19
次の瞬間、マーシャは知らない町に立っていた。
雪山の方からぴゅうぴゅうと冷たいからっ風が吹いてくる。突然の温度差に、マーシャは自身の両腕を抱き抱えた。
「こ、ここは?」
「シュビリオに決まってるだろう」
(やっぱりそうか)
半ば答えが分かっていながら尋ねた問いにあっさりと返すクラウド。
魔法陣も描かずに四人を一瞬で移動させるとは、とマーシャは驚きを通り越して尊敬の念すら抱いた。
だが、馬車で酔った時に似た気持ち悪さを感じ、マーシャは軽く額を押さえた。
「これが移動魔法か。面白いな」
「さすがクラウド、目標値バッチリね」
術者であるクラウドはもちろん、移動魔法を初めて体験したらしいガイもテレジアも別段変わりはないようだ。気持ち悪くなるかどうかは体質によるのかもしれない。
「余計な魔法は使わずに魔力を温存するんじゃなかったの?」
「ファルクのおかげで状況がいち早く確認できた。それに、テレジアがいるから多少魔力が減ったところで戦力に問題はない」
「あ、そーですか」
王都までは戦力にならないマーシャと一緒だったから魔力を温存したという意味だ。
いつもなら腹を立てているだろうが、マーシャは肩をすくませただけで終えた。もう、いちいち目くじらを立てるのも面倒だ。
「でもさ、呪文も唱えずにこんな遠くまで来ちゃうなんて、すごいよなー」
「クラウドは特別よ。普通は長い長い呪文を詠唱しなくちゃ、こんな魔法は使えないわよ」
へえ、と言ったガイは、こちらに視線を合わせてくる。
「あんた、違った、マーシャは呪文を唱えるんだろ?」
マーシャは横に首を振る。
「私は呪文を唱えても唱えなくても、効果に変わりは無いから」
「ふうん、そうなのか」
魔法に詳しくないガイは、素直に納得している。
甘いものを摂取すれば魔力が回復する体質と共に、マーシャが他の魔法使いと違う点はそこだった。
魔法は詠唱を伴うと威力が増す。それが魔法使いにとっての常識である。だが、マーシャにはその常識は通じなかった。呪文を詠唱しようがしまいが、悲しいことに、その威力には何の変化も及ぼさなかったのである。
どうせ同じなら詠唱しないほうが楽――そうマーシャが考え、呪文の暗記を放棄するのも無理はないだろう。
「おい。見てみろよ、あの空を」
ガイが遠くの空を指差す。すると宮殿で見たのと同じ、暗雲が垂れ込めているのが見える。
思ったよりも、もっと、ずっと近い。
「だ、大丈夫なの? この町の人たちは」
「結界がある。この町から出なければ大丈夫だ。――今のところは」
「それにほとんどの人が避難しているみたいだしね」
そこでマーシャはようやく町を詳しく観察した。
大きさの割には、思いの外さびれた町だった。多くの家が空き家になっているのか暗く、道にも数人がいるのみだった。
彼らはマーシャたちを胡乱な目で見つめ、足早に去っていく。
「残っているやつらは、どこにも行く当てがないってことか」
避難したところで、職も無ければ援助してくれる人もいない。そういう者たちはこの町を出ていきたくても出ていけないのだ。
厳しいが、それが現実である。
マーシャはさびれた町を見つめながら、決意を新たにした。それは初めてとも言える前向きな決意だった。
(皆が今まで通り平和に暮らせるように、精一杯頑張ろう。私は何も出来ないかもしれないけど、出来る限りのことはしたい)
そこでマーシャが大きなくしゃみをする。
「くしゅんっ!」
「あら、風邪?」
「ちょっと寒くて……テレジア先生は寒くないんですか?」
「もう先生は辞めたんだから、テレジアだけでいいわよ。私の場合はこの服に防寒・防暑の魔法が掛かっているから平気よ」
どうやらテレジアは、休職ではなく、すでに教職を辞しているらしい。
マーシャがラヴィエール魔法学園を卒業して早三ヶ月。とすればマーシャが卒業したと同時に辞職していたのかもしれない。
彼女がこれほどまでに薄着でも平気な顔をしているのは、魔法で守備力がアップしているおかげのようだ。クラウドの身に付けている白いマントも、いつの間にかガイが羽織っているジャケットにも同様の魔法がかけられているのかもしれない。
マーシャはキョロキョロと見回した。
するとすぐに防具屋の看板を見つける。幸い、明かりが灯っていた。
マーシャは上着を買ってくると言い置いて駆け足で防具屋へと向かう。だが、すぐ後ろにもう一つの足音が聞こえてきた。振り返ると想像通り、クラウドの姿がある。
「……どうしてついてくるの?」
「お前一人だと時間が掛かる」
(確かに)
食べ物でも何でも、選んでいいと言われたら、どれも良く見えて決められないタイプだ。
案の定、店主にいくつか出してもらった上着の中から、一つを選ぶのに苦労することになった。色や長さが違うが、どれも防寒の魔法がかけられたものだ。
するとクラウドはその中の一つを迷わず手に取り、マーシャに強引に渡す。
「これにしろ」
「これ? どうして?」
「この寒ささえ凌げれば、どれでもいいだろ」
(まあ、確かにそうだけどさ。一応、女の子としては自分の好みのものを選びたいんだけど)
手渡されたのは、もこもこの縁飾りのついた、青みがかった白いケープだ。
並べられた時にはピンと来なかったが、こうして見ると意外といいかもしれないと思ったマーシャは、試しに羽織ってみた。
すると、薄手だというのに一枚羽織っただけで全身が寒さから守られた。魔法がかかっているために値が張ったが、背に腹は代えられない。
ケープを着たままで会計を済ませ、クラウドを小走りで追いかけながら待ち合わせ場所に戻った。
ガイとテレジアの二人は湯気の立つお酒を飲んでいた。
「お待たせしました~」
「いいものが見つかったみたいね。よく似合ってるじゃない」
「まるでマーシャにあつらえたように似合うな!」
「本当ですか? えへへ」
二人に褒められ、嬉しくなる。更に手拍子でおだてられたマーシャは、その場でくるりと回転してみせた。
その様子をクラウドはやや離れた場所で見ている。
「じゃあ、行くか」
「ちょっと待って! 手紙を出したいの」
マーシャはポケットから封筒を取り出した。
実家に戻った時にしたためておいた、友人フレアへの手紙だ。
何しろ急にディアーナを出立してしまったので、碌に挨拶する間も無かったのだ。手紙で無事を知らせておかなければと書いたものの、出すタイミングを失っていたのだった。
「誰宛てだ?」
「え? フレアっていう友達だけど」
「パン屋の娘か」
クラウドはマーシャの手から手紙を取り上げ、それを宙に放った、その途端、あったはずの手紙がふっと消えてしまう。
「ちょっと、手紙はどこにいったの?」
「送った」
「送った? まさか、ディアーナに?」
当然というように頷くクラウド。
(クラウドがいれば、郵便屋さんは廃業だわ)
「これでいいな?」
「う、うん……ありがと」
小声でお礼を言ったマーシャを、クラウドは驚いた顔で見つめた。
そして、微笑んだ。出会った時と同じ、裏のない笑顔で。
その顔を見て、今度はマーシャが驚いた。だが、テレジアが話し始めたので、その笑顔はすぐに消えてしまい、今見たものが現実のものだったのかどうか、すぐに分からなくなってしまった。
するとテレジアが「そういえば」と話題を変える。
「クラウドはこの町に来たことがあったのね?」
「ああ。そうじゃなければ、ここに移動できない」
「ん? それってどういうことだ?」
「移動魔法は術者が行ったことのある場所へしか行けないのよ」
首を傾げたガイに、テレジアが詳しく説明をする。
やみくもに移動するだけなら、行ったことがない場所にも飛べる。
だが目的を持って移動するには、実際に行ったことがあるという経験値が必要なのだ。
(こんな北の果ての町に、一体何の用が?)
もしかしたら、この町で生まれたのだろうか。……義理の両親に、引き取られるまで。
だけどクラウドは何も答えない。そして逆にマーシャの顔をちらりと見る。
「何?」
「……いや、何でもない」
マーシャが見上げながら尋ねたが、クラウドは視線を逸らしてしまった。
(何でもない、って感じじゃなかったけど)
だが、一行は町の外に出ることになり、疑問は結局うやむやになる。
もう行くのかと少々怖気づいたが、三人は当然といった風に町に張り巡らされた塀へと向かう。
決意も覚悟も、とっくに決まっているらしい。
警備兵のいない塀を抜けると、北風がひゅうっと音を立てて吹き荒れた。
その強い向かい風に立ち向かいながら、マーシャは目を閉じた。
いよいよだ。いよいよ始まるのだ、と。
目を開いてみれば、そこには雪原が広がっていた。
一歩踏み出した途端、空気が重くなる。いや、重いのではない。淀んでいるのだ。
するとどこからともなく異臭が漂ってきた。と同時に、グルル……という獣の息遣いが聞こえてくる。
「さっそくおいでなすったぜ」
ガイが自らの剣に手を伸ばし、不敵に笑った。




