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「マーシャ! 起きて!」
テレジア先生の押し殺した声がする。声だけじゃなく、肩を揺すられた。
だけど深い眠りに落ちていたマーシャは、目覚めない。
「マーシャ、マーシャってば!」
更にガクガクと揺さぶられ、ようやく目を開いた。辺りはまだ暗く、夜明け前のようだった。
「先生……? どうしたんですか?」
「早く起きて! 緊急事態よ!」
その声は切羽詰まった様子で、現にテレジアの顔には焦りが見えた。
マーシャが飛び起きると、すでにクラウドとガイも起きていて、険しい顔をしていた。
緊急事態。その言葉に、心臓の鼓動が早まる。
「一体何があったの……?」
「囲まれている」
マーシャははっとして結界の外に視線を移した。だが、目を凝らしてみても、その姿は見えない。
「でも、だって……結界は?」
「本来なら存在さえ悟られないはずなんだが」
私たちがここにいることが、敵には知られているということか。
敵の存在には、ガイが真っ先に気付いた。
だが、結界があるから大丈夫だろうと思い、楽観視していた。
ところが、敵はこちらに悟られぬようその数を増やし、徐々に近付き、まずいと思った時には遅かった。
クラウドとテレジアが遅れを取ったのは、実戦経験が少ないせいだろう。
退路を断たれた自分たちはここから動ける状況ではないという。
(つまり、戦うしか道は残されてないってこと……!)
全身が粟立った。一匹の獣でさえ倒せなかったのに、たくさんの敵が相手となれば無傷では済まないかもしれない。
テレジアは呪文の詠唱を始め、クラウドは全員に攻撃力や防御力を上げる魔法をかける。
ガイは昨夜手入れをしていた剣を抜いた。
マーシャは弓を構え、不安に押しつぶされそうになりながら待つしか出来ない。
「来た……!」
暗闇の中、たくさんの赤い光が浮かんでいる。その全てが敵の目だった。
目が暗闇に慣れてきたマーシャは息を呑んだ。
(まさかこんなに多いだなんて……!)
狂暴化した獣や怪物の数は、数十……いや、数百はいるかもしれない。
鋭い爪や角を持つもの、その重さで押しつぶそうとするもの、触れれば毒に侵されるもの。敵の種類は様々だ。
敵の姿、息遣い、臭い……それらは徐々にその輪を狭めてきた。
マーシャの膝はガクガクと小刻みに震えていた。
自分の考えの甘さと愚かさに気付いたのだ。
まさか、敵がこんなに大群で攻めてくるとは思いもしなかった。三人が強いから大丈夫だと、どこかで慢心していた自分がいた。
だが、気付いた時には、もう遅い。
「先手必勝!」
一触即発の状況を打ち破ったのは、ガイだった。
単身で敵の群れに飛び込み、目にも止まらぬ速さで次々に斬っていく。
テレジアも魔法をかけた拳と足で敵を地に伏せさせる。
そしてクラウドも広範囲の敵を消滅させていった。
だが、数が多すぎるために、皆はすぐに苦戦を強いられていた。
ガイは敵の攻撃を受けて腕や頬から血を流し、テレジアは軟体の怪物に足を取られて手こずっている。
自分も戦いに参加しなくちゃと思ったマーシャは、弓を構えて放った。
ヘロヘロっと飛んでいった矢は、怪物の大きな角に当たって地面に転がる。
「邪魔だ、どけ!」
クラウドに怒鳴られたマーシャは、弓での攻撃を諦め、皆の援護に回ることにした。
唯一魔法の使えないガイに治癒の魔法をかけ、ついでに体力回復の魔法をかけた。
テレジアとクラウドには攻撃の命中力が上がる魔法をかける。
すると眩暈がした。どの魔法もマーシャにはレベルが高く、魔力が一気に失われたせいである。
早く甘いものを摂取し、魔力を回復させなければならない。
持参したキャンディーを探しながら、マーシャは悔しくて悲しくて涙を流した。
(どうして私はこんなに落ちこぼれなの! 私なんて、何の役にも立たない……!)
これほどまでに自分に嫌気がさしたことはない。
ようやく探し当てたキャンディーを手にして敵に視線を向けると、獣や怪物の後ろに人がいた。
いや、違う。上半身は人の形をしているが、下半身は蛇で、毒々しいまだらの色合いをしている。
あんな怪物、見たことがない。そもそも怪物に人型はいないはずである。
その化け物は手に弓を持っていた。マーシャのものとは違う、縦に長い弓である。
矢は持っていないが、弓構えをしたその手元には黒々とした矢の形をした何かを持っている。
化け物がその弦を大きく引く様子を、マーシャはまるで射竦められたかのようにずっと見つめるしか出来なかった。
そして禍々しい矢は放たれた。まっすぐにこちらへ向かってくる。だが、動けない。
「危ないっ」
ようやく体が動いたのは、クラウドに突き飛ばされたからだった。
「クラウドっ!」
マーシャの代わりに、クラウドの左肩に黒い矢が刺さる。
「ぐうっ」
クラウドが苦し気に呻き、その顔がみるみる青白くなる。
(こんな苦しそうなクラウド、初めてだ……!)
いつも余裕たっぷりな様子のクラウドがこれほどまでに表情に出すということは、よっぽどの苦痛なのだろう。弓には実体がないのか、その姿が揺らめいている。
毒か、それとも別の何かか……。
「マーシャ!」
ガイの声にはっとすると、化け物が再度弓を引いているところだった。
クラウドを抱えて避けるなんて無理だ。クラウドを犠牲にして一人だけ逃げるのは、もっと無理だ。
マーシャは膝から崩れ落ちたクラウドを抱く腕に力を込めて、叫んだ。
「だめっ! 来ないでっ!!」
その時である。
辺り一面を、薄桃色を帯びた強く白い光が照らした。
「な、何だ!?」
光は空を突き破るように広がり、世界が光りに支配されたのではと見紛うばかりの閃光が辺りを包む。
そこでマーシャの意識が途切れた。
………………
どのくらい経っただろう。
次に目を覚ますと、三人は横たわるマーシャを取り囲むようにして座っていた。
「て、敵は!?」
すぐに状況を思い出したマーシャは、飛び起きた。
「もう終わった」
「終わった!? どうやって!?」
ひどくあっさりとしたクラウドの物言いに、マーシャは首を傾げる。
そういえば怪我をしていたはずだが、もうとっくに治癒しているようだった。黒い煙のようなものが腕に絡まっていた気がするが、それも消えている。
「説明するより、見た方が早いぜ」
ガイの指指す方を見て、マーシャは目を見開いた。
目の前に信じられない光景が広がっていたのだ。
「な……に、これ……」
鬱蒼とした森だったはずなのに、土も木も、遥か遠くの方まで何もかもが削り取られている。
あれだけいたはずの怪物は、跡形もなく消え去っていた。
「クラウド、一体何をしたの……?」
「俺がやったんじゃ、ない」
(じゃあ、誰が?)
クラウドじゃなければ、テレジアだろうか。
マーシャがテレジアを見ると、テレジアはマーシャをじっと見つめていた。ガイも同様だ。
「やったのは、お前だ」
「私……?」
「お前が『来るな』と叫んだ途端に身体から光が溢れ出して、竜巻みたいなものを発生させたんだ。そうしたら、怪物たちも何もかも消えてしまった。俺の傷の瘴気までもな」
最初は何を言われたのか、分からなかった。
クラウドの言葉を頭の中で何度も転がし、ようやく内容を理解する。だが、理解したところで納得するはずもない。
「私がこんなことできる訳ないじゃない! 私が落ちこぼれなのは知ってるでしょ!?」
その言葉にクラウドとテレジアが黙る。
地味に傷つくが、言ったのは自分だと言い聞かせた。
「甘いものは?」
「は?」
「甘いものは欲しくならないのか?」
マーシャは、自分の両手を、そして身体を見下ろした。
治癒魔法などで糖分を欲してはいるが、もし本当にこんな大それた魔法を使ったとしたらこのくらいじゃ済まないはずだ。
「……なってない! ほら、だから私じゃないんだよ! クラウドがやったんでしょ?」
「俺じゃない。何度言わせるんだ」
クラウドが不機嫌そうな顔をする。
テレジアはどちらの言い分を信じたらいいのか、困惑している様子だ。
「とりあえず、マーシャ。何か魔法を使って見せて? そうね、ここに火を起こしてみて」
テレジアが積み上げられた薪を指差す。
反論しようとして、証明するまでは堂々巡りだと考えたマーシャは、大人しく薪に手をかざした。頭から、足先から、力を手の平に集中させる。
するとプスプスっと音を立てて火が出現し、そして消える。学園生活を通して、入学式の時よりも火は大きくなったが、役には立たないレベルである。
「ほらね。きっとクラウドが無我夢中でやったんだと思うよ」
テレジアとクラウドは訝し気に眉を寄せた。
「まあ、とにかく助かったんだからいいじゃんか。見通しがずいぶん良くなったから、道に迷うこともないしな。よし、飯食ったらさっそく出発しようぜ」
ガイが明るく取り成したので、マーシャはとりあえず朝食の準備に取り掛かることにした。クラウドも不承不承といった様子で手伝ってくれる。
料理を作る間、両者には一切会話が無かった。




