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 目が覚めると、マーシャはまだクラウドに背負われていた。うっかり寝てしまったようだ。無理もない、一行は結局碌に休むことなく魔界に突入してしまったのだから。むしろマーシャ以外のメンバーの体力がすごすぎるのだ。

 疲労と緊張で強張っていた身体は、クラウドの体温と歩く揺れですぐに休息モードに入ってしまったようだった。


 クラウドはマーシャが目を覚ましたことに気付いたが、そのまま歩き続けている。道は決して平坦ではない。まるで崖の上のような、もろくていつ奈落の底がぱっくりと口を開くが分からないような、奇妙な道だ。


 三人は辺りと足元を警戒しながら進む。次の瞬間には何があるかも分からないのに、マーシャは不思議と安堵していた。この三人となら何が起きても大丈夫なのではないかと思えてくるのだ。


 だからマーシャは安心して考えることができた。


「……どうしてだろう」


 小さくこぼれ出た言葉を、クラウドが拾う。


「何がだ?」

「最初に“力”を使った時は魔力が減っていなかったのに、今回は魔力が減っているの」


 あの時は怪物(モンスター)に囲まれ、絶体絶命の局面だった。無我夢中で目を瞑っていたら、次の瞬間には怪物が消えていた。


(あの時はまさか、自分がやったなんてこれっぽっちも考えなかったな)


 思い出すとなぜか笑いがこみあげてきたので、慌てて引っ込める。

 だが、さきほど――クラウドにキスされて魔力を暴発させた時は確かに魔力を消耗していたのだ。

しばらく黙って考え込んでいたクラウドが、ようやく口を開く。


「これは仮説だが、一度目は敵に囲まれてお前は命の危険を感じていた。力を発揮したのは生存本能からと言ってもいい。だが、それ以降は怒りから力を使った。その違いじゃないのか?」

「……そうなの、かな。よく分かんない……」


 自分の魔力が高いことさえ、知ったばかりのマーシャには理解が追い付かなかった。考えたところで答えは得られないが、マーシャは俯き黙り込む。


(そういえば、クラウドは私の魔力が高いことに気付いていたのかな。いや、気付いてなきゃこの魔王討伐の旅に同行させたりしないよね。どうして気付いたんだろう。両親でさえ私の能力に気付いていなかったのに。……いや、もしかして気付いていた?)


 先日思い出した、古い日の記憶。あれはまるで、父親が自分の魔力を封じたように見えた。魔力を使い、友達から迫害されていたマーシャを、守るために。あれが夢でなかったとすれば、両親は知っていて敢えて知らない振りをしていたのだろうか。

 するとしばらくしてからクラウドがまるで独り言のように口を開いた。


「……昔、幼い子供の頃。……俺は、お前に会ったことがある」

「えっ? それ本当!?」


 聞いてしまってから、マーシャは失礼な返事だったと気付いた。これでは相手のことを覚えていないと白状しているようなものだ。

 実は、幼い頃の記憶は、あまり残っていないの。残っている記憶はひどく断片的で、それが現実に起きたことなのか夢の世界の出来事なのか、いまいち確証の得られないものが多かった。


「あの頃、俺は今の養父に引き取られたばかりだった。それまでは下町で魔力を思う存分に駆使して非行の限りを尽くして悦に入っていた俺は、突然の環境の変化にひどく反抗した」


 以前、クラウドは名門貴族に魔力の高さを買われ、引き取られたと聞いている。その時は何でもないことのように語ってはいたが、その境地に到達するまでは紆余曲折があったに違いない。


「魔力を使って拒絶する俺を、養父は牢へ閉じ込めた。その牢には魔法が効かない特別製で、足元にある鉄格子のはまった小さな穴みたいな窓だけが外界との接点だった」

「……」


 マーシャは何と言っていいか分からず、黙って話を聞いていた。大変だね、と同情することも、ひどい話だと憤慨することも、クラウドが求めていないことが分かっていたからだ。


「食事を絶たれてどのくらいが経ったか、窓の外から小さな足音が聞こえた」


 語りながら歩き続けるクラウド。テレジアとガイは先を進み、時折現れる怪物を退治していた。


「不審に思い、うつ伏せになって窓から外を見ると、そこには榛色の大きな瞳があった。同い年くらいの、小さな女の子だ。その女の子は、なぜか傷だらけだった。」


(……もしかして、その女の子が、私なの?)


 何も思い出せない。本当にその子供が自分なのだろうか。他人の空似なのではないか。

だが、クラウドは話し続けた。


「少女は言った。『どうしてそんなところにいるの? 何してるの?』、『もしかして出られないの? じゃあマーチャが出してあげる!』そう言って」


 マーチャと聞いて、自分に間違いないと理解した。マーシャとはっきり発音ができないので、自分のことをマーチャと呼んでいたことは覚えていたからだ。また、マーシャというのはとても珍しい名前なので、同じ名前の別人ということもないだろう。


「俺は無理だと心の中で嘲笑った。自分でさえ出ることができない、特別製の牢なんだ、こんな子供に開けられっこないって。……ところが次の瞬間、その子供と俺の間にあった分厚い壁は、ガラガラと音を立てて崩れていた。俺は目を疑った。本当に目の前の子供がやったのか? と」

「……」


(私が? クラウドでさえ出られなかった特別製の牢を? まさか……)


 だが、身体のどこかがざわりとした。何かを思い出しそうな、でも思い出せない、もどかしさ。


「その少女の顔をみると、得意満面の顔をしていた。それで俺は確信したんだ。この子が本当にこの牢を開けたんだと。そして、その子は言った」

「……」


『『ほら、これでもう出られるでしょ! こっちにおいで、マーチャと一緒に遊ぼうよ!』』


 クラウドの言葉に、マーシャの言葉が重なる。自然と口からこぼれ出ていたのだ。


「思い……出した……」


 鉄格子のはまった建物の中にいた男の子のこと。その金色の髪を持つ男の子はひどく汚れ、傷ついており、自分と一緒だと思ったのだ。魔力の高さゆえに他の子供たちから倦厭されていた自分と。


「私たち、会っていたのね。子供の頃に」


 衰弱していてもなお、強い意志のこもった青碧色の瞳が鮮やかに蘇る。


「すぐにその子の両親が迎えに来て、この子供とはそれきり会うことはなかった。――ラヴィエール魔法学園の入学式で再会するまでは」

「あ……」


 出会いのシーンは今でも覚えている。マーシャが挨拶をした途端に、クラウドが冷たい態度を取ったこと。その態度は在学中も、そして卒業してからも続いていたことを。


「俺はすぐにお前があの時の子供だと分かった。だが、お前は“初めまして”と言った。」

「う……ごめん。私、多分だけど、両親に魔力を封じられたみたいなの。そのせいか、子供の頃の記憶もひどく曖昧になってるみたいで……」


 クラウドは小さく頷いた。


「その魔力の高さでは、生き辛かったせいだろうな。だけど当時の俺はそんな事情を知りもしなかったから、本気で魔法を使わず劣等生を通しているお前が腹立たしかったんだ」


(そうか、クラウドは私が能力を隠し、劣等生の振りをしていると思っていたのか……)


 だとしたらあの冷たい態度も理解できる。


「本当にごめんね、クラウド。今さら遅いけど」

「俺も大人げない態度で悪かったと思っている」


 心からの謝罪を述べると、クラウドも謝罪してくれた。


「珍しい、クラウドが謝るなんて!」

「うるさい、騒ぐなら落とすぞ」


 クラウドが上体を大きく傾けた。そこにはぽっかりと大きな穴が開いており、底が見えない。落ちれば一巻の終わりだ。


「待ってごめんなさいすみませんでしたぁぁっ!」


 必死に謝るマーシャだったが、ここがどういう場所でどういう状況なのかも忘れ、次第に笑みがこぼれる。


「次に騒いだら本当に落とすからな」

「は、はいっ」


 必死で声を抑えると、クラウドは再びマーシャを背負ったまま歩き始める。

 その耳が少し赤くなっていることに、マーシャは気付かない振りをした。


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