2
一週間後、マーシャは薬研を使って採取した薬草の加工をしていた。よく洗い、天日干しにして完全に乾燥させた薬草は、面白い程ぽろぽろと崩れていく。
ごりごり。ごーりごり。
石で出来た器の上で、取っ手の付いた丸い石で薬草の薬効の高い部分だけを更に細かく砕いていく。生薬として用いるのだ。怪我や打ち身などに塗付する用の薬草は、摘んですぐに乳鉢とすり鉢ですり潰して加工済みである。
魔法だけでは食べていけないので、マーシャはこういう商品の製造と販売もしている。これが結構評判が良い。町の人々から“魔法屋”ではなく“薬屋”と呼ばれているのは悲しい現実だが、それで何とか生計を立てているのも事実。つくづく勉強だけはしておくもんだとマーシャは思った。
ぐつぐつぐつ。ぐつぐつぐつっ。
台所のかまどでは、薬草を煎じるために大鍋が湯気を上げながら煮立っている。たくさん採れたのでお湯の量も大量だ。ある程度沸騰した時点で、マーシャは効果が薄れないように鍋の位置を高くして火力を調節した。
すると入口の扉が開いた。扉に掛けられた鈴の音が来客を知らせる。
「いらっしゃいませー」
マーシャは慌てて作業用のエプロンを脱いで大鍋をかまどから下ろし、空気を入れ替えるために窓を大きく開け放った。
入って来たのは一人の少女だ。マーシャよりもいくつか年下のようで、緊張しているのか、肩を竦めながらの来店である。彼女の警戒心を解くために、マーシャは笑顔で話しかけた。
「“魔法屋マーシャ”へようこそ! 何か御入り用でしょうか?」
「え……と、あの。……石を見せてほしくて……」
「天然石ですね。こちらへどうぞ~」
全く見覚えがないので聞いてみると、どうやら隣町からわざわざこの店を尋ねてきたらしい。天然石は王都で流行っていたのをマーシャがいち早く取り入れたため、この辺の町ではどこにも売ってはいない。
この店に置いている天然石は、満月の光に当てて浄化している。高級品とは違って不純物が多々含まれているため、一つ一つの石の価値はあまりない。だが、常に身に着けていることで運気がアップすると言われ、若い女性に人気があるのだ。
棚に置かれた木皿に種類別に入った天然石を、少女が熱心に眺めている。木皿にはそれぞれの生産地や効能などを細かく書いているメモがあるのだ。その様子を見て、マーシャはピンときた。
「恋愛運アップをお望みでしたら、こちらがおすすめですよ」
すると少女の頬がさっと赤く染まる。どうやら図星だったみたいだ。
(素直でかわいいなあ)
恋する乙女を微笑ましく思いながら、マーシャは恋愛運がアップする石を指し示した。
「そちらの赤い物はカーンという名前で、自分に勇気を与えてくれる石です。こちらの白い方はローツと言って、自分の魅力を引き出してくれる石です」
天然石なので、同じ種類とはいえ、よく見ると微妙に色が違う。少女はどれにするか悩みに悩み、濃い乳白色の物を選び取った。石は相性の良い持ち主を選ぶと言うから、きっとこの石が少女に幸運をもたらしてくれることだろう。
「ネックレスにしますか? それともブレスレットに?」
「あ……じゃあ、ネックレスで」
「分かりました、少々お待ちくださいね」
少女はネックレスを選んだ。ブレスレットなら何かの拍子に人の目に触れることもあるが、ネックレスなら服の内側に入れておけば見られることもない。仕入れ値スレスレの代金を受け取ったマーシャは、皮ひもで天然石をぐるぐると縛りながら、作業を興味深そうに見ている少女に話しかけた。
「きっとお相手は素敵な方なんでしょうね~」
「は、はい。名前は分からないんですけど……命の恩人なんです」
「え? 名前が分からない?」
マーシャは首を傾げた。恋する相手の名前が分からないとはどういうことだろう? 一目ぼれということだろうか? それにしても命の恩人とは、たいそう大げさな言い様である。
「先日、森の中を歩いていたら怪物に襲われたんです。日が暮れそうだったし、街道を通るよりも近道だったんで、つい……。その時、助けてくれたのがその人だったんです」
助けてくれた男性は魔法を使って怪物を一撃で倒し、名前も名乗らずに去っていったそうだ。怪物は熊ほどの大きさだったというから、一撃で倒すのは結構な使い手である。おそらく怪物狩りか護衛を生業にしている人なのだろう。怪物を倒してその報酬を受け取るのが怪物狩り、一般人を危険から守るために同行するのが護衛と呼ばれている。
この国では各町に結界がはられており、怪物が街の中にまで入ってこられないようになっている。だが、一度町の外へ出てしまえば話は別で、狂暴化した動物や異形の生き物が人々を襲う事件が多発している。一般人が夕方以降に町の外を出歩くことは自殺行為と言ってもいい。
「そうなんですか……無事で本当に良かったですね。じゃあ、おまけしときますね。あなたがその人にまた出会えますように」
マーシャは完成したネックレスに運が上がる魔法をかけた。割れたお皿を修復した時よりも小さなピンクの光が天然石を包み込む。
「ありがとうございます!」
少女は嬉しそうに受け取ったネックレスを胸に抱いた。何度もお礼を言いながら頭を下げる少女を見送るために店の外まで出ると、少女は「あっ」と声を上げて口を押えた。
「どうかしましたか? 何か忘れ物でも?」
「あ、あの人です! 私を助けてくれた……!」
少女が指差した先には、若くて背の高い男が歩いていた。その男は明るい金色の前髪を右に軽く流し、襟足が僅かに長くなっている。そしてその辺の男性と変わらぬ軽装の上から白いマントを羽織っていた。
(ん? あのマント、どこかで見たような……?)
すると男が進行方向をこちらに変えた。その通った鼻筋と二重で青碧色をした瞳を見て、マーシャは叫んだ。
「ああっ!!」
その大声に相手が反応する。叫んだのが誰だか分かったのか、男は長い足でこちらに向かってくる。慌てたのはマーシャだけではなく、隣にいた少女も同様だ。
「お、お知り合いなんですか?」
「うん、まあ、一応……。あ、すみません。紹介しましょうか?」
「いえっ、結構ですっ! じゃあ、私はこれでっ!」
「ええっ、ちょっと待って……!」
少女は逃げるように走り去っていった。会えた喜びよりも恥ずかしさの方が勝ったようだ。味方(?)をなくしたマーシャは、自身も逃げたい気持ちを堪えてその場に留まった。自分の店の前なので逃げる場所なんてない。
「久しぶりだな、マーシャ・ハートレッジ。学園の卒業式以来か」
その男の顔には別段驚きも笑顔もなく、淡々としている。
「『久しぶり』じゃないでしょ、クラウド・ウィザーズリー! どうしてここに!?」
クラウドはマーシャと同じラヴィエール魔法学園を卒業した同級生だ。しかも、クラスメイトでもあった。落ちこぼれの烙印を押されていたマーシャとは違い、クラウドは学園始まって以来の天才ともてはやされていた。色々な出来事と時間を経て――マーシャにとって、クラウドは天敵となった。
(二度と会いたくないヤツに会っちゃった! てっきり王都にいると思ってたのに。観光にでも来たのかな。さっさと帰ってくれないかな)
クラウドはマーシャの渋い顔には気付かないまま店の看板を見上げた。どうやらここがマーシャの店であると理解したらしく、一つ頷いてから視線をマーシャに戻す。
「今日からこの町で世話になる。まあ、滅多に会うこともないだろうが、一応よろしく頼む」
クラウドは興味をなくしたみたいにくるりと振り返ると去っていった。後には残されたマーシャが一人、呆然とした顔のまま佇むばかり。
(え……もしかして、この町に来る魔法使いって、アイツのこと……!?)
「ええ――――っ!?」
ようやく状況を理解したマーシャの悲鳴にも似た叫び声は、青い空へと吸い込まれていった。