15
宮殿は白を基調とした、横に長い石造りの建物だった。
城門を通り、美しく整えられた広い庭園を抜けるとそれが立ちはだかるように現れる。
遠くから眺めたことはあるが、近くで見るのは初めてだ。近くで見ると想像より遥かに荘厳で、柱の一つ一つに歴史上の聖人たちの像が彫り込まれている。
その宮殿前の広場には国中から集まった魔法使いが密集し、押し合いへし合いになっている。何百、いや、何千人いるだろうか。老略男女入り乱れた彼らの中には見覚えのある人もいた。ラヴィエール魔法学園で一緒だった教師や元生徒たちだ。だが、この人混みをかき分けて行けるはずもなく、マーシャは大人しく人の流れに乗った。
集まった人々が全て王宮内に収まり、人々の動きが止まった頃、宮殿の上部に設けられた横長のテラスに立つ男が声を上げた。
「静粛に!」
どうやら彼はこの国の重臣のようだ。テラスの端に立ち、直立不動のまま微動だにしない。
ガチャリ
やがてテラスの奥にある扉が音を立てて開き、その場に静寂が訪れた。
そして現れたのは、この国の王であるシュダバルトだ。ひげを蓄え、深紅のローブと黄金の王冠を身に付けている中年の御仁である。
いきなりの国王の登場に、人々は驚きを隠せない様子で息を呑んだ。この距離で王族に拝謁することなど、上位貴族でもない限りありえないことだからだ。
「皆の者、余の召集に応じ、よくぞ参った」
低く朗々とした口調の国王の声は、静まり返った辺りによく響いた。
「皆に令状を出したのは、他でもない。我が国は今、未曽有の危機に瀕している」
(未曾有の、危機……?)
マーシャの頭に疑問符が浮かんだ。だが、この緊迫した雰囲気の中では、隣にいるクラウドにも、前方の両親にも尋ねる勇気はない。
そもそもこの中で国王の言葉に首を傾げているのは、当のマーシャだけだった。他の人たちはその言葉に頷いたり、その目に不安を覗かせたりしている。
「まずはこちらを見てもらおう」
マーシャの戸惑いを他所に、国王は右手を上げた。すると背後から初老の男が進み出てくる。彼が纏っているのは魔法使いのローブ、それも高位であることを示す紫色である。
男は目を閉じ、胸の前で両手を合わせ、そしてゆっくりと開いた。そこから白い閃光が生まれ、人々は咄嗟に目を閉じた。
(何これ、眩しい!)
マーシャが目を開いた時、信じられないことが起きていた。何と、宮殿の壁一面に見たことのない景色が広がっていたのだ。あの初老の魔法使いがやったことに違いない。
水晶などを使って遠くにあるものを見ることが出来るのは知っていた。だが、遠くにあるものを映し出すことが出来る魔法使いがいたとは。
皆も同じことを思ったのだろう、辺りからは感嘆の溜め息が洩れた。しかもそれは静止画ではなかった。うっそうと茂った森は風を受けて木々の葉を揺らしている。嵐でも来ているのか、その揺れは激しい。
すると映し出された映像は、どんよりとした空へとクローズアップされていく。
「あれは何だ!?」
誰かが声を上げた。北の空が黒々と染まって渦を巻いている。
(竜巻……? いや、違う)
何が何だか分からないが、不吉なことが起きようとしている――それだけはこの場にいる全員が感じていた。
あっけにとられて壁面を見ていた人々は、国王の声に我に返った。
「異世界の扉が、開こうとしておる」
「異世界……?」
聞きなれない言葉に、誰かが呟いた。
「魔界、と言えば理解できるだろうか」
「……」
思ってもみない事態に、人々は声を失った。
「魔王が復活し、魔界への扉が開けば、世界は混沌に包まれるだろう」
今から千年以上前に魔族と人間による種族間戦争が起きてはいたが、もはやおとぎ話となっている。それが今になって魔王復活とは。
「それは真実なのでしょうか? その根拠とは?」
ようやくショックから抜け出した誰かが、発言した。すると国王はひげを撫でつけ、頷いた。
「皆も気付いておろう。近頃、怪物どもが活性化していることを」
「ああっ!」
マーシャは思わず叫んだ。
フレアと薬草園に行った際に襲ってきた猪、その瞳が赤く光っていたことを思い出したのだ。周囲の視線が集まり、慌てて自分の口を塞ぐ。
(そうか、あの時からその兆候があったんだ。じゃあ、ヤンのお父さんたちが乗った馬車を襲ったのも……?)
予想が確信に変わる。
おかしいと思ったのだ。怪物は狂暴なものもいるが、こちらが攻撃しない限りはあれほどまでの被害をもたらさない。だが、魔界への扉が開きかけ、怪物が狂暴化しているとすれば、つじつまが合う。
「扉が完全に開けば、どうのような惨状になるか……余にも分からぬ」
人々は次に国王の口から紡ぎ出される言葉を今か今かと待った。
「本日、集まってもらったのは他でもない」
国王は全体を見渡してから再び口を開く。
「この中から、魔界の扉を閉じる役目を担う者を選出したいと思う。誰か、我こそはという勇気のある者はおらぬか?」
ざわっ
その場は一気にざわついた。
誰が好き好んでそんな危険な任務を負うと言うのだろうか。
「失礼ながら、国王様。我々に行かせるよりもまず、王専属の騎士団や魔法使いらに行かせたらいいのではないでしょうか」
「そうだそうだ!」
誰かが声を上げる。人が多すぎて、誰が発言したのかは分からない。だが、皆の意見は一致していた。国王は我が身かわいさに武力を出し惜しみしていると考えたのだ。
だが、国王の答えはそれをあっさりと覆した。
「すでに何十、何百という騎士と魔法使いを派遣した」
「だったら……!」
「その全ての者たちの消息が途絶えたのだ」
「……!」
国王の言葉に、その場に入る全員が震え上がった。王専属の騎士団と魔法使いらはえり抜きの実力者ばかりである。彼らの全てが消息を絶った、その意味することに、そして自分たちが同じ目に遭うかもしれないという恐怖に恐れおののいたのだ。
国王は尚も言い募る。
「頼む。この国を、いや、この世界を救ってくれ」
もはや、名乗り出る者はおろか、身じろぎする者すらない。
「では、まずは一名、こちらから指名させてもらおう」
国王は立候補から指名へとすぐに切り替えた。
人々は一斉に視線を外し、下を向く。目が合えば、選ばれるとでも言うように。
そして、国王はある名前を口にした。
「クラウド・ウィザーズリー!」
(えっ、クラウド?)
マーシャはクラウドを見上げた。クラウドは、指名されたにもかかわらず、その表情を全く変えておらず、マーシャは同姓同名の別人が他にいるのかと混乱した。
だが、人の波が割れ、クラウドとマーシャの周囲から人がいなくなり、国王の言うクラウドがマーシャの知るクラウドで相違ないことを知る。
国王は群衆の中からクラウドを見つけ、真っ直ぐに見ながら言った。
「君がクラウド・ウィザーズリーか。クラウドよ、行ってくれるか」
クラウドはようやく動く。仕方なさそうに、首をすくめて。
「行かない訳にはいかないでしょうね」
「えっ、行くの?」
咄嗟にマーシャは尋ねていた。
いくらラヴィエール魔法学園で成績優秀だったからといっても、相手は魔王だ。まだ復活していないとはいえ、そう簡単にいくとは思えない。
(どうしてクラウドが? 国王様はどうしてクラウドの名前を知ってるの? 名前は知っていても、顔は知らなかったみたいなのに)
だが、話はトントン拍子に決まってしまったようだ。
「同行する者の選出は、任せよう。頼んだぞ」
クラウドは小さく頷き、マーシャを見下ろした。そして、その腕を取る。
「な、何!?」
「マーシャ・ハートレッジ。とりあえず、こいつも連れて行きます」
「ええっ?」
――マーシャの災難は、まだまだ始まったばかりだった。




