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 振り返ってみれば、クラウドの姿はすでになかった。


(う、う、裏切り者ぉっ!!)


「えーと?」


 捲れ上がったスカートを下ろし、恥ずかしさに打ち震えていたマーシャは、相手の戸惑いを含んだ声を聞き、慌てて立ち上がった。そして何事もなかったかのように話し出した。


「わ、私の名前はマーシャ・ハートレッジといいますっ」

「はあ」


 相手は気の抜けた返事をする。マーシャは一瞬ひるんだものの、やけっぱちで話を続けた。


「あ、あなたのお名前はっ!?」

「俺はガイマールズ・エクシス・ウル・ディーダ」

「ええと、ガイマールズ・エクシ……?」


 長くて覚えきれない。これほど長い名前の人に会うのは初めてだった。


「ガイでいい。……てか、大丈夫か? 膝から血が出てるぜ」


 ガイは親指をくいっと動かしてマーシャの膝を指す。マーシャは前かがみになり、スカートで怪我を隠した。


「大丈夫ですっ」

「そっか。それで、俺に何か用?」

「実は……」


 そこで言い淀む。何と切り出せばいいか分からなかったからだ。しかし、考えても良いアイディアが浮かばなかったので、結論から述べることにした。


「私たちと一緒に、魔王を倒しに行って欲しいんです」


 正確には魔王が復活するのを防ぐことが目的だが、いつ魔王が復活するかは分からないので同じことだろう。


「報酬は?」

「報酬っ? ええと、それは……多分国王様からもらえると思います!」


 行きたくない云々よりも先に報酬の話が出たので、マーシャは面食らいながらも答えた。具体的な額は提示されていないが、こんな危険な旅に行くのだから国王は報酬をはずんでくれるだろう。ひょっとすると他の国々からももらえるかもしれない。


「いいもん見せてもらったお礼に、行ってもいいぜ」

「本当ですか!?」


 聞いてしまってから、「いいもんって何だろう?」とマーシャは思ったが、それどころではない。


「……と言ってやりたいところだけど、断る」

「えっ? どどどうしてですかっ?」

「どうして行かなきゃならないんだ? 見たところあんたは非力そうだけど、有名な魔法使いか何かかのか?」


 ぐっと喉が鳴る。まるで世界で一番苦い薬を飲まされた気分だ。


「……いえ、違います」

「じゃあ、どうしてあんたが? 他の誰かが行ってくれる――そうは思わないのか?」


 マーシャはぐっと詰まった。それは自身が一度は考えたことだからだ。

 相手の真夏の葉のような色の瞳を見つめ、考え考えしながら言った。


「確かにそういう考えもありますけど……。でも、誰かが行くなら、それが私でもいいんじゃないかなと思ったんです」


 そしてマーシャはガイに向かって微笑んで見せた。


「必ず死ぬって決まった訳じゃないですし。まあ、何事も経験ですよ」


 「はは……」と眉尻の下がった力無い笑顔を見て、ガイは拍子抜けした様子だ。


「あんた、見た目と違って意外と根性据わってんな」


 どっちかというと楽観的、またはやけっぱちな気持ちからの発言だったのだが、どうやら好意的に取られたようだ。


「それで、これから俺たちはどうしたらいいんだ?」

「え? 一緒に行ってくれるんですか?」

「ああ。あんたが一緒なら、なかなか面白い旅になりそうだからな。行ってやるよ」

「ありがとうございます……!」


 マーシャは目尻に涙を浮かべそうなほど喜んだ。

 下着を見られるわ、断られるわじゃ、死んでも死にきれない。


 するとそこに、いつの間にか消えていたはずのクラウドが颯爽と現れた。


「まさか本当に色仕掛けをするとはな」


 クラウドが口の端で笑っている。


「あ、あれは不可抗力だよっ! っていうか、全面的にクラウドのせいなんだからね!?」

「あれくらい、運動神経があれば何てことないはずだ」

「うっ」


(確かに運動は大の苦手だもんね……)


 マーシャが落ち込んでいる間に、クラウドとガイが自己紹介を始める。


「クラウド・ウィザーズリーだ」

「ガイだ。正式には、ガイマールズ・エクシス・ウル・ディーダ。よろしく」

「長い名前だな」

「親類縁者からの期待がでかすぎてな。ま、気にするな」


 ガイはそう言って肩をすくめた。

 生まれ落ちたその時に勇者と宣告されたガイは、周囲の人々から期待を寄せられるあまり、名前がずらずらと長くなってしまったのだった。


 互いの自己紹介が終わったところでようやくマーシャは会話に参加できた。


「それで? あとは誰を仲間にするの? 次はクラウドが勧誘してくれるよね?」

「もう済んだ」

「えっ?」

「お久しぶりね、マーシャ・ハートレッジ」


 クラウドの背後から女性が現れた。

 彼女は魔女らしい黒いとんがり帽子を被り、同じく黒いマントを羽織っている。が、その下から覗く衣服は胸元が大きく開き、豊満な胸の谷間が惜しげもなく晒されている。


「テレジア先生!?」


 その人はラヴィエール魔法学園でマーシャやクラウドの担任をしていた女教師であるテレジア・ウィルマーだ。


「どうしてテレジア先生が?」

「あーら、どうしてってこともないでしょ? クラウドには負けるかもしれないけれど、私だってなかなかのもんなんだから」


 テレジアは微笑みを浮かべ、クラウドの肩に自身の顎を乗せてしなだれかかった。

 この二人がこれほどまでに仲が良いとは思っていなかったマーシャは驚いた。二人の様子は、教師と生徒の枠を超えているように見えたが、クラウドが顔色一つ変えなかったのでそれ以上のことは分からなかった。


 テレジアはガイに手を差し出し、自己紹介をする。


「ガイ、私はテレジア・ウィルマーよ。よろしくね」

「ああ、よろしく頼む。何だか楽しい旅になりそうだな」


 ガイはテレジアの出し惜しみしない恰好を見て、口笛でも吹きそうな顔をしている。

 マーシャには「なかなか楽しい」でテレジアには「楽しい」。その明確な差別に内心落ち込むマーシャだった。


 それはさておき、テレジアが同行するのは大いに安心だとマーシャは感じていた。何しろ、テレジアは魔法どころか武術においても長けているのである。

 ラヴィエール魔法学園はその名の通り魔法を重点的に学ぶ場所だが、もちろんそれ以外の授業もある。それが多岐にわたる武術の履修で、テレジアはその細身の身体からは全く想像できないが、右に出るものがいないとまで言われる武闘家でもあったのだ。


 有能な魔法使いであるクラウド、勇者の生まれ変わりと言われるガイマールズ・エクシス・ウル・ディーダ、そして武術にも長けているテレジア。


(私って、要らなくない?)


 マーシャは貧弱な魔法しか使えないし、武術も剣術も出来ない。

 明らかに一人だけ浮いている。


「他にも誰か誘うの?」


 マーシャは気まずくなり、そう尋ねた。もう一人くらい、親近感を持てるような柔らかい雰囲気を持つメンバーが欲しかったのだ。しかし、クラウドは無情にも首を振る。


「いや。あまり大勢で行っても身動きが取れなくなるだろ」

「まあ、このくらいの人数が妥当よね」

「そういうことだ」


 相談もしていないのに三人が口を揃えてそう言ったので、マーシャはちょっとした疎外感を感じていた。


(やっぱり私一人だけ場違いじゃない?)


 胸にわだかまりを残しつつ、一行は旅に必要な装備を調えた。


「で、どのルートで行くんだ? 陸路? それとも海路?」


 魔王討伐へ行くとは思えないほどリラックスしたガイが問う。

 目的地をすでに知っている様子である。

 テレジアは何も言わずにクラウドに色っぽい流し目をする。


 するとクラウドが澄んだ青い空を見上げた。


「ファルク」


 さほど大きくないクラウドの声と共に、空から鷹が音もなく舞い降りた。

 ファルクはクラウドの使い魔である。

 鷲は喉の奥を鳴らし、クラウドは小さく頷いて一行を見回した。


「まずは北の果ての町、シュビリオへ」


 シュビリオはここから最低でも半月は掛かる、寒冷地にある町である。

 道のりは長そうだな、とマーシャは一気に気落ちする。


「おい、何をしているんだ。さっさと来い」


 地面を歩く蟻を見ていたマーシャを、クラウドが呼ぶ。


(はいはい、分かりましたよ)


 三人に後れを取っていたマーシャが歩きだして近寄ると、クラウドに思いっきり二の腕を掴まれる。引っ張られたマーシャは、クラウドの意外と逞しい胸に頭からぶつかった。


「きゃっ、痛い! って、え、何!?」


 マーシャが声を上げるのが早いか。


 ――ぶんっと周りの空気が揺れた。


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