」
「え?」
「だから、俺の態度はこれからも今までと変わらないってことだ」
「……嘘でしょ」
マーシャは呆然として呟いた。
(じゃあ、今までの流れは? 和解は? 全く意味がなかったってこと? 私はこれから一生、クラウドにいじられながら生きなきゃいけないの!?)
絶望した。今後、どのくらい生きられるか分からない。魔王に破れ、明日にでも死ぬかもしれない。母親から「生きて帰ることができる」と保証してもらっていても、万が一ということがあるからだ。だけど、もし……もし、運よく生き永らえたとしても、クラウドの態度は今までと同じとは……。
だが、クラウドの次の言葉で絶望どころではなくなった。
「これが初恋ってやつなんだろうな」
初恋? 初恋って、あの、初めての恋ってことだよね。クラウドが初恋? え。相手は誰? 話の流れからすると……もしかして、初恋の相手って、私のこと?
「ええええぇぇぇえぇっ!?」
理解した途端に口から出たのは、悲鳴に似た叫びだった。
マーシャは慌ててクラウドの背から飛び降りた。少々ふらつくが、そんなことに構ってなどいられない。
「お前はすぐそうやって叫ぶ」
クラウドは呆れ顔をしている。
(誰のせいで!)
元凶のくせに、飄々とした態度で歩みを進めるクラウドに、マーシャは一歩遅れてついていく。突然の告白に驚きつつも、こんな危険な場所に一人で残されてはかなわない。
魔王城に近付くにつれて紫色をした霧が濃くなっている。瘴気というものだろうか。防御壁の魔法をかけられているから平気なものの、防御壁無しに当たれば何が起こるか分からない。
おまけに足場は一歩踏み外せば命が危うい崖に挟まれた道。いくつもの道があり、行き止まりになっている道もある。仲間を見失えばすぐに迷い、そのまま歩き続ければ体力が尽きてしまう。いや、怪物になぶり殺しにされるのが先かもしれない。
そんな危険な場所だというのに、クラウドは何でもない風に話を続けながら歩いている。
彼について行くことで感じるのは、敗北感よりも勝る、圧倒的な安心感だ。
「まさかあの天真爛漫な女の子が、成長するとこんな抜けたヤツになるとは、この俺も予想しなかったけどな」
「ぐっ」
悔しいが、反論できない。
性格に難ありなクラウドだが、それ以外はすべて完璧なことは知っている。それに比べて自分は、ドジだし感情の起伏が激しいし、せっかく魔力が高いことが判明しても制御できていない。今でもなお、落ちこぼれのままだ。
せっかく生まれて初めての告白だったのに、ちっとも甘い雰囲気に浸れない。
(まあ、告白っていっても『昔好きだった』って言われただけだもんね)
あれから何年も経っている。おまけにラヴィエール魔法学園で再会して以降は、好かれるどころか犬猿の仲だと言っても過言ではない。
きっとクラウドの淡い初恋は木っ端みじんに砕け散ったのだろう。
「せっかくの初恋を、抜けた私がぶち壊してごめんね」
こんなチクリとした嫌味を言うのが精一杯である。
初恋がまだの自分には分からないことだが、人は初恋を美化しがちだと聞いたことがある。幼い頃にたった一度だけであった少女(自分)はさぞかしクラウドの中で美化されていることだろう。
そんな自分がまぬけな顔でラヴィエール魔法学園の入学式に現れた。クラウドが絶望したのは、想像に難くない。
するとクラウドは「いや」と否定して立ち止まり、振り返った。
青碧色の瞳といきなり目が合い、マーシャはドキリとした。
「あいにくだが、初恋は継続中だ」
「はっ!?」
その言葉を理解するまえに、追撃がくる。
「俺はお前が好きだ。マーシャ・ハートレッジ」
「嘘でしょ……」
マーシャは再びこの言葉を口にした。
クラウドの顔は真剣だ。冗談には聞こえない。
(そんな。まさか……本気なの? 本気で私のことを、まだ、好きなの?)
今までのクラウドの態度が走馬灯のように蘇る。そのどれもが、好きな人に対するものではないと判断できる。
(よく子供が好きな人をわざといじめると聞くけど……)
クラウドは立派な大人だ。一体いつまで思春期をこじらせているのだろう。
「突然キスしてきたのも、もしかして……?」
「ああ、そうだ。いくら俺でも、好きでもない女に口づけはしない。ショック療法で魔力を解放できるかもしれないとは思っていたが」
「く、口づけって! そ、そんなこと急に言われても困る!」
露骨な言い方にマーシャは赤面する。
自分の魔力を解放させるためだけにキスするなんておかしいとは思っていたが、そんな気持ちが隠されていたとは。
(だからって、勝手に、しかもいきなりキスするなんてひどくない!?)
好きだからといって何をしてもいいというわけではない。いくら美形だからといっても許されないことがある。
おまけに今この状況で愛の告白だなんて、正気の沙汰ではない。
なのにクラウドはマーシャが赤面したことで恥ずかしがっていると思っているらしい。
「遠慮するな。俺ほど優秀な魔法使いに見合うのは、お前くらいだ」
「それって褒めてるの? それとも自慢っ?」
マーシャを褒めているようで、結局自分のことを持ち上げている。
「わ、私はクラウドのことそんな風に見たことないし、これからも無理だから諦めて!」
「それは無理な相談だ。お前が諦めろ」
クラウドは軽やかに笑った。今まで見たことのない、爽やかな――爽やかすぎるほど良い笑顔だった。
「いやいや、諦めきれないんですけどぉっ!?」
クラウドと出会ってから、何度も遭わされてきた災難。
その中でも最大の災難がマーシャの上に降ってきたのだった。




