25
三人は、何かに導かれるように花の中を歩き続ける。
すると、木々に隠れるようにしてぽっかりと開いた穴が姿を現した。
「こんなところに洞窟があったなんて……」
人としての第六感か、それとも動物としての本能だろうか。何かがマーシャに「危険」を知らせていた。
「テレジア! ガイ! クラウド! ねえ、止まってってば!」
一番力の弱そうなテレジアを押しとどめようとするが、力じゃ全く敵わない。
マーシャはしがみついたまま、洞窟へ連れ込まれた。
洞窟の中には、村の畑とは比べ物にならないくらいのレンネが咲き乱れていた。暗闇だというのに、レンネの放つ光のせいで、その姿形がはっきりと見える。
(レンネが光るだなんて、図鑑には載っていなかったのに……)
であるとすれば、この花はレンネではないのだろうか?
クラウドが「どこか違う」と言っていたのをマーシャは思い出した。見た目がそっくりでも無毒なものと有毒なものがある葉やきのこのように、この花もレンネに似せた全く別のものなのではないだろうか。
(もし、この花に何かの特殊な……例えば、幻覚のような効果があるとして。三人は、その幻覚にかかってしまった?)
むせかえるほどの花の濃密な香りが押し寄せてくる。
三人はその花畑の中に迷わず進むと、跪いて花を抱き抱えるようにして花の香を吸い込んでいる。
(間違いない、三人の様子がおかしいのは、この花のせいだ……!)
マーシャはポケットから取り出した布で鼻と口を覆った。すでに手遅れかもしれないが、症状が軽くなるかもしれないからだ。
とにかく、ここにいては危険だ。
マーシャは三人にかわるがわる語りかけた。
「ねえ、お願いだから正気に戻ってよ!」
ぼんやりとした目は、マーシャを映しているにも関わらず無反応だった。
するとテレジアとガイがブツブツと何事かを呟き始める。
「誰がブスでデブですって!今に見てなさいよ。誰よりも美しく強くなってやるんだから」
「俺、ようやく魔王を倒したんだ。勇者の生まれ変わりの面目躍如だろ? だから、二度と誰にも『名ばかりの勇者』だなんて呼ばせないからな」
どうやら二人は幻覚の中にいるらしい。
(クラウドは?)
見ると、クラウドがマーシャの顔を捕えた。彼は他の二人ほど症状が重くないようだ。
ぼうっとしたまま目の前の花々を眺めている。
「クラウド! お願いだから目を覚まして!」
マーシャの必死の懇願が届いたのか、クラウドはマーシャに視線を向けた。だが、その目には誰も映していない。
クラウドは泣きそうになっているマーシャの頬に右手を添えた。
「ずっと待っていた。探してたんだ。……お前を」
どうやらクラウドは、マーシャを誰かと見間違えているらしい。
(お前って、誰?)
胸がチクリと痛み、そのことに狼狽えたマーシャは、心を落ち着かせるために
「ぎゃっ!」
マーシャは今までの人生で一番大きな悲鳴を上げた。
骸骨だ。レンネの花に隠れるように、たくさんの骸骨が横たわっていたのだ。見たところ、そこまで古いものではない。
(もしかして、この村の人たちは出て行ったんじゃなくて、全員ここで……?)
何故自分だけが平気なのかは分からない。
だけど、この三人を放っておいたら、彼らもたくさんの骸骨の仲間入りになってしまうことだけは分かった。
今さら効果はないだろうが、荷物の中から布を取り出し、鼻と口を覆う。
(どうすればいい? どうすれば、皆がこの花の香りを嗅がずに済む!?)
香りを排除したところで、三人が正気に戻るかどうかは分からない。
だけど、マーシャが何もしなければ、彼らはこのまま骸骨になるのを待つのみだ。
「お願い! 誰か、この花をどこかへやっちゃって!!」
マーシャは目を閉じ、強く念じた。
自分に強力な魔力が眠っていたのなら、こんな時にこそ発動させなくてどうするのだ。燃やすか、消すか、何でもいい。とにかくこの花を彼らから引き離さなければならない。
頭の先から、足の爪先から、魔力を集める。
(何これ、身体がすごく熱い……!)
今まで感じたことのないくらいの熱量が胸元に集まってくるのを感じる。いや、この熱は初めてではない。今までにも二回、魔力が暴走した時にも感じたものだ。あの時は一瞬だったが、今回は違う。
(もしかして私、自分の魔力をコントロール出来てるの!?)
そう自信を持ちかけた次の瞬間、その期待は見事に裏切られた。
魔力を放出した訳でもないのに、手から勝手にピンクがかった光が放たれる。
その光はまっすぐに飛ぶかと思いきや、放物線を描くように方向を捻じ曲げ、洞窟の天井にぶつかっていった。
ドカーンとも、チュドーンとも聞こえる轟音の後。
「そ、空だ……」
天井には見事な穴が開き、星の瞬く夜空が現れた。
――が、花には一切の変化が無い。
(ちょっと! 洞窟の天井に穴が開けられるのなら、花くらいどうにかしなさいよ!)
悪いのは自分自身なのだが、マーシャは手近にあった花を引きちぎってやつあたりをした。幻覚の花だということを思い出してすぐに放り出したが、幸い何も起こらなかった。
「……う……」
「クラウド!?」
すると、クラウドが身じろぎをした。
急いで駆け寄ると、頭を押さえたクラウドの目が、確かにマーシャを捕える。
「クラウド、大丈夫?」
「何が……あった?」
辛そうにしながらも事情を尋ねるクラウドに、マーシャは今までの経緯を説明した。
おそらく花が原因で三人が幻覚に魅せられ、ここまで来たこと。村の人たちがここで白骨化していることを。
クラウドはそれを聞き終えると、直ちに手を横に薙ぎ払う仕草をした。
するとレンネの花々がみるみる枯れていき、最後は消え去ってしまった。
「すごい……!」
マーシャは素直に、心からの感嘆の吐息を漏らした。
自分で強力な魔法を使えるようになった今だから分かる。これほどの魔力を扱い、コントロールすることが、どれほど難しいかを。
そんなマーシャに向かって、クラウドは「お前もな」と言った。
訳が分からずに首を傾げるマーシャに、クラウドが説明する。
「おそらく、俺が幻覚から醒めたのも、天井の穴からこの花の匂いが流れ出て薄まったからだろう」
それを聞いて、マーシャは「そうか、換気!」と声を上げた。
確かに、三人の幻覚は洞窟内に入るとますます深くなったように見えた。
夜露で花の香りが停滞して幻覚症状に陥り、洞窟内の濃密な花の香りで身体の自由さえ奪われていったのだろう。
一度洞窟に入ったが最後、死ぬまで……いや、死んでもここから出られないのだ。
(まるで蟻地獄みたいだ……)
ぞくりと鳥肌が立つ。
自分が魔力を制御できずに天井に穴を開けてしまったことが逆にこの状況を打破出来たとは驚きだ。
「うーん……」
「何だ何だ? まだ朝じゃないのか。……あれ? どうして俺たち、こんなところにいるんだ?」
花が消えたおかげか、テレジアとガイも幻覚から目が醒めたようだ。
「二人とも、こいつに感謝するといい。こいつがいなければ、俺たちは幻覚に惑わされて死んでいたかもしれない。その骸骨たちみたいに」
「骸骨? って、うわっ! 何だこれ!?」
「キャッ! こんなにいっぱい! もしかしてこれ全部、この村の人たちのなれの果てなの!?」
骸骨の存在に気付き、悲鳴を上げるテレジアとクラウド。
完全に元気を取り戻した様子を見て、マーシャは胸を撫で下ろした。
(そういえば、クラウドに褒められたのって、初めてかも)
何故だか、とっても嬉しくなるマーシャだった。




