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「許可する」


 国王の声は、無情とも言える死の宣告だった。


 選りすぐりの騎士や魔法使いたちでさえ行方知らずになったのに、魔力の低い落ちこぼれに死地に行けと言ったのだ。

 おそらく、いや、絶対に国王はマーシャの実力を知らないのであろう。彼は魔力を持たないただの人間である。その代わりに彼の後ろに立つ老人が片眉を上げ、周囲の魔法使いたちが目配せし合った。彼らはマーシャの実力を正確に読み取っていたからだ。


 マーシャはもはや言葉も無く、テラスに立つ国王を見上げるしかない。


「国王様! 恐れながら、申し上げます!」


 言葉を失ったマーシャの代わりに意見したのは、父親であるアルクだった。


「うん? 何だ?」

「我が娘はまだまだ未熟な魔法使いにございます。そんな大役は、とてもとても……。代わりに私共が参ります」


 親にここまで言わせるのは、独り立ちした身としては複雑な心情だ。だが、その言葉に嘘偽りは一切無い。


「マーシャ・ハートレッジはその方らの娘であったか。だが、その方らには王都を守るという義務があるだろう」

「……!」


 アルクとセイラはぐっと黙った。二人は王都に結界を張り巡らせるという役目を担っている。その職に就くのは計六名。彼らの魔力によって王都をすっぽりと包むように張られた六芒星の結界は、一人たりとも欠けることは許されない。よって、彼らが王都を離れることは出来なかった。


「それに、余は全権をクラウドに委ねた。意義があるのなら、クラウドに申すが良い」

「そんな……!」


 今度はようやくショックから立ち直り、言葉を取り戻したマーシャが悲痛な声を上げた。クラウドに言ったところで、意見を変えるとは到底思えない。


「無論、任務を遂行した暁には、それ相応の褒美を取らす。指名された者は、直ちにクラウドと共に出立するように。指名されなかった者も、いつでも出立出来るよう準備を整えておけ。話は以上だ。本日は余の召集に馳せ参じてくれたこと、誠に感謝する」


 国王は深紅のローブをばさりと翻し、テラスの向こうへと消えていった。


 その後には選ばれなかったことを安堵する者、やれやれと帰路につく者、久々に再会した友と談話する者などで騒がしくなった。


「マーシャ。マーシャ!」


 両親に名前を呼ばれ、マーシャは自分が地面に膝を突いていたことに気付いた。どうやら人の波に押されて転んでしまったようだ。


 アルクはマーシャに手を貸して助け、クラウドを振り返った。


「君は自分の家に帰るのかね?」

「いいえ」


 即答だった。マーシャは実家に顔を出せばいいのにと思ったが、両親が留守なのかもしれないと考え直した。


「では、とりあえず二人ともついて来なさい。今夜はうちに泊まるといい」


(え~、泊めるの?)


 不満を抱いたが、口には出さなかった。父であるアルクは一見優しげだが頑固なところがあり、一度決めたら意見を変えないのはマーシャが一番よく知っている。

 断ると思われたクラウドも、何故か異を唱えない。


 結局、一同は共にマーシャの実家に行くことになった。実家はマーシャが現在住んでいる吹けば飛ぶような安普請とは違い、石造りのしっかりした家だ。この家を出て、まだ数カ月しか経っていないというのに、すでに懐かしさを覚えた。


 先程の話には一切触れずに皆でお茶を飲んだ後、セイラが心づくしの手料理でもてなすと張り切ったので、マーシャはそれを手伝うことにした。アルクとクラウドはそのままテーブルを囲んで何かぽつりぽつりと会話をしているようだ。

 日が暮れて家々が灯りをともしはじめた頃、マーシャたちも食卓を囲んだ。


「クラウド君。君は何故、マーシャを選んだんだ?」


 酒を片手に、アルクがようやく問う。


「そんなの、嫌がらせに決まってるじゃない!」


 テーブルを両手で叩き、マーシャが立ち上がる。だが、「マーシャ、お行儀悪いわよ」というセイラの叱責に、口を閉じて大人しく着席した。


「娘の無礼は詫びよう。だが、私の質問に答えてほしい」


 クラウドは一度目を閉じてから、アルクを射抜く程強い視線で見つめた。


「この旅に必要だと思ったからです」

「そうか」


 アルクはその視線に対抗するかのようにクラウドを見て、「……君には見えているんだな」と言った。


「はい」


(見えてる? って、何が?)


 マーシャの頭の中は疑問符だらけだが、口を挟める雰囲気ではない。その場はしばらく沈黙が続き、息が詰まりそうになった頃、再びアルクが決断を下した。


「――分かった。娘をよろしく頼む」

「ちょっと、お父さん!?」


 てっきり最後まで守ってくれるものと思っていた父親が、あっさりと自分を差し出してしまったので、マーシャは慌てた。


「私、行きたくないよ! お母さんも何とか言ってよ」


 だが、セイラは困った顔でマーシャを見つめるだけだった。

 久々の母の手料理に半分も手を付けていないまま、マーシャは立ち上がった。そして部屋を出て階段をかけ上り、自室に飛び込むとベッドへ体を投げ出した。


(何でお父さんもお母さんも反対しないの? 私が死んでしまってもいいの……?)


 見捨てられた、と思った。今まで、決して贅沢は出来なかったが、何不自由ない暮らしを送ってきた。両親からの愛情もいつも感じていた。だが、ここにきてこんな仕打ちをされるとは。

 そして悲しみと怒りの矛先はクラウドへと向かった。


(元凶は何もかもクラウドなんだから。もし一緒に行ったとしても、死にそうになったらあいつを身代わりにしてでも生き抜いてやる)


 マーシャの目から悔し涙が流れた。そして、泣きながら目を閉じた。




 再び目を開いた時には、静寂が訪れていた。どうやら真夜中らしい。


(……変な時間に目が覚めちゃった)


 寝返りを打つ。しばらく経って、また寝返りを打つ。もう一度寝返りを打ちそうになって、マーシャは溜め息をつきながら起き上がった。


(ダメだ、もう寝れそうにないよ。温かい飲み物でも飲もう)


 階下に行き、魔法で灯りを付け、かまどに火を入れる。そして小さな鍋でミルクを温めた。

 すると背後でコトリと小さな音がした。振り返って見れば、台所の入り口に背の高い男が立っている。


「――クラウド」


 マーシャがその名を呼ぶと、クラウドがゆっくりと入ってきた。しかし、そのまま無言で佇んでいる。仕方なく、マーシャは二つのカップにミルクを注いだ。


「飲む?」

「ああ」


 マーシャの差し出したカップをクラウドが受け取る。彼に対する怒りは、ひとまず涙と一緒に流れている。マーシャは胃が温かくなると、興奮しないように自分を押さえながら話を切り出した。


「あのさあ、やっぱり納得いかないんだけど。どうして私がクラウドと一緒に行かなきゃならないの?」


 するとクラウドは「分からないのか?」と逆に尋ねてきた。どうせ嫌がらせでしょ、と言いかけたマーシャは、クラウドの声を聞いて言葉を飲み込んだ。そこには嫌がらせやからかいの色が全くなかったからだ。


「全然分からないよ」

「お前は大切に育てられてきたんだな。……うらやましいよ」


 クラウドの応えは、答えになっていなかった。


「そういえば、どうして自分の家に帰らないのよ」


 クラウドはカップのミルクを一口飲んだ。


「自分の家なんて、無い」

「え? どっかの金持ちの家の息子だって聞いたことあるけど」


 貴族か成金かは知らないが、まだラヴィエール魔法学園にいた頃に友達が言っていた気がする。名家に対する知識が乏しい上に興味が無かったので、聞き流してはいたが。


「血は繋がっていない」


 その声はひどく平坦だった。そのことに関して、彼は全く頓着していないようだ。


「どういうこと? 本当の両親はどこにいるの?」

「本当の両親がどこの誰なのかは知らない。どこにいるのかも。生きてるのか、死んでるのかさえも」

「……」

「だから俺には“加護の力”が無い」

「あ……」


 両親がクラウドを見て「“加護の力”が」と言っていたのはそういうことだったのかと腑に落ちた。


 生まれてすぐ亡くなったためか、わざと授けなかったのか。理由は分からないが、クラウドの両親は彼に“加護の力”を授けなかったのだ。力を授けるには、己の寿命のいくらかを犠牲にしなければならないため、本当の両親以外にこの魔法を使う者は滅多にいない。おそらく、義理の親はただの人間なのだろう。


(もしかして、ラヴィエールで皆がクラウドに一目置いてたのは、“加護の力”のせいもあったのかな?)


 学園での彼は、皆から遠巻きにされていた。それは段違いの実力のせいだとばかり思っていたけれど、今思えば彼らの様子には畏怖というか異質なものを見る目だった気がする。


「養父は俺の魔力の高さを知って引き取ったんだ。国に恩を売れると踏んでな。だから、元から国の有事には真っ先に駆り出されると分かっていた」

「そんな……それじゃ、まるで……」


 義理の親に売られたみたいじゃない、とは言えなかった。だが、クラウドはマーシャが飲み込んだ言葉を正確に読み取っていた。


「とにかく、俺は行かなければならない。もちろん、死ぬつもりなんてさらさら無い。だから、お前も連れていく」

「……」


 どうして“だから”と繋がるのかは理解出来なかったが、クラウドの意志はすでに固まっていた。


 マーシャはもう、行きたくないとは言い出せなくなっていた。それが何の役にも立たない同情だとは、分かっていたけれど。


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