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「痛ぁい……」
「まあ、殴り慣れてないとそうなるわよね」
腫れた拳をテレジアに治癒してもらう。
「そういうテレジアは殴り慣れてるのか?」
頬に何のダメージも受けていないガイがテレジアをからかった。するとテレジアは拳に熱い息を吐き掛けた。
「試してみる?」
「め、滅相もゴザイマセーン」
すごすごと退散するガイ。
マーシャもその拳を受ける場面を想像してしまい、首を縮めた。
さてと、と言って立ち上がったテレジアが、前方を見つめる。そこにはマーシャが魔力を暴走させて抉ってしまった無残な跡がある。
「この道を行けば近道だったんだけど、迂回するしかないようね」
「うう、ごめんなさい……」
肩を落とすマーシャを、ガイが慰めてくれる。
「まーまー。旅には突発的事故が付きものだって。なあ、クラウド?」
「……」
クラウドは何も言わずに歩き出したので、マーシャはその背中を見つめながら更に肩を落とす。
(迷惑なやつだって思ってるんだろうなあ……)
大人しくなったマーシャを引きつれ、一行は来た道を引き返して、別の道を辿る。それは獣道に近い、荒れた道だった。
進んで行くと晴れていたはずなのに次第に霧が出てくる。
「だんだんと濃くなってきたな」
「今日は早めに寝床の確保をしておいた方がいいかもしれねーな」
クラウドとガイが手早く話をまとめ、早めに休む場所を探すことにする。
「あれは……」
最初にそれを見つけたのは、クラウドだった。
目を凝らすと、霧の合間にその正体が露わになった。
そこには、村があった。正確に言えば、村だったもの、だ。いくつか見える小さな家々はどれも荒れており、人のいる気配はない。
「おかしいな、地図にも載ってないぜ」
「迂回したおかげで、発見できたのね」
ガイとテレジアは怪訝そうな顔をするものの、目の前に実物があるのだから悩んでも仕方がない。
村にある家は十数軒ほど。とりあえず偵察してみようと、一行は辺りを警戒しながら村に足を踏み入れた。
伸びに伸びた雑草を踏みながら、一軒一軒中を検める。
「やっぱり、誰も住んでないみたいだな」
人がいなくなったのは最近の話ではないようで、家具には埃がたまっている。
「いち早く危険を察知して、移住していったのかしら?」
「早すぎないか? まあ、確かに北の空に異変が起きたのは結構前かららしいから、この辺のやつらはいち早く気付いたかもしれないけどさ」
(移住……?)
マーシャはその言葉に首を傾げた。
移住というには、どこか違和感がある。でも、どこがおかしいのかは分からない。
最後の家――最奥にある大きな家なので、おそらく村長の家だろう――を確認し終えると、その家の横に細い小道がある。
小道を抜けると、そこには大きな畑が広がっていた。畑の半面には農作物の残骸が残っており、残り半面には赤い花が咲いている。霧の中でもくっきりと浮きあがって見えるほど、鮮やかな赤だ。
「何ていう花かしら?」
「多分、この花は……」
「知ってるのか?」
「うん、レンネっていう花だと思う。畑の土を肥やすための花なんだよ」
希少な花なので実物は見たことがないけれど、図鑑で絵を見た。花の枚数といい、ガクの形といい、間違いないだろう。
毎年畑を使うと土がやせ細り、植物がうまく育たない。だからある期間は畑を休ませ、肥料を加えて土壌を豊かにしなければならない。この花はその役目を果たしてくれる種だと記載されていた。
「物知りだなー、マーシャ」
ガイがパチパチと手を叩く。
だてに勉強ばかりしてきたんじゃない。ようやく自分の得意分野を披露でき、マーシャは鼻が高かった。
「まあね。レンネはね、私の好きな花なの」
「へえ、そうなの」
どうしてだかは分からない。分厚い植物図鑑の隅に記載されていたそのレンネの花の絵は、一目見た瞬間、マーシャの目と心を惹きつけた。懐かしい――初めて見るはずなのに、そんな思いを抱いたのだった。
するとクラウドがマーシャの肩をぐいっと引いた。その目は僅かに見開かれている。
「覚えているのか?」
「え? なんのこと?」
「……いや、何でもない」
何を言われたのか分からずに問い返すと、クラウドはマーシャの肩から手を外してしまう。
そして、気を取り直したかのように「どこか違わないか?」と再度質問を投げかけてきた。
「違う? どういうこと?」
返事がないので、マーシャは一面のレンネに視線を戻す。そう聞くということは、クラウドもこの花の存在を知っているようだ。自分しか知らないと思っていたので、少しだけくやしい。
一行は比較的整っている家を二軒選び、ガイとクラウド、テレジアとマーシャという組み合わせで泊まることにする。
マーシャたちは村長の家に滞在することになった。ベッドが大きくてふかふかだったからだ。女性の方が体力的に劣っているので、より良い寝具で体力を回復させなければならないというテレジアの主張に、異を唱える者はいなかったのである。
部屋を簡単に掃除し、戸棚の中にあった換えのシーツをベッドの上に掛けて寝転んだ。
「戸棚の中に服がたくさんあるわ。趣味は合わないけれど、埃を払えば着られそうよ」
「でも、他人の物だし、勝手に使うのは……」
気が進まない、と続けようとして、マーシャははっとした。
(そうだ、さっきから感じてた違和感の正体!)
それは、物が揃いすぎていることだった。
移住か引っ越しかは不明だが、退去する時には当然、自分の物を運んでいく。服や本や鍋など、生活に必要な物と気に入っている物は転居先へ持っていくはずだ。
なのに、ここには荷物が減った様子がない。先程偵察した家も同様だ。まるで、突然人だけが消えてしまったかのように。
「じゃあ、何? 誰かが魔法で消してしまったとでも言うの? この村の人、全員?」
「それは……」
違和感の正体を伝えると、テレジアが鼻で笑った。
「大方、いらない物ばかりだったんでしょ。さ、早く休みましょう。明日は霧で足止めされた分、進まないと」
足止めされたのはマーシャの魔法の暴発のせいでもあったので、それ以上何も言えなくなったマーシャは、すごすごと引き下がった。
自分の思い過ごしだったのだろうか。そう考えながら天井をぼんやり眺めていると、次第に睡魔が襲ってきて、マーシャは眠りに落ちた。
――夜も更けた頃、隣のベッドでテレジアが起き上がった。その気配を感じて目を覚ましたマーシャは、まだぼんやりした頭のまま尋ねる。
「テレジア? どしたの?」
「行かなくっちゃ」
「行く? どこに?」
テレジアは答えず、ベッドから下りるとふらふらと歩き出した。そこでようやくテレジアの様子がおかしいと気付いたマーシャは、ベッドから抜け出してテレジアの手を引いた。
「ねえ、テレジア。どこに行くか知らないけど、明日じゃダメなの?」
「……」
テレジアはマーシャの問いを無視し、手を払って部屋の扉を開け、そのまま入口の扉を開いて外へ出ていく。
その目は虚ろで、まるでマーシャの姿が目に入っていないかのようだった。
後を追ってマーシャも外へ出ると、向かいの家の前にガイとクラウドがいた。
「二人ともいいところに! 何だかテレジアの様子がおかしいの」
言ってから、気付いた。彼らはどうしてこんな真夜中に外へ出ているのだろうかと。
マーシャはそこでようやく二人の顔をじっくりと見た。二人とも、心ここにあらずといった風で、目に力がない。その目はテレジアのものと全く一緒だった。
三人は、まるで何かに操られるように、畑へと続く小道の奥へと進んでいく。
「皆どうしちゃったの? どこへ行くの?」
誰も呼びかけに応えない。
「待って、ガイ!」
ガイの腕を引っ張る。だがガイの歩みは止まらず、マーシャは前のめりに倒れてしまう。
そこは昼間見た荒れ果てた畑のはずだった。だが、昼間とは違う物が目に飛び込んできた。
「花が……光ってる……!?」
レンネの鮮やかな赤い花が、暗闇の中、怪しく光り輝いていた。




