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プスッ、プスプス、ピチャッ
マーシャの手から、氷の代わりに水滴が落ちた音がする。
「うーん、やっぱりダメねぇ……」
テレジアがどうしたものかと手の平を頬に当てて首を傾げた。
「だから何度も言ってるじゃない。あれをやったのは私じゃないんだってば……」
無駄に魔力を減らしてしまったマーシャは、肩を落とした。
辺りには甘い匂いが漂っている。
マーシャはうらめしそうにクラウドの方を見遣った。
クラウドは、使い魔であるファルクに命じ、出来立ての甘い食べ物を運ばせているのだ。どうやって購入しているのかは不明だが、ファルクは空を飛ぶだけではなく、空間を跳ぶことも出来るらしい。
良い香りが鼻と胃を刺激するが、もちろん、こちらに分けてくれるはずもない。
(ズルイ……)
持参しているキャンディーしかないマーシャは、複雑な気分のままそれを口に放り込んでガリガリとかじった。
甘いものが得意ではないガイとテレジアは特に何とも思ってなさそうなのも、余計に拍車をかける。
すると、ガイがいいことを思いついたといった風に指を鳴らした。
「分かった! もしかしたら、発生条件があるんじゃねーか?」
「発生条件?」
「例えば、天気とか時刻とか、気合とか、そーゆーの」
ガイの言葉に、テレジアが考え込み、そして「あっ」と声を上げた。
「そういえば直前に何か叫んでいたわよね」
「マーシャ、叫びながらやってみろよ」
「嫌」
何にもないのに叫ぶなんて恥ずかしすぎる。
結局何の成果も出ないまま、一行は出発することになった。
えらく風通しの良くなった森を抜けると、高い山がそびえている。見渡す限り山の峰が続いているので、迂回するのは難しそうだ。
山は雪が積もっている分、平地よりも歩きづらい。背負った荷物も余計に重く感じる。
するとガイはマーシャとテレジアの荷物をいくつか持ってくれた。
クラウドはというと、我関せずといった具合だ。
(まあ、元から期待してなかったけどさ)
荷物を背負い直し、マーシャは再び歩き出した。
するとすぐに敵が現れた。
サイに似た角を持つ怪物が四頭。皆何も言わないが、今回も三人で倒す心づもりなのだろう。
(私だって、いつまでもお荷物じゃないんだから!)
弓と矢を取り出したマーシャは、残りの一頭に向かって構えた。空気抵抗で矢が落ちることを考慮し、矢じりを目標よりもやや高めに設定する。
(どこでもいいから当たって……!)
ぎりぎりまで引き絞ってから放つ。
すると、矢が敵の目に当たった。
「当たったな!」「すごいわ、マーシャ!」と褒め称えられていい気になっていると、すかさずクラウドが「喜ぶな、まぐれだ」と釘を刺す。
だけど当たったという高揚感に心を躍らせているマーシャには響かない。
いち早く一頭目を倒したガイが、すさまじい叫び声を上げて暴れている獣に止めを刺した。
ガイとテレジアが右手を上げている。マーシャは二人の手にそれぞれ良い音を響かせながらハイタッチをする。
もちろん、クラウドは参加するはずもない。
だが、マーシャはクラウドの手を上げると、無理矢理ハイタッチをした。
クラウドは苦虫を噛み潰したような顔をして、手を振り払った。以前なら腹立たしくなる行動だったが、達成感に溢れるマーシャはそんなクラウドを見てくすりと笑った。ガイとテレジアも声を出さないようにして笑っている。
その後も何度か弓を射たが、マーシャの攻撃は敵には当たらず、良くて相手の注意を引くだけだった。
次こそはと意気込んでいたが、日が暮れてきたために見通しの良い場所で野営をすることになった。するとクラウドがマーシャを「おい」という言葉で呼ぶ。
「今から結界を張り直す。手伝え」
「え、でも、結界を張っても、効果は無いんじゃないの?」
「張らないよりはマシなんじゃねえ?」
「そうね、もしかしたらある一定のレベル以下の敵は避けられるかもしれないし」
(なるほど、一理あるかも)
ガイとテレジアが周囲を警戒する中、マーシャはクラウドの手の甲に自分の手の平をかざした。
二人の手元が光を帯び、魔力を練り上げた結界が完成した。
すると近くに居た怪物が突然動きを止め、反対方向へと進路を変更する。
「大丈夫……みたいだな」
「クラウドの結界にマーシャの力添えがあると効果があるということ?」
「分からない。そうかもしれないし、昨夜が特異な状況だったのかもしれない」
とにかく結界が有効と分かり、一行はようやく気を緩めることが出来た。
和気あいあいとした雰囲気を醸し出してはいるが、常に命がけの旅なのだから無理もない。
その日は、食事を終えると皆倒れるように眠りについた。
翌朝も変わりなく多くの敵と戦った。
(そういえば、あの人型の怪物はなんだったんだろう?)
一度尋ねようとしたが、他の三人が険しい顔をして黙り込んでしまったので、結局分からなかったのだ。
「おい、油断するなよ!」
ガイの鋭い声にはっとすると、熊のように大きい怪物がこっちに向かって突進してくるところだった。
ひえっと叫んで何故かとっさに頭をかばってしまう。
すると怪物が目の前でまるで初めから居なかったかのように消滅した。こんな芸当が出来るのは、クラウドしかいない。
「ありがと、クラウド!」
(どうせ私がどんくさくてイライラしたとかいう理由だろうけど)
それでも助けてもらったのは事実だ。マーシャは心からの礼を言った。
クラウドは面食らったような様子だったが、小さく頷くと次の敵に視線を移す。
マーシャも気合を入れ直し、弓を構えた。
が、そこでマーシャは自分の武器の欠点に気付いた。
弓を構えて照準を合わせる間、丸腰になってしまうのだ。
(敵はまだまだたくさんいるし……よし、ちょっとの間クラウドに盾になってもらおう。ごめん、クラウド!)
ちょっぴり罪悪感を抱いたマーシャは、心の中で手を合わせた。
実際に盾にするわけではない。矢を放つまでの間だけついでに守ってもらおうという魂胆である。
そこまでして放った矢は、惜しくも敵には当たらなかった。
だが、その矢で怯んだ敵を、テレジアの拳が沈める。
「素晴らしい連携だな」
「そうよ~! 私たち美しいだけじゃなく息もぴったりなの!」
テレジアが背中をマーシャに預けて魅力的なウインクをした。
まるで戦闘中とは思えぬ会話だ。……と思いきや、テレジアはその間も笑顔のまま足技で敵を倒す。頼もしいというか、逆に少し怖いというか。マーシャはどんな感情を持てばいいのか判断に困った。
すると数頭の敵がこちらを標的に定めたようで、じわじわとその間合いを詰めてきた。
「マーシャ、ちょっと下がってて!」
テレジアがマーシャをドンッと勢い良く押す。
よろけたマーシャは、反対側にいたクラウドの背中にぶつかってしまう。
「馬鹿、こっちに来るな」
そんなこと言われても、すぐには態勢を整えることなんて出来っこない。
マーシャは向き直ったクラウドに覆いかぶさるようにして倒れ込んだ。
ガツッ
「痛っ!」
唇がどこかにぶつかった。切れたようで、血の味がする。
マーシャは自分の唇を押さえたものの、その血が自分のものではないと気付き、はっとしてクラウドを見る。
するとクラウドが血をにじませていたのは、あろうことか、彼の唇だった。
(これってまさか――キ、キキ、キスッ!?)
「ぎゃ――!」
ちゅどーんっっ!!
マーシャの叫び声とともに、爆発音が轟いた。




