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「どうも! 毎度ありがとうございます、“魔法屋マーシャ”でーす!」
肩まで伸びたピンクの髪を揺らし、一人の女の子が店の扉から顔を覗かせた。彼女の名はマーシャ・ハートレッジ。今年の春に国内で一つしかない魔法学園を卒業したばかりの、新米魔法使いである。
訪れたのは風見亭という食堂だ。出立するお客さんに通路を譲りながら奥へ進むと、奥さんであるアビーがふくよかな身体を揺らしながら「ああ、来てくれたのかい。朝から悪いね」と出迎えてくれた。
「それで、今日のご依頼は?」
「そうそう、またコレ頼めるかい?」
「ああ……また食器の修復ですかぁ……」
テーブルの上にある、割れたいくつかの皿の残骸を見て、キラキラと輝いていたマーシャの濃い榛色の瞳が一気に曇る。この町で魔法屋を開いてからというもの、舞い込むのはこんな依頼ばかりなのだ。平和といえば聞こえが良いが、いまいち張合いが出ないというのが本音だ。
(いや、依頼は依頼だからね、ちゃんとやらなきゃ~)
マーシャは自分の頬をパチパチ叩いてから椅子に座り、目の前にある皿に神経を集中させる。目を閉じて足の爪先から力を集めていき、全身を巡らせる。そして最後に手の平を掲げて目を開くと、ポウッと限りなく淡いピンクの光が皿を包み込んだ。
光が消えた後には、割れていたのが嘘みたいに新品同様の皿が数枚ある。色褪せていた柄部分の発色を良くしてあげたのは、ちょっとしたサービスだ。
「魔法ってのは便利だねえ、まるで新品みたいじゃないか。まったく、あたしも魔法が使えたら良かったんだけどねえ!」
アビーの賞賛に、マーシャは照れくさそうに微笑みで返す。魔法を使えるのは生まれつき魔力を持っている者のみで、素質のない者は一生魔法を使うことが出来ない。だが、割れた食器の修復は魔法使いなら誰でも出来る、初歩的な魔法なのだった。
「いつもありがとうよ、マーシャちゃん。朝ご飯食べていくだろう?」
アビーから謝礼を受け取っていると、厨房から主人のバートが顔を覗かせる。それをマーシャは「いえ、この後も寄るところがあるんで」と言って断った。
バートの料理はとても美味である。だけど、マーシャが求めているのはちょっと……いや、かなり違う物なのだ。
「ありがとうございました! またのご依頼、心からお待ちしておりまーす!」
マーシャは来た時と同じく、元気に挨拶して風見亭を飛び出した。だが、道に出た途端に顔をしかめてお腹を押さえた。
(うわ、お腹空いて倒れそう~!)
空腹を抱えたマーシャが辿り着いたのは、町で一番人気のパン屋だった。店の外まで焼きたてのパンの香ばしい香りが零れている。
木の扉を開けると、良い香りがさらに強くなった。お腹の虫がぐうっ、と鳴る。
(う~ん、良い香り!)
「おはよう、シーラおばちゃん。いつものやつ!」
「はいはい。すぐにお茶を用意するから、奥に行っておいで」
シーラが店頭に並べられた籠から、何種類ものパンをひょいひょいと器に盛る。その全てが甘いパンである。すぐ傍にはソーセージの乗ったパンやチーズを包んだ、うまそうなパンがあるにもかかわらず、だ。
お礼を言いつつ奥の居住スペースに入りこんだマーシャは、丸テーブルの前にある椅子に慣れた様子で座る。するとシーラがすぐにパンと飲み物を持ってきてくれた。「焦らずゆっくり食べなさいね」と言い置いて、シーラは店に戻っていく。
「ありがとー」
その背中にお礼を言うと、視線をパンに移す。そしてマーシャが一番に手を取ったのは、白パンの中に果物のジャムが入ったパンだった。くんくんと匂いを嗅いで喜色満面になったマーシャは、はむっとパンを思いっきり頬張った。ふわふわのパンの奥から甘酸っぱいジャムがとろりと溢れてくる。
「あっまーい!!」
瞬く間に食べ終わると次のパンに手を伸ばした。
魔法を使うと甘い物が欲しくなるのがマーシャの性質だ。人によっては立ちくらみがしたり、眠気が襲ってきたり、空腹に倒れたりもする。魔法を使うのにもそれなりの代償が必要なのだ。昨夜は夜遅く帰ってきたので、夕飯を食べずに寝てしまっていた。そのせいもあって、マーシャは今、極限状態だった。
「あ~美味しい。幸せ~!!」
三つ目に手を伸ばした時、店側の入り口からマーシャと同い年くらいの女の子が顔を覗かせた。
「あら、ラヴィエール魔法学園卒のエリート様じゃないの!」
「嫌味はやめてよ、フレア。どこ行ってたの?」
「ちょっと、商品の配達にね」
フレアはシーラの娘で、栗色の長い髪と水色の瞳を持つ、ちょっぴり世話焼きな性格の子だ。
マーシャは幼い頃にこの町で育った。途中で両親と共に王都へ引っ越したために離れ離れになってしまったが、フレアとは幼なじみだったのだ。両親は健在で、王都でマーシャと同じく魔法屋を営んでいる。
ちなみにラヴィエール魔法学園も王都にあるのだが、マーシャは卒業と同時にこの町へと戻ってきた。その理由は、王都よりもここの物価が安いためである。それはディアーナというこの町の場所にある。海からも近く、国境付近に位置するので、砂糖や珍しい果物などが比較的安価で手に入りやすいのだ。
逆に王都は大陸の中央に位置するために運送料だの手数料だので何でも高額になっている傾向がある。魔法学園を卒業して一人前になった以上は、親に迷惑を掛ける訳にはいかない。よって、王都に住むという選択肢は真っ先に消えたのだった。
そしてフレアの褒め言葉を「嫌味」と言った通り、マーシャはラヴィエール魔法学園においては落ちこぼれの部類だった。無事に卒業出来たのは、散々だった実技を魔法学の成績で補ったおかげだと言っていい。王都を避けたのにはそんな理由もある。王都にはまさしくエリート魔法使いがウジャウジャいるのだ。
「あんたの声、店の外まで響いてたわよ」
「だって、シーラおばちゃんのパンは最高なんだもん!」
「久々に食べた時、あんた泣いてたわよね~」
「感動したんだよ、記憶にあった味よりも更に美味しくなってない?」
「今年の小麦は豊作だったからね」
せっかくの褒め言葉をフレアはあっさりと退けた。小麦は1年に2度ずつ播種と収穫をする。そのうち、去年の秋ごろ播種した小麦が、ちょうど今収穫期を迎えているのだ。マーシャの好きなパンやケーキやクッキーにはもれなく小麦粉が使われているので、その年が豊作かどうかはある意味死活問題とも言える。
「そういえば、聞いた?」
「何を?」
フレアはせっかちな面もあるので、たまに主語を忘れるのだ。慣れているマーシャは、敢えて注意せずに先を促す。するとフレアは「ふふふ」と実に嬉しそうに微笑んだ。
「今度、この町にもう一人魔法使いが来るらしいわよ。昨日、住む予定の家を下見しに来たんですって。もう町中の噂になっているみたいよ」
「へえ~」
最後のパンを食べ終わったマーシャは、名残惜しそうに皿を見つめながら生返事を返した。昨日は街の外へ薬草類の採集へ行っていたので、噂が耳に入らなかったようだ。
「何よ、商売敵が登場するっていうのに、気にならないの?」
「うーん、まあ、何とかなるでしょ!」
一つの町に一人の魔法使い、という約束事はない。この町にパン屋や菓子屋がいくつもあるように、魔法使いが何人いようが問題はないのである。依頼数が減るのは困りものだが、こんな小さな町にやって来るくらいだ、大した使い手ではないだろうとマーシャは自分のことを棚に上げて判断した。
話に乗って来ないマーシャを見て、フレアは不満そうに頬を膨らませた。すると店の方からシーラの呼ぶ声が聞こえたので、「ごゆっくり」と言い置いてパタパタと駆けていく。
(もう一人の魔法使い、か……)
「仲良くなれるといいな」
一人呟いたマーシャは、おかわりをもらうために、ガタンと椅子を鳴らして立ち上がった。