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『ぐすん、ぐすん』


 どこからか、声が聞こえてくる。


(誰か、泣いてる……?)


 わずかに視線を上げてみれば、目の前には濡れた膝小僧がある。

 そこに、一つ、また一つ、と水滴が落ちる。水滴は膝のくぼみに湖を作り、そして溢れて流れ落ちていく。

 どうやら泣いているのは自分自身らしい。

 膝小僧に置かれた拳は、今よりももっとずっと小さい。


(私、子供に戻ってる……?)


 すると見覚えのある姿が目に入った。母親(セイラ)だ。


『あらあら。どうしたの、マーちゃん?』


 マーちゃんというのは子供の頃にセイラが呼んでいた、マーシャの愛称だ。

 今よりも更に若々しいセイラを見て、マーシャは自分が子供の頃の夢を見ているのだとようやく気付く。


『おかあさあぁん……』


 夢の中のマーシャは立ち上がり、セイラに向かって両手を伸ばす。セイラはマーシャをしっかりと抱きしめ、背中をポンポンと叩いた。夢だというのに、セイラの温かな体温と石鹸の香りまではっきりと分かる。


『何で泣いているの?』

『だって、みんながマーチャのこと、おかしいっていうの……』

『おかしい?』

『マーチャはね、みんなをよろこばそうとおもって、まほう(・・・)をつかったの。そしたらみんながヘン(・・)だって。きもちわるいって』


 幼いマーシャは、自分の名前がまだうまく発音出来ない。

 母親に説明する途中で、また瞼が熱くなり、視界が潤み始めた。

 すると、セイラは幼いマーシャを更に強く抱きしめた。


『大丈夫よ。マーちゃんはどこも変じゃないわ。他の皆よりも少しだけ魔法が上手に使えるだけなのよ』

『やだ、やだ。マーチャもみんなとおんなじがいい!』


 マーシャはセイラの腕の中でもがいた。

 どうして自分だけ違うんだ。どうして自分だけのけ者にされるんだ。そういう悲しい気持ちが、胸に流れ込んでくる。どうやら子供の頃の自分と意識が同調してしまったようだった。

 すると玄関の扉を開け、父親のアルクが仕事から帰ってきた。


『どうしたんだ、外までマーシャの泣き声が聞こえてきたぞ』

『あなた……』


 セイラが泣きじゃくるマーシャをなだめながらアルクに説明をする。

 するとアルクは眉を寄せた。


『やはりそうなってしまったか……。これはもう、力を封印するしかないな』

『でも、そんなことをしたら』

『仕方がないだろう。今はまだいいが、大きくなったら危険を伴うかもしれない。魔法を強制されたり、誘拐されたり、いや、それ以上に最悪なことが起こらないとも限らない。お前はマーシャがそういった争いの巻き添えをくってもいいのか?』

『……』


 アルクの言葉に、セイラが黙り込む。

 沈黙を了承と見なし、アルクはセイラの胸に顔を強く押し付けているマーシャを呼んだ。


『マーシャ』

『……なに? おとうさん』


 鼻をズビズビとさせながら、マーシャはセイラから顔を離し、アルクを見上げる。


『お父さんが今から、マーシャが他の皆と同じになれるようにしてあげよう』

『ほんと? ずっと、ずーっと、おなじなの?』

『ああ、本当だ。でも、ずっとは無理だ』


 期待したマーシャは子供ながらに失望した。

 もう、仲間外れはたくさんだった。自分のどこが変なのか、マーシャにはさっぱり分からない。分からないことで周囲の者に色々と言われ、子供ながらに深く傷ついていた。

 お父さんとお母さんなら、どうにかしてくれる――そんな子供なら当たり前に持っている全幅の信頼を裏切られた気がしたのだ。だけど、しばらくの間は皆と同じでいられるかもしれない。


 アルクはマーシャに向かって両手を広げた。“おいで”の合図だ。マーシャは浮かない顔のまま、セイラの腕からアルクの前へ移動する。アルクはマーシャの両肩を掴み、目を合わせた。


『マーシャ。今からお前に封印の魔法をかけるよ。でも、この魔法の効力は、お前が大人になって、×××までだ。×××が現れる、その日まで』


 アルクの言葉は難しくて、幼いマーシャには理解出来なかった。

 首を傾げたマーシャを、アルクが肩車する。

 泣いていたことも忘れてきゃっきゃとはしゃぐマーシャを、セイラが優しい眼差しで見守っていた――。


「あ。起きた」


 目覚めると、ガイとテレジアの顔があった。


「大丈夫か? またプッツンきてたんだぜ」

「私、どのくらい眠ってた?」

「そんなには経ってないわよ」


 その言葉の通り、空の太陽の位置はあまり変化していない。


(今のは、何?)


 過去の記憶には無い。だが、ただの夢にしてはあまりにもリアルすぎた。


「やっぱり前回のヤツもマーシャがやったんだな」

「そうね、これではっきりしたわね」


 今回ばかりはマーシャも自分が魔力を放出した手ごたえのようなものを覚えていた。更に、さきほど見た夢がそれを裏付けてくれる。


(今まで落ちこぼれだと思っていたけど、まさか、お父さんが私の魔力を封印していたの……?)


 だったら、どうして本当のことを言ってくれなかったのだろう。学園での成績不振を嘆いていた時、両親はマーシャを励ましてはくれたが、封印のことなど一言も出さなかった。

 そのことを聞いてさえいればこんな劣等感に苛まれずに済んだのに、と心の中で両親を(なじ)る。


(あれ? 何か忘れているような……?)


「見ろよ、この有様を。昨日よりすげーぞ」

「え?」


 マーシャが起き上がって見ると、登っていた山の斜面がまるでかまいたちに遭ったように大きく深く(えぐ)れていた。


(これ、まさか私が!? いやでも他に居ないよね!?)


「ご、ごめんなさいっっ!!」

「んーん。おかげで怪物の気配も無くなったのよ」

「石の(つぶて)攻撃には辟易したけどよ、結果オーライってやつだな」


 頭を下げたマーシャに、二人は明るくそう言った。二人の服は少々土で汚れている。

 もう一度謝ろうとすると、テレジアがそれを手で制し、後ろを向いた。そこには全く汚れていないクラウドの姿がある。


「ねえ、クラウド。クラウドは知ってたのよね? だから彼女を連れてきたんでしょう?」

「…………まあな」


 長い沈黙の後で、クラウドは肯定する。


(えっ? 何で、私ですら知らなかったことをクラウドが知ってるの?)


「それにしても人が悪いわ、マーシャ。そんな魔力が高いのなら、もっと早く教えてくれても良かったのに」


 学園では敢えて能力を隠していたのね、とテレジアは言う。


(そんな馬鹿なっ! こんなに魔力があるなら、とっくに自慢しまくってるし!)


 

 事情を知ってそうなクラウドを見たが、口を真一文字に結んだまま何も言わない。その唇には血の固まった痕がある。


(怪我してる? どうしたんだろ……)


 マーシャは、またもや何か忘れているような感覚に襲われる。とっても衝撃的で、とっても大事なことのような気がする。


「あら? まだ治癒魔法かけてなかったのね。かけてあげましょうか?」

「いや、いい。このくらいすぐに治る。魔力の無駄だ」


 クラウドはそう言うとファルクを使って辺りを偵察させはじめた。

 そんな彼とマーシャを交互に見て、ガイがニヤニヤと笑う。


「いやーそれにしても、面白いモン見ちゃったなー」

「面白いモン?」


 マーシャは訳が分からずに首を傾げる。


「やめなさいよ、ガイ」

「よー、テレジア。余り者同士、俺たちもしちゃう? しちゃう?」


 チュー! っと唇を突き出すガイを見て、マーシャは一気に血の気が引いた。


(お、お、思い出した……っ!)


 どうして自分が大爆発を起こしたのか。どうして再び気を失っていたのか。


(ききき、キスしちゃったんだ! よりにもよって、クラウドと!!)


 テレジアは付き合ってられない、と言わんばかりに両手を上げて溜め息をつく。


「で、どうだった? 初めてのキッスは? あれ? 初めて、だよな?」

「……! うるさいうるさいうるさーい!」


 デリカシーの欠片も無いガイを、マーシャはグーで思いっきり殴った。


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