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 森に入る手前、雪が被さっている低木から、獣が三頭飛び出してきた。

 狼だ。三頭ともその目が爛々と光っている。その色はまるで、鮮血のような赤だ。


 ガイは一瞬で剣を抜き、テレジアは重心を低くしながらブツブツと呪文の詠唱を始めた。

 すぐに対応できるよう身構えているクラウドを見て、マーシャも慌てて背負っていた弓を掴んで構えた。が、手が震えて矢が横滑りをする。練習する間も無かったので、当然の結果である。


「一人一頭だぜ、いいな!」

「りょー、かいっ!」


 ガイが叫ぶが早いか、テレジアは右足を高く上げて飛び掛かってきた狼を左へ蹴り飛ばした。足に魔法をかけたようで、狼は体中の骨が砕ける音を響かせながらものすごいスピードで地に叩きつけられ、すぐに息絶えた。

 それを横目で見たガイは、ピュウッと口笛を鳴らし、自身の目の前で牙を剥く狼を文字通り一刀両断にする。白い雪の上に真っ赤な鮮血が飛び散った。


 だが、クラウドは、残り一頭となり、威嚇する狼を見つめるだけだった。

 いや、見つめただけで、その狼は掻き消すように消えてしまった。その後には毛皮どころか、爪の欠片さえも残ってはいない。


 この旅初の戦闘は、ものの数分で終わりを告げた。


(一人一頭って、私頭数に入ってないじゃん……)


 ほっとしたような、何も出来ずに申し訳ないような、複雑な気分だ。


「チョロいな。この分だと魔王がもし復活しても、さっさと倒せそうだよな」


 ガイが剣についた血を振り払いながらそう言うと、クラウドは軽く眉を寄せた。


「おい、油断するなよ」

「誰にものを言ってるんだよ。俺は勇者サマの生まれ変わりだぜ?」


 ガイはニヤリと笑ってみせた。自慢でも何でもなく、散々そう言われていることに慣れ、逆にそれを楽しんでいる様子だ。


「それにしてもテレジア、すげーじゃん。危うく惚れそうになったぜ」

「あーら、強い女が好きなの? 惚れてもいいわよ。断るけど」

「はは、つれねーな!」


 フラれたというのに、ガイはなぜか嬉しそうだった。

 その後も狂暴化した獣や怪物が出没したが、三人は次々に倒していく。幸か不幸か、マーシャの出る幕は一つも無い。


 日が暮れかけてきたので、木々が開けた場所で野営の準備をすることになった。


「結界を張った。ここから出るなよ」


 見れば、二十メートルくらいの四方を淡い青碧色の光が包んでいる。もう、彼が何をしようと驚かない。


「りょーかーいっ」


 テレジアが高々と手を上げ、ガイとマーシャは大きく頷いた。

 場所の確保が出来ると、次は食事の用意だ。


「ねえ、やっぱりソレ食べるの?」


 マーシャは屍となった狼を直視しないように指差した。


「貴重な栄養だ、無駄には出来ねえよ」


 ここまで引きずってきたガイが、狼をその辺に放って手に付いた汚れを払った。

 今後何があるか分からないから、用意した保存食はなるべく温存しておこうというのも分かる。だが、生きていたところを見てしまったので、何となく食べにくい。それでも体力勝負となる今後のためにも、できるだけ食べようとマーシャは思い直した。

 だが、狼肉を食べたことがないため、最適な調理法が思いつかなかった。


「どうやって食べたらいいんでしょう?」


 するとテレジアはお手上げだとでも言うように肩を竦めて両手を上げた。


「私、料理だけはダメなのよねえ」

「俺も。狼の解体はするけど、後はマーシャに任せる」

「……」


 実戦で何の役にも立たなかった手前、実は自分も料理が苦手だなんて言えやしない。

 だが、二人はマーシャが料理が出来ると思い込んでいるようだ。ガイは荷物の中から小刀を取り出し、狼を器用にさばき始めた。テレジアは木の枝を集めて火を起こしている。


(出来る限り、頑張ってみよう……!)


 よし、と気合を入れ、皆で持ち寄った食材を眺める。シンプルに狼肉はたき火で直に焼くとして、あとは野菜スープでもあればいいだろう。

 小刀を用いて野菜の皮を剥いていると、周囲の偵察から戻ってきたクラウドがやや離れた位置に座り、まだ剥いていない野菜を手に取った。料理の手伝いをしてくれるようだ。


「ありがと、クラウド」

「勘違いするな。俺はまだ死にたくないだけだ。お前、絶対に俺の見ていないところで料理はするなよ」


 二人はラヴィエール魔法学園で校外宿泊訓練をしたことを思い出していた。

 日頃学んできた魔法の成果を、青空のもとでのびのびと発表しようというもので、テントの設営や料理も全て自分たちで行わなければならない。


 マーシャはその行事で料理担当となり、ちょっとした(・・・・・・)食中毒事件を起こしたことがあるのだ。スパイス程度に入れれば害の無い植物の葉を、大量に入れてしまったことが事件の原因だった。また、調味料の量もおかしかったようで、味も不味かった。


 テレジアは引率から外れていたのでその事件の詳細を知らないが、クラウドには当時の記憶がしっかりと刻み込まれているらしい。


 その葉を集めたのは他の生徒だったのでマーシャのせいではなかったが、調理を担当していたマーシャは自分を責めた。そういった理由もあり、マーシャは薬草を特に学ぶようになったのだった。


 二人は切った野菜を鍋に入れ、その辺の雪を鍋に投入して火にかけた。味付けをしたのは当然クラウドである。クラウドはぐつぐつと煮立ったスープをカップに少し注ぎ、それをマーシャの目の前へぐいっと差し出した。毒見――もとい、味見をしろということらしい。


「どうだ?」

「……美味しい」


 クラウドはわずかに得意げな顔をのぞかせた。


(何だ……こんな表情も出来るんだ……)


 今まで自分が常に喧嘩腰で、クラウドのことを真っ直ぐに見ていなかった気がする。

 反省したマーシャは、クラウドに一番大きな肉を渡した。どれも大した違いはない。ただの自己満足である。

 肝心の狼肉は少々硬くて独特の香りがあるが、悪くない。


「うまい! こんなところでこんな料理が食べられるなんて、期待以上だな。マーシャ、俺の嫁にならないか?」


 スープをすごい勢いで食べながら、ガイが言う。マーシャが味付けをしたと思っているのだ。


「やめとけ、死ぬぞ」

「え? 死ぬ?」

「な、何でもないです!」


 マーシャは慌ててクラウドの口を塞いだ。これ以上カッコ悪いところを見せたくなかったのだ。


「何だかよく分かんねえけど、まあいいか。それよりも、そろそろその言葉遣い、やめねえ?」

「そうよそうよ。これから苦楽を共にするんだから、遠慮は無しよ」


 言葉遣いについてはここまで何度か注意されていたものの、なかなか直せなかったのだった。だがこれから密度の濃い関係になるのだから、二人の言う通りにした方がいいだろうと判断する。


「分かったわ」


 マーシャがそう言うと、二人は満足げに頷く。

 そこで会話が途切れたので、マーシャは気になっていたことをガイに尋ねることにした。


「誘っておいてこういうことを言うのもアレなんだけど、よくこの旅に参加しようと思ったね?」


 怪しむのが普通なところ、彼はほぼ二つ返事で同意してくれたのだ。

 するとガイは組んでいた足を投げ出し、夜空を見上げた。本来なら澄んだ大気の中で満点の星空を望めるだろうが、あいにく邪悪な雲で一つも見えない。


「なんつーか……予感がしたんだ。正確に言うと、予知夢ってヤツなのかな。信じられねーと思うけど」


 ガイは、何と物心がついた頃から毎晩のように繰り返し見ていたのだという。仲間たちと魔王を倒しに行く夢を。


「だからマーシャに誘われた時、ああこれかって腑に落ちたっていうのかな、そう思った」


 仲間の顔は覚えていなかったが、マーシャを見た途端に見覚えがあると思ったそうだ。


「そうだったんだ……」


(もしかして、ガイは魔王復活に合わせて生まれてきたのかな? 勇者の生まれ変わりっていうのもあながち間違ってないのかも)


 それならばマーシャが魔王討伐に行くのも、元々定められていたことなのだろうか。ガイが物心がつく頃といえば、マーシャは影も形も無かったころである。

マーシャはしばらく考え込んでいたが、原因が分かるはずもないので早々に諦めた。


「あら、偶然ね。実は私もなのよ」

「テレジア先生まで!?」


 テレジアは頷いてみせた。彼女もいつのころからか予知夢を見ていたそうだ。


「私は学園でマーシャとクラウドを見た途端に思い出したってところかしら。もっとも、その夢がいつのことなのかは全く分からなかったけど」


 マーシャたちが学園を卒業した頃、夢の頻度が上がり、その時が近付いているのが分かったという。


(それで教師を辞めていたのね……)


 不思議なことだが、二人が示しを合わせたようにそう言うのだから、嘘ではないだろう。


 食事を終えると体力を回復させるためにも早々に寝ることとなった。それぞれが持参していた毛布にくるまり、就寝する。


 ガイとテレジアの寝息はすぐに聞こえたが、マーシャは眠れずに寝返りを繰り返していた。


(クラウドがいない……?)


 身を起こして辺りを見回すと、たき火に照らされているクラウドの後姿が見えた。結界の隅から遠い空を眺めているようだ。

 マーシャはたき火で飲み物を作った。果実酒にバター、スパイスなどを加えた冬によく飲まれるものだ。


「クラウド」


 名前を呼ぶと、クラウドが振り返る。マーシャはカップを差し出した。


「さっきは何も言ってなかったけど、クラウドも見たの? 予知夢を」


 クラウドはしばらく黙り、そして首を横に振る。


「お前は?」

「ぜーんぜん」


 二人は黙り込み、カップを口に運んだ。温かな液体が喉から胃に流れていくのがはっきりと分かる。飲み物が無くなると、クラウドは立ち上がった。


「寝る」


 すぐに背を向けた彼に、マーシャは何度も繰り返してきた問いを投げかけた。


「どうして、私を連れてきたの?」

「……いずれ分かる」


(いずれ?)


 残されたマーシャは、まだ温もりの残るカップを見下ろした。

 ガイやテレジアは、この旅にマーシャが参加していることを最初から知っていた。


(私に何が出来るの? 私に何をさせようとしているの?)


 暗闇でも分かる、どんよりと渦を巻く遠くの空を、マーシャは見つめた。

だが、やはりどこにも答えは無かった。

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