17
その後、ミルクを飲みほしたクラウドは客室に引きあげていった。
二人分のカップと鍋を片付けながら、マーシャはもやもやとした思いを抱えていた。まさかクラウドにそんな過去があったとは。もう、むやみやたらに怒れなくなってしまった。少々難のある性格もその生い立ちを鑑みれば仕方ないとさえ思った。
マーシャはクラウド相手には怒りっぽくなってしまっていたが、本来は優しい気性なのだ。
片づけを終えるとマーシャも自室へ戻る。すっかり温もりの消えていたベッドに身を横たえながら、今までの自分の態度を反省し、眠りについた。
翌朝、マーシャは朝食の席で両親に昨日のことを詫びた。
「昨日はひどい態度をとってごめんなさい」
「いいのよ。でも、私たちも好きであなたを行かせるんじゃないって分かってちょうだい。……実は、お母さんは分かっていたの。あなたがこの旅に同行するってことを」
母であるレイラには僅かだが予知の力もある。
だから反対しなかったのか、とマーシャは納得した。昨夜から彼女が何かを迷っているように見えたのは、そのことを言うかどうか迷っていたからのようだ。自分の予知とマーシャを遠くへ行かせたくないという気持ちとの板挟みになっていたのかもしれない。
隣に座るクラウドが、身じろぎをする。セイラに予知の力があることを知らなかったからだろう。それには触れずにマーシャは話を続けた。
「私が行かなかったら、どうなるのかな?」
「それは分からないわ。あなたはどう思うのかしら?」
母親の質問返しに、マーシャは言葉を詰まらせた。
自分が戦力になるとは到底思えない。だが、ここで行かなければ後で後悔するのは目に見えていた。それはこの国が……いや、この世界が終焉を迎えるかもしれないというのに、逃げ出すということだ。例え皆が赦してくれたとしても、罪悪感を覚えずにはいられないだろう。
(まだ魔王が復活するって決まった訳じゃないし。魔界への入り口を塞いですぐに帰ってくれば大丈夫だよね。それに、きっと行っても行かなくても後悔する。それなら、私は……)
正義感からではない。多分、誰からも後ろ指をさされずに生きていたいだけなのだ。
自分より少しだけ背の高いセイラを見上げると、そこには我が子を想う母の姿があった。
「安心して。あなたが不幸になる未来は、見えないわ」
泣きそうな顔で微笑むその表情を見て、マーシャはあれほど嫌だと思っていた気持ちがすうっと消えていった。
誰も引き止めてくれる者がいない訳ではないと分かったからだ。そして、結論が出た。
「ありがとう、お母さん。私、行くよ」
「マーシャ……」
セイラと抱き合った後、アルクがマーシャの肩に手を置いた。大きくて温かい手だ。
「行きなさい。そして、お前にしか出来ないことをやりなさい」
マーシャはアルクに力強く頷いて見せた。
「クラウド、行こう」
しばらくの間食べられなくなる母親の料理を堪能し、マーシャは席を立った。
「忘れ物はない? ハンカチは持った?」
「お母さん……遠足じゃないんだから」
こんな時だというのに緊張感のない会話だなと力が抜ける。だが、強張っていた身体が少しだけほぐれていた。
「餞別だ。持って行きなさい」
アルクが布袋を手渡してきた。それはずっしりとした重みがある。硬貨だ。これで装備品を揃えろということらしい。マーシャはその日暮らしに近い生活をしていたので、ありがたく受け取った。
「クラウド君。昨夜も言ったが、娘を頼む」
「分かりました」
二人は硬い握手を交わしている。マーシャは、ほんとに分かってんのかな、と心の中で呟いた。クラウドは危機に陥ったら真っ先にマーシャを見捨てそうだ。
実家を後にすると、クラウドがマーシャの手から硬貨の入った袋を取り上げた。一瞬焦ったが、どうやら横取りする気は無さそうだ。
「まずは武器屋だな」
「武器? 魔法使いなのに?」
「お前、自分が魔法だけで乗り切れると思っているのか?」
「……すみません、思ってません」
確かに何かあった時に魔法だけじゃ対応しきれないだろう。そう自己評価出来てしまうことが悲しいが、事実なのだから仕方がない。
二人はそこから一番近い武器屋を見つけ、中に入った。
王都だけあって、大きな店構えだが、店内は薄暗くて埃っぽい匂いがする。入ってすぐに大柄な中年の男が出迎えてくれた。まだまだ現役といった雰囲気の筋肉隆々の男で、この店の店長のようだ。
「いらっしゃい。何をお探しで?」
「えーと。私に使えそうな武器ってありますか?」
「剣? それとも弓?」
店長の質問に、マーシャは応えられなかった。どちらも使ったことも無ければ触ったことすら無い。
「お嬢ちゃんが使うんなら、細い剣か短剣か?」
店長は近くの棚にずらりと陳列された剣の中から何本かを取り出そうとした。だが、クラウドがそれを制す。
「待て。“探索”を使え」
「探索?」
「それくらい出来るだろ」
クラウドの言葉にはもう、すぐには腹が立たなくなっていた。探索とは失せ物を探す時に使う簡単な魔法である。もちろんマーシャも使える。
訳が分からなかったが、クラウドに言われた通りにマーシャは両手を軽く前に押し出した。その手の平からは薄いピンクの光が溢れ出す。
するとどうしたことだろう。その光が一際輝いたかと思うと、一筋の光が店の奥へと伸びていった。
(何これ……?)
驚いているマーシャの代わりに、クラウドが店の奥へ出向いて光の当たっている物を掴んだ。白い木製の弓だ。子供用かと思う程に小さい。
「それはこうやって矢を放つんだ」
店長は弓を横向きにして弓束を左手で握り、右手で弦を引いた。縦の弓よりも弦を引く力が必要だが、威力は高いそうだ。
手渡されると、まるで自分のために作られたかのように手にしっくりと馴染んだ。
「決まりだな」
「でも、使いこなせないよ」
「死にたくなかったら、実地で頑張るんだな」
クラウドの言葉に、マーシャは震え上がった。先日の猪みたいな怪物に襲われた時にこの弓で素早く応戦するなんて出来るはずがない。
生存率を上げるためにも、道中はクラウドから離れないことを心に誓った。
弓の値段は目玉が飛び出るほど高額だった。だが、クラウドに「命の値段には換えられないだろう」と言われてしまってはぐうの音も出なかった。
武器を購入したマーシャは、次に向かった防具屋で胸当てと肘宛て、そして厚手のマントを購入した。てっきりここでも探索の魔法を使うのかと思ったが、防具は武器と違って装着可能かどうかや守備力の高低などが一目瞭然なので必要無かった。
買い物が済んでほっと一安心しながら歩いていたマーシャは、クラウドがピタリと立ち止まったので、慌てて引き返した。クラウドはある一軒の店を眺めている。店は落ち着きのある色の木で出来ており、入口が広く、店先に大きな樽がいくつもある。
「ここは?」
「怪物狩りや護衛たちが集まって情報交換をする酒場だ」
そんなところに何の用が、と疑問を抱いたが、クラウドが理由なく酒場を訪れるわけがないと分かっていたので、大人しく従って酒場に入った。
そこはまだ日が高いというのにすでに酒瓶を片手に談笑する男女の姿がある。活気がありつつも退廃した雰囲気を持つ者も多かった。
クラウドが周囲を見回し、ある一人の男に目を止めた。年齢は二十代中盤といったところだろうか。上背があり、ツンツンとはねた黒髪に緑色の目で、負けん気の強い少年がそのまま大きくなったような顔をしている。
銀色の胸や肘当てと剣を装備しているのを見ると、剣士寄りの怪物狩りのようだ。その男は誰とも群れず、カウンターでマスターと静かに会話をしていた。
「まずはあいつを取り込む」
「取り込むって、言葉が悪いんじゃない?」
仲間にするとか、メンバーに加えるとか、色々と言いようがあるだろう。
「言い繕ったところで、同じことだ」
「まあ、確かに。で、何であの人を?」
「勇者の生まれかわりと言われているそうだ」
「勇者ぁ? そんなの本当に信じてるの?」
隣を見上げてみれば、クラウドは興味なさそうに肩を竦めている。
「盾代わりくらいにはなるだろう」
「……」
(クラウドってば、悪魔みたい。実は魔王ってクラウドのことなんじゃないの? まあ、私もいざとなったらクラウドを身代わりにしようって考えたこともあるけどね)
「何してるんだ。さっさと、行って来い」
「行って来いって……どうして私が? 誘っても無駄だと思うよ。こんな危険な旅に来てくれるはずがないもの」
「そこをその気にさせるのがお前の仕事だ。弱みを握るでも色仕掛けでも何でもいい」
「色仕掛けなんて無理だよ……って、ちょ、ちょっと!?」
クラウドはあろうことかマーシャを後ろから付き飛ばした。そのはずみで前につんのめったマーシャは、勇者の生まれ変わりらしい男の前で無様に転んだ。
驚き目を丸くした男の視線が突き刺さってくる。その視線を辿ると、何と、マーシャのスカートが転んだ拍子にめくれ上がり、そこから下着が覗いていたのだ。
羞恥で頬を真っ赤に染めながら、マーシャはすでにこの旅に参加したことを後悔していた。




